客電が落ちる前に。その4
「――話の展開に無理がなくていいな。が、逆に言えばまとまりすぎている感じがある。
難しいところだな。短編は短いページ数でそれなりのサプライズが必要になるから。でもまあ、ここをこうして――……」
「あ、あー、そうか。
そうだよねえ……。
そう…………。
…………ごめん、話ぜんぜん入ってこなかった。
このひと、誰? 萩原の知り合い?」
俺はため息を吐きたい気持ちを抑え、漫画原稿から顔を上げた。
サッカー部の午前練を終えた後なのだろう、ジャージ姿の橋本は、美術室で顔を合わせたそのときから挙動不審だった。
もちろん、その原因は俺とセットで着いてきたこの女のせいだ。
俺が完璧にいない者として扱っていたので、ほとんど自分だけに見えている幽霊かなにかだと思っていたことだろう。
「……まあ、気にするな」
「いや無理無理無理! すげえ気になるって!
マジで誰? 私服だし、外部の人……ですよね? 大学生? おまえ一人っ子……だよな? あとめっちゃ、めっちゃ……」
「……めっちゃ可愛いですね、かなあ!」
夏帆が自分で得意げにそう言い出したので、思わずひっぱたいてやろうかと思った。
……その後も、この目的不明の幼なじみは俺の後をトコトコと付いて回ってきた。
人と会うたびに「この人誰?」「萩原とどんな関係?」という目で見られ、訊かれるので面倒極まりない。
ほんとなんなんだよ。帰れよ。
「――つまり、サクは人の作品を見てあげてるんだねえ」
午後三時過ぎ。
石住さんと自作なろう小説の今後の展開について激論を終え、五木さんから差し入れられた遅めの昼食を摂っていると、夏帆が伸びをしながらそう半日を総括した。いいから帰れよマジで。
……というのはさておき、そうなのだ。
俺はなぜか作品に意見を求められることが多いのである。
まあ、昔からその傾向はあった。
だが最近では、自分でもなぜこんなことになったのかさっぱり分からないレベルで求められることが多い。
きっかけは……なんだろうな。
半年前、五木さんに脚本について意見を求められたときだったと思う。演劇部のパンフにアドバイザーとしてクレジットされていたらしいが、そんなものにどこまで影響力があるのやら。
……が、以来、なぜか漫画や小説などの創作を俺に持ち込む人が現れるようになり、いつの間にか土曜が「添削の日」になったのだった。
ちなみにこの後は喫茶店で主婦の中村さんのエッセイを読むことになっている。充実の一日だ。
他人の作品を読み、その情熱に触れられるのは楽しい……。
「……でもそれって幼なじみを放っておいてまでやることかなあ!?」
「うん」
「うん、じゃないが!?」
いや、だって先に約束してたことだし……。
と、こいつに言っても仕方がないので本題に入ることにする。小星夏帆という女は基本的にエゴイストでわがままであり、ツラが良くてちょっと背の高い五歳児みたいなものだ。育児を経験した皆様には抵抗など無駄だということが分かって頂けると思う。
「で、おまえは一体なんの用なんだ。一日中ストーキングしてきやがって」
「ん、ほうほう……。お願いがあるんだよ」
無感動にパクついていたサンドイッチを飲み下し、夏帆は白いリュックの中をまさぐり始めた。
「お願いぃ?」
すでにロクな予感がしない。夏帆の思いつきに振り回さた日々が、脳裏で警戒色をチカチカ発していた。
が、俺の嫌そうな声を気にせず、夏帆はなにかを机の上に置く。
「……サク。
“プロンプター”として、この本を受け取って欲しい」
一冊のハードカバー。
俺は、その本を手に取って中身を開く。
……そこに広がっていたのは。
「――――」
……白紙。
どこまでめくっても、白紙が続いている。
この本には何も書かれていない――。
なにも知らない人が見れば、そう断じて当然だ。
だが、それは間違っている。
「完結していない……?」
「うん。さすがだね、サク」
夏帆は嬉しそうに微笑む。
そして、結論を言葉に出した。
「……“誰か”が、物語の進行を意図的に邪魔してる。そうとしか考えられない」
俺は本を閉じ、表紙を見る。
鼓動が早い。
手にとったその無機物から、熱が伝わるような感覚。
金縁で縁取られた、その“本”のタイトルは――。
『竜と姫が、月を仰ぎ見る。』




