竜と姫が、月を仰ぎ見る。その6
「ぁぁえぇぇい……」
入浴!
それは人間を溶かす至福の行為!
それが身体を酷使する労働の後ならなおさらである。
……まあお察しの通り、一日みっちり働かされたわけだ。
いやあ、話が動かなくてすみませんねえ!
…………ちなみにこれはマジの謝罪じゃないぞ。
いまが平成なら(半ギレ)とか語尾につけてるくらいキレてるからな。
途中で逃げ出さなかったのは、服と飯の恩義があるから――ってわけじゃない。
わけじゃないってほどじゃないけど。
情報はあればあるだけいいし、金もあればあるだけいいからである。
……思えば随分慎重派になっちまった。
RPGの序盤でレベル上げとか金稼ぎとかしなきゃいけないような気分。
なんでしなきゃいけないかって……?
いつまでたっても俺ツエーできないからだよ!
業腹である。
あるが、まあ、最初の一歩を自分で踏み出すというのも乙なものだよね(半ギレ)。
とはいえ。
当面の目標が「なんか自動的に無双する」から「しぶしぶ自分から無双するキッカケを作って無双する」というものに変わっただけで、基本方針は気持ちいいままだから安心してほしい。
……安心してほしいっていうか、俺がまず安心したいんだがね。
この異世界転移の方向性が分からんのよな。
いまのところ俺が苦労し続ける話だけど大丈夫そ?
大丈夫なわけねーだろ。これもうゲロ吐くくらいつまんねーだろ。
「――新入り、明日も来てくれねえか? つーかおまえ、今日もあの宿だよな?」
俺を工事現場に引き連れてこき使ったおっさんが話しかけてくる。
全裸で。
……いや銭湯なんだから全裸なのは当たり前なんだが、どうしてこんな絵面ばっかなんだ? 悲しくもなる。
思えば、始まりからそうだった。貧乏宿で全裸で起床だの、下水工事だの――いやそれよりも前に、
――月明かりに照らされる、蒼白な顔。
暗い森で、少女が死んでいる…………。
「……っ……」
忘れてたわけじゃない。
意識の外に追いやろうとしていた。
ささいなきっかけで、蓋があいたのだ。
おっさんの裸で。もじゃもじゃ胸毛で。記憶の蓋が……。
「…………」
「お、おいおい、なんでそんな憎しみのこもった目で見てくるんだよ」
「……なんでもない。ただ、のぼせた……だけだし。先、あがるから……」
中途半端な萌え萌え男装キャラみたいな台詞を吐いて、風呂から上がる。
気持ちが悪くなってきたのは本当だ。
「…………」
…………あれは、なんだったんだ?
森で、人が死んでいた。
……俺の目の前で、殺された。
今日一日、この社会で過ごして感じたことがある。
この世界は、決して殺人が見過ごされるような世界じゃない。
秩序があり、人がひとり死ねばそれは事件になる程度の治安はある。
……しかも、あの子はたぶん、結構身分高めの子だ。
派手なドレス、着てたよな?
街ゆく人々を眺めてたけど、あんな豪奢なのは一着も見てない。
それに髪も、町娘のレベルじゃなかったよな。たとえ現代日本に連れてきたってモデルで通るくらいの清涼感があった。
……考えれば考えるほど、落ち着かない気分になってくる。
俺は今まで、あの序盤のイベントが「今後には関わりのないもの」だと思っていた。
異世界転移のツカミになるかと思ったらならないし、俺自身の能力が明らかになるかと思いきやならないし。
でもよく考えたら。
……………………だったら、あれは、本当になんだったんだ?
「……やめやめやめ!」
ドツボにはまり始めた思考を、頭を振って追い出す。
なんか怖くなってきたし。
まあでも、結局いずれ分かる日が来るだろうよ。
俺が冒険者として成り上がってく過程で対峙することになる闇組織が、実は序盤の殺人に絡んでいて……。
的なね!
それかまったく触れられないパターンもあるっちゃある! ……言うほどあるか? まあとにかく!
「……なんとかなるだろ!」
そう呟いて、俺は着替える。
……まあそれはなんとかなるにしても、だ。
はやくファンタジーはじめてくれねえかな!
ヒロインまだかな!?