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エクリ・チュールは止まらない  作者: 金子ふみよ
第三章
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エクリ・チュールは感謝の礼をする

 それはエクリが内定をもらって数日後だった。これ以上ないくらいに感謝の礼をして、もう御厄介になることはないと思っていた司書室。そこへ足を運んだのには理由があった。単純、呼び出されたからである。いつぞや同様に思案気な司書官長と、ここまできてまたしてもかと頭を掻くイツヅ指導担当教官。エクリへの視線は面倒事への非難ではなく、打つ手なしのお手上げな表情だった。

「あの、どうしました? もう何にもしてませんし。何事にも絡んでませんけど」

「結果的にもう君は絡んでいる、エクリ・チュール」

 鋭意な感じがさすがイツヅ担当官だと思えた。幾分懐かしい感じもした。

「栞がなくなったんです」

「はい?」

「あの書籍、手記から栞がなくなったんですよ」

「いやいやいや。離れたら戻るって、他でもない私が現場おさえてますから」

「戻ってないんですよ。そもそもいつからなくなっているのかが不明で。エクリさんが発見した当初は一昼夜だったでしょう?」

「そうですね。正確に一昼夜かどうかはですが」

「ええ、大体それくらいということで。でもいずれにせよ、私が確認し始めてすでに三日が経っています。この間戻って来ていません」

「それでいつから不明かが不明だと。……は、もしかして」

 司書官長とのやり取りで、思わずイツヅ担当官を見た。恐る恐るだった。

「疑ってはいない。これも前言った気がするな。現象が起こり得る以上誰かが意図的にしろ、過失にしろ、移動させたとしても、戻るものは戻る。けれど戻っていない。だから、困っているんだ」

「はあ。そうですよね」

 言ってエクリは記号器を起動させた。専用のペンで画面をなぞる。あの栞の画像が映し出された。

「なくなったら、ここから飛び出してくれれば、見つけられるのにですよね」

 そう言って二人に見えるよう床と水平になるように記号器を手の平に乗せた。エクリはあくまで冗談で言ったつもりだった。場を和ませようと。しかし、場は和むどころか、混迷をきたす事態になった。画面から栞が徐々にゆっくりと、その姿を顕在化させ始めたからである。目撃者はエクリだけではない。高い学位を得ている教官と、書籍に関する最高責任者である司書官長もいるのだ。三人とも声がない。出ない。叫びも驚嘆も感嘆も。栞はすべての姿を浮かび上がらせると、エクリの記号器の上に音もなく身を倒した。窓を開けているわけでもない、空調が再起動したわけでもない。それなのに、ほのあたたかい撫でるような風が三人の体を流れていった。

「あの……どうしましょう」

 どの事象の発端もこの学生だった。しかし、まだ学生である。処置は大人に任せるものだ。しかし、その担当官と司書官長が呼吸を止めてしまったかのような微動だにせずである。

「エ、エクリ・チュール、き、君の所見を聞こうか」

 豪爽豪胆なイツヅ担当官が言い淀み、怯えている。これは映像として保存しておきたいが、そのために使いたい記号器に奇怪な現象が起きていた。

「私ですか? 私は、大切に扱った方がいいと思います」

「そ、そうだな。そう。そうだ。では、衛生学の教授を呼ぼう」

 イツヅ担当官は自身の記号器を持参し忘れたのを思い出し、司書室の通話機器に手を伸ばそうとした。

「きっと」

 しかし、その手は止まった。司書官長がイツヅ担当官と機器の間に手を差し込んだからである。

「きっともうそれはエクリさん、あなたに委ねられることにしたのではないでしょうか」

「はい?」

「栞は手記に戻っていた。それは栞がそう選んでいたから。今度はエクリさんを選んだのだと思いまして。なんといってもかのカナエ・ホウリ氏が作成したのでしょう?」

「ええ、魔法使いです」

「それならこれくらいの仕掛けをしていても。ちょっとしたおちゃめで」

 随分と都合の良い解釈だが、それだけではとどまらない事態だ。

「では司書官長、この栞の処置はどうするつもりですか? 記録にはすでに栞のことが注釈されています。追記としても付属品が消失した、で後始末としてはいちゃもんをつけてくる人がいないとも限りません」

 さすがイツヅ担当官である。驚きの真っただ中とはいえ、冷静な判断である。

「そうですねえ。あ、では。こうしましょう。手記を私が買い取り、エクリさんにプレゼントします。就職のお祝いです」

「はい?」

 エクリだけでなく、イツヅ担当官も素っ頓狂に聞き直した。

「でも、それはいくらなんでも強引では」

 エクリではなく、イツヅ担当官がおろおろしている。

「エクリさんが見つけなければ気にも留められなかったかもしれません。それに在庫の取り扱いは売却をする場合もありますし、最終決定権は私にあります。それとエクリさんは情報文化庁に就職するのでしょう。所在地として適切でないとは思えませんし、この手記が必要になれば連絡すればいいだけのことです」

「それはそうですが」

 反論の仕様がなかった。余地がないと言った方がいいだろう。司書官長の言葉に返すのなら、言いがかりになってしまう、それくらいに筋が通っていた。イツヅ担当官は折れるしかなかった。というより納得しなければならなかった。

 すぐに手続きを始めた。書庫から司書官長自らがあの手記を持ってきた。その古めかしい手記の上に栞を置いた。

「エクリさん、これを見つけてくれて、改めて本当にありがとう」

 賞状が授与されるように、手記がエクリに渡された。

「大切にします」

 エクリは一礼した。


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