6-6 愛する者が死にゆく悲しみと寿命
浩一郎は、裕子と洋子が泣き止むの待って、礼子も一緒に、三人に対して話し出した。
二人が泣いている間は、浩一郎には考えをめぐらす貴重な時間となった。
浩一郎は、まず二人の村について考えていたことを話した。
また、自分達夫婦を選んだ経緯などのことも話した。
洋子と裕子は、退屈そうに浩一郎の話しを聞いていた。
浩一郎の話しで、イライラしてきた洋子が、
「これは私の想像だけど」と、
前置きして、知りたい核心にせまった。
「目の前でダンダン衰弱し、出来てたことが出来なくなる愛する大好きな夫が、生きている時間が残り少なくなっているのが分かる。
例え、どんな形であっても生きていて欲しい。
本人の前では、何とか普通に接していても、一人の時、二人で買ったお気に入りのコーヒーカップを見て、急に涙があふれてどうしょうなくなる。
悲しい
どうして夫がこんな目に
一緒に笑いながらコーヒーを
私を置いていく
なぜ、なぜ
…………
…………
二人で楽しかった
多分、ボーっとして一人座りこんで、
時間だけ流れていく。
私は、まだ結婚もしてないし、愛する大好きな夫もいない。
物心付いてから、幸運にも身近で大切な人が亡くなるような経験もない。
でも、もしそんなことがあったら、色々な感情が湧いてくると思うの。
周りの残された人は、どうしたらいいの。
父さん」
浩一郎は、
「そうだなぁ〜。
まずは、冷静に考えると、洋子の場合は、死後の世界の存在をよく分かっているから、あとでいくらでも会えるよね」
浩一郎の言葉を遮って、洋子は叫んだ。
「父さん、そんなこと言っても、多く人は、死後の世界なんか、信じてないわ。
それに、それを信じていも、悲しいの、自分を責めるものよ。
あの時、あぁ言えば良かっただの。
あぁすれば良かっただのと、思い出して自分を責めるものよ。
それが人間ってものでしょ。
父さんには、人間の心がないの?
人の気持ちが分からないの?
死にゆく愛する人に対して、死後世界なんか、どうでもいいの。
その自分を責めて悲しむ心が問題なのよ。
そう言う人は、どうしたらいいの? 」
浩一郎は、二回り以上離れている、しかも実の娘に、人の根源的な"苦"の一つを指摘され、しかも父としての年長者の人間性まで否定されたようで悲しくなった。
礼子には、洋子の迷いに対する回答が、分かっているようであった。
浩一郎がなんと答えるか、礼子は静かに見守っていた。
裕子は、洋子の疑問、迷いを同じように感じていた。
浩一郎が、何と答えるか、目をキラキラさせてじっと浩一郎を見つめて待った。
浩一郎が、静かに語り出した。
「すべてのものは、刻一刻と変化している。
人も同じで、この世に産まれ、成長し、死んでゆく。
いくら愛する者でも、いつかは死んでしまう。
いつどの様な形で死んでゆくかを、神のご意志と考える考え方もある。
大きな広い意味では、そうであるかもしれない。
ちょっと視点を変えて、ここで寿命と言うものを考えてみる。
寿命とは、いつ、どのような形で決まるのかと。
人は、あの世での生活向上を願って、この世でそれを実現する為に、それぞれ宿題を持って、肉体を授けられて、この世に誕生する。
具体的には、母親の受精卵にその魂?が宿るのだと思う。
この時、あの世でそれなりの力がある人が介在しているはずだ。
誰もが、あの世の人をこの世に産まれさせる力があるとは思えない。
たぶん、誠治さんでも難しいように思う。
洋子や裕子さんが、弥生さんや村長の智治さんと相談して、やはりこの世に行くほかないと考えた。
次に、相談した人達は、二人の指導霊?や背後霊?と言われる人を選んで、それぞれ依頼し、承諾を得る。
二人の過去生から考えて、今回は、別々の家庭で育ち、あるタイミングで互いに知り合わせることにした。
だから、二人をつなぐ家庭として私達の家族が選ばれ、二人を見守る誠治さんも参加することになった。
