2-6 浩一郎の奇妙な手配
浩一郎は携帯を置き、午後の次の講義まで少し時間があることを確認し、
腕を組んで考え込んだ。
しばらくして、机の上の校内電話をとり、
「はい、斉藤です」
「もしもし、篠田ですが、今、電話いいですか」
「はい、いいですよ。
ご無沙汰しております篠田先生」
「お忙しいところ申し訳ありませんが、実は斉藤先生に少しお願いがありまして、電話をしました」
「もちろん篠田先生のお願いで、
私に出来ることがあればなんなりと。
それで、何かあったのですか」
「ありがとうございます。
そう言って頂ければ助かります。
実は私の娘が、昨日ビルの屋上から飛び降りて」
「えっ、それは大変だ!
それでお怪我の具合は」
「それが、幾つかの偶然が重なって、
体は全くの無傷で無事でした」
「えっ、飛び降りて無傷、
偶然が重なって。
でも、それは良かったですね。
ビックリしましたよ」
「それがですね、救急車でここの救急に運ばれて来た時は、外傷もなく、ただ気絶しているような感じでしたが、
そこでなぜか急に心肺停止で脳波も」
「えっ、亡くなったのですか」
「どうも、そうみたいです。
それが、先生の心肺蘇生術のお陰で、なんとか息を吹き返しました」
「はぁ、そうですか。
・・・・
それは、ひょっとして、一度亡くなって生き返ったってことですか」
「まぁ、そうですね、短時間ですが」
「そうですかぁ〜。
まぁそれは、良かったですね。
どうなることかと思いました。
それで、
今はどうされて、おられるのですか」
「今は、救急病棟で、経過観察の状況です」
「それならまず、一安心ですね」
「それがそうでもないんですよ」
「えっ、どうしてですか」
「今朝は、看護師さん達が病室に入って行くと、怖がって逃げるんですよ」
「はっ、なっなんでなんですか」
「私達には、怖がることもなく、なんともないんですがね。
それに、食事を一人では食べれないようです。
今のところ私か妻がいれば、大丈夫なんですけどね」
「ふ〜ん、なぜか不思議ですね。
何か心当たりでも」
「一応、あるにはあるんですが……
そこで、思いあたったのが、斉藤先生なんですよ」
「へぇ〜、私をですかぁ〜。
そんな状況で、私に何かできますか?」
「それが出来るんですよ。
斉藤先生しか出来ないことがね」
「はぁ……」
「実は斉藤先生に、カウンセリングをお願いしたいと思ってます。
それでまずは、話し相手になって頂けませんか。
現状では、初めての人に対して、まるで小さな子供のように、ひどい人見知りになってます。
それと、私達が居ないと怖がって食事を摂れない。
まぁ、一種の摂食障害みたいなものかな。
もちろん、今の状況では正式に摂食障害の診断は得られないでしょうけどね。
いずれにしても、おそらく落ちたショックで、混乱しているようにも見えますね。
本来なら主治医を通して、精神科医でしょうけどね。
それで、カウンセリングの必要性を認められて、斉藤先生なんでしょうけど。
私から主治医と精神科の友田教授には話を通しておきます。
ですが、そのルートで行くとたぶん数日かかるでしょう。
しかし、私の勘なんですが、早いうちに斉藤先生と会った方が良さそうなので」
「私がですが〜」
「そうですよ」
「なぜ〜。
だって、初めての人には…」
「会えば分かりますよ」
「もちろん、
これはまだ、正式なカウンセリングではありません。
だから、
斉藤先生の手が空いた時に、
ちょっと寄って、
懐しい友達に会いに行くような感じで、
ちょっと娘と話してもらうだけで結構です。
いつもしているカウンセリングみたいな感じでね。
ですから、
先生の手が空いた時で構いませんから、
私からの伏してのお願いです」
「篠田先生が、そう言うのであれば、私には断れませんね」
「誠に申し訳ありません。
これも親バカと思って、よろしくお願い致します。
病室には、妻がいます。
斉藤先生のことは、私から連絡しておきます」
「分かりました、ご恩ある篠田先生の頼みでは断れませんね。
でも、私で本当にお役に立ちますか?」
「行けば分かりますよ。
それに、斉藤先生にとってもプラスになると思いますよ。
病室は、救急病棟の個室にいますから、行けばすぐに分かると思います。
昔馴染みに会うような、
軽い気持ちで、
知り合いの娘のお見舞いとして、
娘と会ってもらえたら嬉しいです」
「何だか、霧の中にいるように分けがわかりませんが、
とにかく行ってみましょう。
もう少ししたら、次のクラエントがこられるので、そのあとでも構いませんか」
「もちろん、結構です。
ご足労をお掛けしますが、
よろしくお願い致します。
私も次の講義が終わったら行きます。
斉藤先生なら、心配いりません。
よろしくお願い致します」
「はい、承知しました」
「ありがとうございます、
では、これで失礼します」
「失礼致します」
斉藤は、狐につままれたような感じで、校内電話の受話器を置いた。
浩一郎は、ふうーっと息を吐いて受話器を置き、
一呼吸してから携帯を取り上げ、妻の礼子にかけた。
「はい、もしもし、礼子です」
「私は、今から講義があるから、それが済んでからそこに行くよ」
「はい、分かりました」
「それともう1時間くらいしたら、
カウンセラーの斉藤裕子先生がそちらに行くよ」
「ええっ、カウセラー、何を突然。
いったいどうしたの」
「斉藤先生は、ピカイチのカウンセラーだよ。
それにまだ正式に主治医や精神科を通してないから、古い馴染みの友達として会ってくれるようにと、頼んだ」
「そんなこと、いいの?」
「あまり良くない、いやルール違反かも知れないが、まぁ、友達に会いにいく、お見舞いならいいだろう。
あとで、主治医と精神科の教授には話を通しておくよ。
だから、正式なカウンセリングは、数日後になるかな」
「何で、急にカウンセリングなの。
まだ、洋子はショックで落ち着いてないのに」
「いや、今だからこそなんだよ。
二人には浅からぬ何かがあるからね。
二人が会えば、僕達には分からない何かを二人は感じるはずと思う。
特に洋子が今の状態なら、
きっと何かを感じるはずだよ」
「あなたが、そう言うなら……
それで、私は何をしたらいいの」
「黙って、二人を見守ってるだけでいいよ。
どうせ、あとで私も行くから、心配ないよ」
「そう、何だか分からないけど、なら斉藤先生とあなたを待ってるわ」
「うん、それでいいよ。
礼子が二人のそばにいることが、大切だからね」
「うん、分かったわ」
「それじゃ、またあとで」
「はい、またあとでね」