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客電が落ちる前に。その3

『今日は無理。用事あるし今から出かける』


 と、俺は制服の上にコートを羽織ってから返信した。


 すぐに、『おい! おまえいつも用事あるって言うじゃん! てかもう電車着くんだけど!』と怒りのスタンプ付きで返ってくる。


 そんなこと言われても。

 そもそも、お前が俺の予定を確認せずにいきなり来ようとするのが悪い――と打つのも面倒で、俺は既読無視を……しようとしたが追撃がきた。


『私もその用事付き合う。どこ?』


『学校だから来るな』


 今度こそ、俺はコートのポケットにスマホをしまった。

 約束の時間まであまり猶予はない。

 いまごろ、自業自得のくせに憤慨しているであろう幼なじみのことを頭から追いやって、俺は小走りで学校へと向かった。

 

***


 グラウンドから、どこかの運動部の声が聞こえる。


 渡されたプリントの束の最終項を読み終え、俺はようやく目を上げた。

 そのままぎゅっと目を閉じる。


「………………」


 チカチカと、赤をベースにした様々な色の瞬きが走る。

 脳のシナプスが発火しているのが、まぶたの裏側に見えるようだった。


「あ、あの……。

 どう、かな……?」

 

 机を挟んだ対面の少女が、耐えかねたように口を開いた。


「…………」


 目を開ければ、眼鏡をかけたおとなしそうな少女が不安そうにこちらを見ているはずだ。

 そして机を挟み、気難しそうな顔をしている男子生徒が、なにを隠そうこの俺である。

 

 ……実際には不機嫌なわけではなく、余韻に浸っているだけなのだが、五木さんが不安になるのも無理はないだろう。


 中学生のころ、俺の顔面には「温かみ」とか「ぬくもり」といった要素が致命的に欠落しているから、なるべく人を怯えさせないように生きよ……と幼なじみにアドバイスされたことがあるくらいだ。いやアドバイスっていうか、思い返せば、あれは完全に悪口だった。


 思い返せばあいつ、多感な時期の少年によくそんなこと言えたもんだよな……許せねえよ……。


「こわい……。無言だし、表情がこわい……」


 五木さんが怯えていたので、夏帆との不快な思い出は一度忘れることにした。

 咳払いして、唇を舌で軽く濡らす。


「えー……一言で言えば………………」


「…………言えば?」


 控えめに急かされる。

 俺は無数に脳裏に浮かぶ感想の中から、もっとも最適なものをチョイスした。


「すばらしい………………」


「そ、そんなに情感たっぷっりと言うほどに……?

 ほんとか……?」


「本当なのだ! 本当にそうなのだ!」


「どうして急にずんだもんになっちゃったのだ?」


 目を開けると、五木さんが苦笑いを装ったまんざらでもない表情でこちらを見ている。その目が「もっと感想を寄越せ」と言っていたので、俺は改めて印刷物の束に目を落とす。


「まずは……そうだな。タイトルがいいな」


「いきなり褒めるところがなくなった時のやつ……」


「いや! 本当にそう思ったんだ!

 物語と観客が初めて出会うもの……それが表題だからな。娯楽に溢れた現代社会においては“選ばれる”ことがそもそも難しい。

 一見してどういう物語なのかを端的に表すことはとても大事だ!」

 

 その点、五木さんの書いた劇台本、「この学校の文化祭はちょっと異常なようです。~テロリストに占拠された文化祭で、異世界帰りの俺にできることってある?~」は素晴らしいとしか言いようがない。


 正直タイトルだけでもっと語れるが、彼女が別の感想も欲しそうにしているので切り上げることにする。



「それから主人公が自分の強さを意識していないというのも――」


「テロリストの目的が結局明かされないという梯子外し感が逆にくせになり――」


「ここでヒロインが腹違いの妹であることが明かされるという展開が生きるようで生きず――」


「テロリストを追い出した後、トラックに轢かれて記憶喪失になる唐突な展開が飽きさせず――」


「で、実は最初に毒殺された担任が首謀者だと明かされたその時、いきなり始まる大団円のミュージカルが壮大でだな……」



 悪役も主役も交えたインド映画のエンディング的を思い浮かべ、再び目頭が熱くなる。思わず天井を向くと、


「ティッシュ、いる?」


「いる……」


 五木さんが機嫌良さそうにポケットティッシュを差し出してくる。

 柔軟剤の匂いなのかティッシュ自体の匂いなのか、とにかく甘い香りがした。


「それで、本題だけど」


 と五木さんは目をそらして言う。


「――どこが、駄目だったかな?」


「まあ、まずは尺だろうな」


 俺は躊躇なく答える。

 彼女が求めているのは耳障りの良い「いやあ特にないけどなあ」という言葉より、改善点であることを知っているからだ。


「三十分の劇にしては要素を詰め込みすぎだ。飽きさせない展開はいいが、観客が置いてけぼりになってる。あとは全体的に説明がないのが――」


 もちろん、すばらしいと感じたのは事実だ。


 だが、それは改善すべき点が全くないことを意味しない。

 思いつく限り、いくつもの改善点を並べる。


「――まあ、そんなところだな」


「ん、ありがと。

 ……正直、最初の褒めちぎられがなければ即死だったかも」

 

 ダメ出しを書き込んで余白がなくなった脚本を摘まみ、五木さんは笑った。


「よしっ。

 じゃあ、さっそく帰って直してみる!」


 疲れたような笑顔を見せる彼女の、それでも目の奥に宿る炎を見た俺は……。


「……ああ、頑張れ。

 文化祭の劇、楽しみにしてる」


 ……なぜか、泣きそうになるのを誤魔化してそう言った。


 まばゆいものを見て、目が潤むような。

 スポ根モノを読んで、胸が熱くなるような……そんな感じ。


「あと、それから――」


 ……だから。

 つい、なにかを言いたくなったのかもしれない。


「それから?」


 と、立ち上がった五木さんは不思議そうに俺を見下ろす。


「それから……」


 俺は、言葉を探している。


 なにか世界を変えるような、そんな一言を。

 彼女の努力が完璧に報われるような、マスターピースへ導く一手を……。


 …………だが、本当は分かっている。



 そんなものは最初からない。

 どこにもない。

 誰にも言えない。



 五木さんの脚本を“本物”にするための言葉など、そんなものはない。


 

 それでも、俺は――。


「あっ、ここにいた!」

  

 突如として、二年B組のドアが開け放たれた。

 非難と歓喜をないまぜにしたような、感情豊かな声。


 うげ、という押し殺した悲鳴が、その姿を確認するより早くフルオートで喉から出る。

 

 教室の後ろの出入り口に立っている彼女は……なんというか、ふわふわとしていた。

 たぶん、帰り支度をしたまま唖然と立っている五木さんも「誰……!?」以外に「ふわふわしてる……」と思ったはずだ。


 長い癖のある柔らかなダークグレーの髪が、微かな風に動いている。

 なんとなく生意気そうな目鼻立ちと、いたずらっぽい唇は少し大人びた今でも変わらない。


「なんでここに」


 死んだはずの主人公に銃を突きつけられた悪役の気分で、俺は呻く。


「だって、サクが逃げるから」


 と、小星夏帆が肩を竦めて言った。

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