エクリ・チュールは再び司書室へ行く
「おは、よう、ござい……ます、?」
エクリが司書室に入ると、司書官は腕を組んでおり、イツヅ担当官は腰に手を当てて床に顔を向けている。
「あ、の……」
ただの大学生としては、大人が二人無言のまま眉根を寄せているのを見ると、どう応対していいのか、戸惑ってしまう。
「エクリさん、おはよう。たびたび悪いね」
司書官の柔らかな物言いとは裏腹な隈にも見える目の下に、心配感が募る。
「いえ、それよりもどうしたんですか?」
「もう分からん。エクリ・チュール」
目じりをヒクヒクさせて、エクリの顔をまじまじと担当官が見る。その教官殿が何を言っているかのほうが、エクリには分からない。
「栞がね、また無くなったんだよ」
司書官の笑みが歪んでいた。
「へえ。じゃあまた書庫ですかね」
エクリは、まったく問題事だとも思っていないようだ。
「だーかーら! 今度もそうなら前回の答弁が方便にもならなくなってしまうから、こうして知恵を出そうとしているのだ」
教員としては、昨日の今日の説明の意図を担当学生が理解できてないのが嘆かわしい。それなのに、エクリの言うことももっともなのも困りものである。
「でも、ない方が困るんですよね。なら、確かめに行きましょう」
もうこうなればほとんどガキ大将が子分を引き連れているようだ。実際に、書庫に着いてみれば、やはりあの冊子に栞は挟まれていた。困惑する司書官、うなだれる担当官、徐々に満面の笑みをあふれさせる女子大学生。エクリは中空に指で、良い感じの幾何学を描き出した。
「これはもしかして本当に魔法なんじゃないですか!」
「そんなわけないだろ」
「イツヅ担当官。私、これを凝視していてもいいですか?」
その本を縦横斜め裏表と角度を変えて眺める担当学生に頭を抱える教官。
「エクリさん、魔法ではないでしょうが、どうしたものかな」
「なんかダメなんですか? やっぱり不要物で処分とかですか?」
先日の朝に再び取り出した栞は司書官が引き出しの中にしまい、その日一日この司書官以外触れた者がおらず、退勤後今朝までやはり司書室への侵入者はいなかった。
「書庫の整理を預けた手前、整理前後での処置の変化はきちんと記録しておかなければならない。不要物が混じっていたり、落書きや記入があったりしたら、それもだ。それを魔法だなどと記載しておけるわけがないだろ」
イツヅ担当官の困惑の元はそこだった。教員が預けた業務でわけの分からない現象が起こってしまった。学生を巻き込ませてはならないし、かといって見なかったことと済ますわけにもいかないのが、まさに頭痛の種だったのだ。
「この栞は本の付属品として記録上に注釈と記載しておこう」
司書官は記号器を取り出して、画面にペンを滑らせ始めた。特記事項として管理欄に記入していく。ようやくにしてこの薄く古い本に関する情報が加味されていく。エクリがただ知らないだけで情報が少ない書籍は少なくはないが多くもない。こうして、というのも今回は異質すぎるのだろうが、新たに解明された事実に関しては情報――著者の推敲課程とか、参考文献とか増版部数の推移とか――が書籍データに追記されるのは珍しいことではなかった。
「そんな権限、一介の司書官にあるんですか?」
「ばかもの! この方は司書官長だ!」
イツヅ担当官に威勢が戻った。エクリにすれば、首をすくめるどころか、首を垂れるしかなかった。