エクリ・チュールは感想文を書く③
ところがです。これは俳句ではありませんでした。連歌ってのを知ってますよね? それだったんです。つまり、私が俳句だと思っていたのは短歌の上の句で、続きの下の句があったのです。栞に。私が体験した不思議現象の一つ。すでにお亡くなりになっていたカナエ・ホウリさんが言ってたんです。栞に文字らしいものが見えると。サ州在島中でしたので、情報文化庁の役人さんが持参していた精密機器を拝借しようとしましたが、できませんでした。後日、いろいろ当たって栞の文字を表しました。これも最初、私は上の句はもう古い栞なのでかすれてしまったのだろうと思っていました。下の句だけだと思って解釈しようとして手紙が来ないことを嘆いている意味だと思ってました。けれど、違ったんです。
私が夕方の意味だと思っていたのは枕詞だったんです、さっき言った。だって枕詞って続けて語句が出てくるもんだと思ってたんです。ところが、下の句にある語にかかっていたんです。すると、枕詞が語の主語だと思っていたのが、語が枕詞の主語に転回したっていうか。だから、次に思ったのは、手記の上の句と、栞の下の句は何かの理由で分断された思いなのかもしれないということでした。ところが、短歌に関する知識を増やしていくと、またしても私が読み違いをしていることが分りました。掛詞です。下の句に「ふみ」という語句がありました。これは、手紙が来ないだけの意味じゃなくて、踏みつまり来訪の意味も兼ねているらしいのです。ということは、これは分断ではなく統合、人ならば再会を願う詩だったのです。この上の句と下の句が合わさるように、手記に栞が挟まるように、この句を作った人たちは願ったんです。そう、連歌は別々の人が作り合います。つまり、手記に上の句を書いた人、栞に下の句を描いた人がいるのです。そして、この栞は例のアレです。手記の短歌のページに戻る栞。これは私が会ったカナエ・ホウリさんが作ったのだと調べ当たりました。この栞を製作したカナエ・ホウリさんと手記の筆者との間の願いだったんです。このページと栞のように必ず再会すると。その象徴みたいなものだったんです。上の句と下の句が磁力だったんです。だから、栞は手記のあのページに戻ったんです。他のページじゃなく。もうこうなると手記と栞という別々の、個別の物体ではないです。それでは意味をなさないんです。あの栞は、手記の一部なんです。