そこで、関係者が、この世に産まれさせる力を持つ人に、それを依頼したと思う。
その時、今から産まれる洋子や裕子さんの産まれる時期や場所、家庭、
産まれてからの生活、例えば障害者か健常者、先天性の病気、
この世で生活できる期間つまり寿命などの
大枠が決められるのではないかと、父さんは考えている。
つまり、寿命は産まれた時には、おおかた決まっている、と考えている。
ただ、この寿命も絶対的に決まっているものでなく、産まれた人の努力や節制、生活のあり方、周りの人の献身や影響などによって、短くなったり、長くなったりすると思う。
要するに、人は寿命で亡くなるのであって、病気や事故で死ぬのではない。
だから、愛する人であっても、すべてその人の寿命で亡くなる。
ものごとは、常に変化し、この世からあの世に帰ることを変化することを亡くなったと言う。
そして、そのタイミングを寿命がきたとも言う。
まずは、これを理解することが、重要だ。
愛する人に死が間近に迫って、あの時はどうの、こうのと、すれば良かっと思っても、悲しんでも、その時はもう遅いと思う。
死が間近に迫った時に、済んでしまったことを、悔いてもどうしょうもない。
父さんは、なんとなく思うんだけど、そんな人は普段は遠くにいたりして、あんまり死が間近に迫った人に関心を持ってないのではと思う。
だから、そんな状況になった時に、過去の出来事に対する後悔や悲しみが湧いてくるのでは、とも思う。
それは、ある意味、自分勝手な驕りエゴだとも思う。
冷たく言えば、今までほっておいて、死が近づいた時、取り乱してワンワン泣き叫ぶ。
悲しみにひたる。
それは、常時近くでお世話している人から冷ややかに見られている。
本当に愛する人が、亡くなろうとした、時。
ガンなどで、もう治療の選択肢が、本人の痛みを取るしかないなどの緩和治療しかなく、余命もわずか。
人は、悲しんだり、嘆いたり、ボーっとしたりするだろうが、結局、時間が経てば、今出来ることをするしかないと気付き、それをするだろうな。
これは、亡くなった時も同じと思う。
愛する人がまだ生きている時は、後悔や不安、悲しさなどがある。
その時でも、何度も言うように、出来ることをするしかない。
時が経てば、その内に気持ちも変化する。
それが、永遠に続くことはない。
また、亡くなった時は、それがもう何も出来なくなったと、離別の悲しみとなる。
この時もその気持ちが、時が経てば変化する。
同じだな。
洋子の質問の一つは、
"周りの残された人は、どうしたらいいの"かだったな。
もう、分かるだろうが、
その時々で、自分が出来ることをするが、父さんの回答だな。
普段から、自分の出来ることを自分なりに一生懸命していたら、それ程の悲しみなど余りなく、むしろ出来るだけのことをしたんだと言う充実感や満足感が残るのでは?とも思う。
もう一つの質問は、
"自分を責めて悲しむ心が問題。
そう言う人は、どうしたらいいの "
だったかな。
これほ、過去に自分が選択したことが適切でなかったことに気づいて、過ぎ去ったことを悔やんでいることになる。
それに、済んだことを訂正できない。
それは、反省の機会として、泣き止むまで、ほっおとくしかないだろう。
やがて、その気持ちも変化する。
今まで、一番大切なことを避けて言わなかったが
本当に大切なことは、人の死に対しても、囚われないことだ。
所詮、人は寿命で亡くなるのだ。
その寿命は、産まれてきた時には、おおよそ決まっておる。
ただ、寿命は、本人や周りの人の行動によって、多少長くなったり、短くなったりするものだ。
だから、長生きしてもらいたかったら、長生きしたかったら、常日頃からそうなるような選択を心掛ける必要があると言うことだな。
囚われないでな」
と、浩一郎の長い独演会が終わった。
洋子と裕子、礼子は、神妙な顔をして黙りこんでいた。




