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4-18 産まれてきた理由は


 しばらく熟考した浩一郎は、

「産まれきた理由や宿題、死んで最終的にどこへ行くかってことを知っても、あまり意味がないと思うがな」


 淳一が詰問口調で、

「なんで、父さん」

 

 浩一郎は、それに答えて、

「以前話しに出たトランプをしていて、いい手筋になかなか気付けないって話しあったよな。

 だから、それを知っても、人生において、いい手筋に気付けないから意味がないんだ。


 それに、その時は分かっても最終的に決まる、または分かるのは、死んだ時だからな。

 死ぬまでの間の生活で、変わる可能性もある」


 続けて淳一が、

「なら、父さん、そのいい手筋の見つけ方も教えてよ。


 いい手筋の見つけ方を知っていれば、その都度、その都度、その手筋を探すようにすればいいんじゃない」


「もう、次から次へと。

 淳一、お前今何を聞いているのか、分かって聞いているのか」


「分かっているつもりだけど、何で」


「まぁ、いい。

 自分が、何のために産まれたかは、これはいい替えれば、

なぜ産まれたのか、

自分の人生に何の価値があるか

などと同じことだ。

 それに、死んでどんな村に行くかと言うことは、実際には死んだらどうなるかって、ことだ。

 ここまでは、いいな」


「分かるよ、そうだね」


 浩一郎が講義をするように、

「よし。

 これらの疑問は、昔から宗教や哲学などで、盛んに論じられ、未だに一つにまとまっていない」


 淳一が同意するように、

「そうだね、死んだらどうなるかって、宗教によって考え方が、それぞれ違うもんね」


 浩一郎は、それを受けて、

「そうだ、


 それぞれの宗教によって異なり、

来世で救われるとか、

天国に行けるとか、

死ねば何もない、

等の違いがある。

しかし、多くの人は、それぞれの信仰を支えにして生きている、

それでもって、生活をしている。

 もちろん、

神の在り方、

定義なども異なる。


ここで、何かおかしいと思わないか。

 皆んな、同じこの世にいるのにだ」


 淳一がそれに応えて、

「確かに、皆んな同じこの世にいるのに、信じているものによって、死んだらそれぞれ違うって、何かおかしいよね。


 飛行機事故で、

色々な人が一度に沢山亡くなった

とすると、

ある人は天国、

またある人は無になる、

また審判まで待ったり、

産まれかわったりね。


 人間が勝手に決めたり思ったことが、自然の摂理に優先してる、そんな感じ。

 ある意味神様を召使い扱いにしているようなところもあるしね」


 淳一は、なかなか賢いぞと、浩一郎は感心しながら、

「だから、今から言う話しは、微妙なところがあるからな。

 これらを念頭に、父さんの考えを慎重に聞いてくれ。

 それに、家族や斉藤先生以外、

今のところ他言無用だぞ。


 まずは、人間は何のために産まれてきたか、考えてみる。


 いいかい、死ぬと言うことは、どう言うことかをまず考える。


 死んだら、

物理的な肉体、体がなくなる。

だから、体がないので、

もう、

死ぬこと、

老いること、

病気になることもない。


 では、何が残るかと言うと、

その人の思いの真髄、精神をなす、性格のようなもの、一般に言う魂が残る。

 淳一も経験あるように、ある意味、その幽体離脱した状態だ。


 ここでは、

それを分かり易くするために、

魂と言うより、性格と言うことにする。

 その性格には、感情も含む。

 また、香を嗅ぐこともできるようだ。


 あの世、つまりここでは、一応三途の川の向こうの世界とする。


 そのあの世では、同じような性格の人が集まり、村を作って生活している。

 なぜなら、同じような考えを、性格を持った人同士の方が、イザコザも少なく幸せな生活が送れるからだ。


 また、もしあの世で死ぬようなことがあっても、肉体がないから、すぐにまた元のあの世に生き返るはずだな。


 また、肉体がないので移動もあちこちに自由に簡単に行ける。

だから、行こう思えば、どの村にも行ける。


 しかし、性格が合わないと言うことは、生活の仕方も違うので、自分の村と違う村に行けば、必然的にイヤな気分になる。


 例えば、人をとても慈しむ人が、いつも殺し合いばかりしている村に行けば、とても一緒におれないよな。

 だから、だいたい同じ性格の人が集まる村となるなはずだ。

これが、あの世の基本だ。


 そこでだ、

もし、ここに同じような性格の人が集まる50人の村と500人の村があるとする。

 その中の人は、どちらがより幸せだと思う」


「そりゃー、500人の村だと思うよ。

 少ないより、気の合う連中が多い方が絶対にいいよ」


「では、なぜ同じような村で、50人と500人の村があるかだ」


 淳一の想像は、

「たぶん、同じようでも、どこか決定的に違うところがあって、50人の村の人は、500人の村では生活しずらいのかな」


 浩一郎は、続けて、

「そうだ、いい着眼点だ」


「へっへー、褒められちまったよ」


「もし、ここで50人の村の人がより良い幸せ、生活を求めて、500人の村へ行きたいと思ったら、どうするだろう」


 淳一の疑問は、

「なんで、そんなこと思うの。

 だって、病気も死ぬこともないし、何も食べなくていいんだろ、充分幸せじゃないか」


 浩一郎が淳一の現実と対比させて、

「そんなこと言っても、お前だって今は病気もしてないし、すぐに死ぬようなこともない。

 しかし、将来より良い生活が出来るように。

 今勉強なんかしてるだろう、

それと、おんなじだよ」


「う〜、そうかもしれないなぁ」


「今、お前が勉強してるように、50人の村の人がより良い生活をしたいなら、その性格の不具合を治すしかない。

 そこに行くためには、何らかの不具合、それを治すと言う条件があるからな。


 でも、そこでは、あの世では、治せない、治せるならもうとっくに、500人の村に行っているだろうからな。

 そこでだ、その人達は産まれ変わる方法を選択するんだ。

 この世でしか、行くための不具合を治せないからな。

 ここまではいいか」


「うん、なんとなくいいよ」


「従って、産まれ変わる目的は、性格の不具合、世俗的な言い方をすれば、魂の不具合を治すことだ」


「そんなこと言ったて、自分の性格のどこを治せばいいの。

 それに、不具合の基準って何。

 それが、分からないと、分からないよ」


「50人の村人は、自分が楽しいことができる。

 しかし、自分の楽しいことが相手にとって、楽しいか楽しくないかは別だ。

 自分も楽しい、相手も楽しいことが自然に出来れば、よりその人の周囲の人も楽しい。

 それが500人の村に行ける条件だと、父さんは思ってる」


 貴子が、

「父さんの話しはいつも長くて、よく分かんないわね。

 もうちょっと、はしょってもいいから、要点だけを言ってよ」


「そうか、結論としては、

今自分で出来ることで、自分も楽しいし、相手も楽しいことを探して、それが自然に出来るようになること。

 これが、産まれ変わった理由だ。


 これが出来るようになれば、あの世の500人の村へ行けて、より幸せな生活が出来る。

 これなら、どうだ」


「それなら、私の頭でも分かるけど……

自然に自分も相手も楽しいっか。

 難しいわね〜」

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