妊娠と川の婚約者
何度か里香の携帯番号に電話をかけている時、
副署長が刑事課に入ってきた。
「あー…ここに加賀谷という人はいるかい?」
「副所長?はい、加賀谷は私です」
「君か。先程、君の妹さんから電話があったよ」
「なんて、言ってたんですか!里香はなんて!」
「先輩、落ち着いて!」
「直接兄と話したいというから、折り返しの電話番号をメモしておいたよ」
副署長が加賀谷に里香の番号を書き記したメモを渡した。
加賀谷はメモと鏡から聞いた番号を照らし合わせる。
先に後輩の織屋が気付いた。
「…番号が違う」
「失踪してから携帯を変えた可能性もあるな。鏡敦子が言っていた番号は失踪直後のものだったからな。この一ヶ月間で番号か携帯そのものを変えたに違いない」
「加賀谷くん。今ここでかけてみてはどうだい?妹さんが失踪していること、私は重く受け止めている」
「副署長…」
加賀谷がこくりと頷くと、自分のデスクの電話から折り返しの番号に電話をかけてみた。
prrr
prrr…
ピッ
「おにい…ちゃん?」
妹が電話に出た瞬間、ここに集まっている全員に声が届くようにスピーカーボタンを押した。
「里香、今どこにいるんだ!?」
「やっぱり、お兄ちゃんだ」
「ああ、そうだ。兄の宗一だ。失踪届を出してる、どうしていきなり居なくなったんだ?」
「…言っても、お兄ちゃんにはわからないよ」
「言わないとわからないこともあるだろう」
「私を妊娠させたくせにっ!!」
スピーカーから響く声に全員が顔を見合わせて驚いた。
「妊娠…っ」
「年が離れてるからって酷いよぉ…好きだった、お兄ちゃんのこと好きだったけど、子供が出来たら、そんなに人も変わっちゃうの?」
「何を言ってるんだ。俺は大事な妹にそんなことはしない」
「産めばわかるよ…DNA鑑定してもらえる。それに、私は今家に帰れないから」
「一度帰ってこい!何か勘違いを…!」
「先輩、しー…」
小声でトーンダウンのジェスチャーをする織屋。
加賀谷はそれを見て、一呼吸置いた。
「………」
「里香、怒らないから帰ってきなさい」
副署長も後の証言人となるため、この場に残って電話の内容を聞いている。
「お兄ちゃんが怖いから帰らない」
帰れないと帰らないは、かなり違う。
帰れないは事件性があることになり、捜査本部が立てられることがる。
だが、帰らないは事件性がなくただの家出として処理されてしまう。
「お兄ちゃん、変わったよね。笹原美由紀さんを失ってから、私に対して乱暴になった」
笹原美由紀とは、加賀谷宗一の婚約者だった。
美由紀、宗一、里香、と3人で仲良く遊んでいて里香もお姉ちゃんができると大喜びだった。
だが、里香が短大を卒業して間もなく、お祝いを兼ねて行った避暑地で川に溺れて亡くなってしまった。なんでも、飛んでいった帽子を追いかけているうちに川の深い部分に足を取られて流れてしまったらしい。死体はあがっている。
宗一と里香はその件で深い傷を負った。
「…今、この電話。警察署からかけてるんでしょ?」
「………」
「だったら、私にお兄ちゃんの携帯の番号を教えて。そうしたら、何があったか話してあげないこともない」
加賀谷が織屋と副署長に視線を送ると、2人は同時に頷いた。
「わかった。俺の番号は×××の…」
電話番号を伝え終わった後、里香は小声でお礼を言ってきた。
「今度、こっちから電話するから。そっちからは…特に警察からは電話しないで。ちゃんと話して帰る。帰りたいから」
ブツッ、
電話はそこで切れてしまった。
直後、副署長が口を開く。
「これで、失踪というより家出ということになったな」
「よかったですね、先輩!」
「それより、妊娠のことだが」
「それは…何かの間違いです。あんな可愛い妹に手を出すわけがありません。俺は俺の力を持って全力で里香を守る立場ですから」
「まあ、ひとまず電話も繋がった。妹さんと話してきなさい」
「ありがとうございます、副署長」
加賀谷が一礼をすると、副署長は刑事課から出ていった。