1-9 病室での家族の会話
洋子の入った病室は、洗面所とちょっとしたソファーセットのある個室であった。
スヤスヤと寝息をたてながら、眠っている洋子を見て安心した礼子は、ソファーにゆっくり腰掛けようとした。
その時、礼子の携帯が震え出した。
見ると長女の貴子からであった。
「もしもし、貴子ちゃん、どうしたの」
「あっ、お母さん。
洋子に何度も電話してもでないの。
洋子、何かあったの」
礼子は少し不信そうに、
「なぜ、そう思ったの」
「だって、さっき、気のせいか、洋子戻って来いって、聞こえたような気がしたの。
それで何だかイヤな予感がして、洋子に電話したんだけど、何度電話しても出ないの。
洋子は大丈夫なの」
「相変わらず、貴子ちゃんは鋭いわね。
洋子ちゃんは大丈夫よ。
実は、洋子ちゃんは5階のビルの屋上から飛び降りて、今、Y大学病院の救急病棟にいるの」
「ええっ、5階から飛び降りたって。
なら、もう死んでしまったの」
「いいえ、ちゃんと生きているわよ。
それが、下に花屋さんがあって、その花屋さんの日除けの差し掛けを突き破って、その下にあったダンボール箱の上に落ちたの。
そのせいか、顔に少しすり傷があるだけで、目立った怪我はないわ。
あぁ、それとあちこち打撲はあるみたいね。
でも心配ないよ。
今は、眠ってる」
「ウッソー普通、死ぬでしょう。
でなくとも大怪我をしてるはずよねー。
すごい強運だね」
「それがね、ちょっと危ない時もあったのよ。
容態が急変して一時は心臓マッサージをすることになったの」
「と言うことは、心臓が止まったの?」
「私は、よく分からないけど、どうもそうらしいのよね」
「あっ、それで、父さんが洋子戻って来いって言ったんだ。
あれ、やっぱり父さんの声だったんだね」
「とにかく、それで息を吹き返して、今はスヤスヤ寝息をたてて 寝ているわ」
「そう、それは良かった。
それで、皆んなそこにいるの」
「いるわよ、父さんと淳一が」
「なら、私もすぐに行こうか」
「大丈夫よ、仕事が終わってからで。
たぶん、母さんはいると思うから」
「分かったわ、それじゃまたあとでね、母さん」
電話を切って、ほっとしたところに、浩一郎が、
「礼子、貴子も来るの」
「ええ、仕事が終わってから来るそうよ」
「花屋さんの差し掛けを破ったんだよね、それとダンボール箱。
花は、大丈夫だったのかなぁー。
その花屋さんに挨拶とお詫び、破れた差し掛けの修理費と他の物の弁償をしないといけないね。
礼子はどこの花屋さんか聞いてる」
「えぇ、上通り1丁目12番の中村って言う花屋さんだそうよ」
「そうっかぁ。
洋子も落ち着いてるみたいだから、今からちょっと行ってみるかぁ。
淳一は、今日の講義はどうなってるんだ」
「午後は、何にもないから大丈夫だよ」
「なら、父さんと一緒に来るか」
「うん、連れてって」
「よし、それでは、礼子、花屋さんに行って、また戻って来る。
淳一、運転頼む」
意味ありげに、浩一郎は礼子に向かって、
「礼子、頼むな」と。
二人は、見つめ合い、うなずき合った。
浩一郎と淳一は、病室から出て行った。
しばらくして、礼子は洋子の体に手を当ててじっとしていた。