1-7 救命室での不思議
救急車が到着し、女性がストレッチャーで救急救命センターの処置室に運ばれて来た。
医師と看護師、救急隊員が息を合わせて、患者をストレッチャーからベットへ移し、救急医の佐藤は再度患者を観察した。
看護士から脈拍や血圧等のバイタルを聞いたが、特に問題なかった。
ハサミでパンツスーツやブラウス等を切り、全身を確認したが、出血等はなかった。
しいて言えば顔に少しすり傷があるのみであった。
レントゲン写真からは、骨折等は見いだせなかった。
エコーでも内臓からの内出血等は、見当たらなかった。
血液検査結果も異常なし。
心拍のモニターも異常なし。
脳波は、深い睡眠中のような波形を示している。
しかも、気絶している訳でもないようだ。
佐藤は、この患者が5階の屋上から飛び降りたと聞いていた。
いくら途中で、差し掛けを突き破って、ダンボール箱の上に落ちたとしても、そのまま寝てしまうとは考えにくかった。
ただ寝ているにしては、呼びかけに反応がない、起きない。
佐藤は、考え込んでしまい結局皆んなに、
「しばらく、このままにして様子を見よう」と指示して、その場を離れた。
患者の家族ではないかと言う人達が現れて、患者は篠田洋子25才と確認された。
佐藤は、患者家族の篠田浩一郎、礼子、淳一に患者の状況説明をした。
「今の状況は、顔に少しすり傷があるものの、他に怪我や内出血、骨折もありません。
脳波は、深い眠りについていることを示してます。
もちろん、状況が状況ですからあちこち打撲している可能性はあります」と。
「先生、娘は気絶しているのではありませんか」浩一郎が冷静に尋ねた。
「いや、どうも違うようです。
私達も最初はそうかなと思って、起こそうとしたのですが、意識が戻りません。
どうも娘さんは、昏睡状態と言うより、非常に深い眠りについているような状態と考えられます」
「先生、先程、警察の方から伺ったのですが、娘は5階の屋上から飛び降りたと聞いてます。
それが、大した怪我もなく、ただ眠っているだけなんて、そんなことあるのかしら」と、
不思議そうに礼子がつぶやいた。
「そうですね、私もそう思うのですが、実際に娘さんは」
その時、看護師がやって来て、佐藤の話の腰を折り、何やら耳もとでささやいた。
「洋子さんの病状が、急変したそうです。
普通は入れないのですが、特別に皆んなで行きましょう」
処置室に入っていくと、若い医師が心配蘇生術をほどこしていた。
規則的な心臓マッサージをしている若い医師に、佐藤医師は聞いた。
「AEDは」
「やってみましたが、ダメでした」
佐藤が、洋子に繋がれている検査機器の数値を再度確認している時、
浩一郎が洋子の枕元に来て、
ほほを何度かたたき、
小さな声で何か祈りながら、
そして、耳元にかがんで大声で、
「洋子、
洋子、戻って来い、まだ、早い。
洋子、洋子、戻って来い。
まだ、そっちへ行くのは早い。
戻って来い、戻って来い。
洋子」と耳元で叫んだ。
すると突然、なぜか自発呼吸が始まった。
皆んなが唖然と見ていてるなか、今度は、肩をゆすりながら、
「洋子、起きろ。
洋子、起きろ。
起きろ、洋子」と。
すると、今までまったく目を覚さなかった洋子が、突然、目をしばたかせて眩しそうに、
「と、と、父さん、父さん、ここどこ?」と。
「ここは、病院だよ」
「わ、わ、私」
洋子が、起きようとしたら、
「アイタタター」と、
全身にわたる痛みで起きれなかった。
不安そうな洋子に、浩一郎は、
「もう、大丈夫だ。
色々と大変だったね。
落ちたのを覚えているかい。
骨折なんかしてないけど、
あちこち打撲してるみたいだから、
しばらく休んでいたら、
それもじきに治るよ。
詳しいことは、あとで落ちついた時に話そう。
今はゆっくり目を閉じて眠ってなさい。
明日の朝になると、もっと元気になっているよ。
大丈夫、心配ないから。
安心して、母さんと父さんがついてる。
大丈夫だよ」
洋子は、小さくこくり、こくりと、うなずいて、目を閉じた。
洋子は、父親の浩一郎の言葉に安心したらしく、しばらくするとスヤスヤと寝息をたてて、今度は本当に普通の眠りに入っていった。
洋子の回りにいた医師や看護師、検査技師、淳一は、目の前で実際に起きたことが信じられず呆然としていた。
ただ、礼子だけは、さも当然のように落ちついていた。
いち早く、我に帰った佐藤医師が、もう大丈夫そうだからと、救急の処置室から救急用の病棟へ移すように看護師に指示した。
洋子は、家族と連れ立って病室へ運ばれて行き、途中から、男性二人が加わってついて行った。