ラングゥのアドバイス
とはいえ今に至って指導担当教官にぶうたれるエクリに、ラングゥは再度あきれる。レポートに関して、エクリに訂正を促すのは、決してイツヅ担当官だけではない。入学初年度からどれだけの講師や教授たちがエクリに指導してきたことだろう。
「それは違う。他の学友に聞いてみろ、九割はエクリの報告書は報告書じゃないって言うだろうな」
「一割は味方がいる!」
「変なところで喜ぶなよ。数字は適当だが、エクリのレポートを見たら、ほとんどはそう思うってことだ」
「どこがおかしいんだろ。普通にまとめているだけなのに」
下書きのメモをかざした。収集した文章に資料から得た情報や知識を書き込んでいるペーパー。五言絶句になってもいなければ七言律詩にもなってない。推敲を重ねる原稿そのものだった。
「最後までまとめ上げて持ってくんじゃなくて、章毎に出来上がったら担当官に見せに行けばいいだろ」
「それも考えた。でも、そうすると少なくとも最後まで書いたという実績が生まれない気がする」
「あのなあ」
エクリの前でラングゥが頭を抱える光景は大学生活の中でどれくらいに及ぶだろう。少なくとも指の数で足りはしない。
「でもまあ見込みがあるなら、いいんじゃないか?」
「うん。ラングゥの方は?」
「俺が順調でないってことがあると思うか?」
「自慢か」
「自慢だ、というより行程の目算が適切だから遅れない、と言った方がいいかもしれない。公的な業務よりも後回しになってる研究主題の処理の方が頭が痛いからな。でも悪い感じではない」
そう、ラングゥはエクリと違ってこの作業は公的作業の同行員なのだが、あくまで情報文化庁からの依頼なのだ。研究主題はそれとしてこなさなければならない。つまりエクリの二倍の研究時間を費やしていることになる。とはいえ、その時間に及ばないというわけではない。なぜなら、
「それで私的な研究はどうなってんだ?」
エクリが抱えている興味をそうそう置き去りにはしないからだ。
「困難だった短歌をようやく足がかりができた感じ。ホント、前の人にとっては常識でたやすいことだったろうけど、私にとっては難しいね。てか、私たちにとってかな。この詩形はもう古典だし。こんな短い詩形で表現しようって、よく思いついたよね。宇宙人から教えてもらったのかな」
「どれ? 見せてもらえる」
会話まで文芸的にされ、それに相手もしていられない。きっとエクリは疲労してハイになっているのだろうと、あえてラングゥは宇宙人云々にはまったくタッチしなかった。エクリもキーフレーズを言ったわけでも、自信のボケでもなかったので、ラングゥに記号器ではなく、ノートを差し出した。
「ヤクモ立ついつもヤヘ柿妻籠みにヤヘ柿作るそのヤヘ柿を」
性格の割にかわいらしいエクリの文字である。それを以前意外そうな表情で見られたことがあった。しかもその顔はラングゥだけでなくハロルやフィアン、フィエも同様だった。字の個性で言えば、ラングゥの続け字は達筆すぎて読みにくいし、ハロルは自作の記号みたいになる場合があるし、フィアンとフィエはこぢんまりして整えられている。
「意味はまだ分かんないけど。ラングゥが前言ってたアライグマなのかなと思ったけど」
「アナグラムな」
さすがラングゥである。エクリがさらっといった天然の意図をちゃんと汲めている。ハロルなら、しりとりが始まりそうである。
「そうそれ。でももう一つ可能性があって。短歌って本歌取り?っていう元の短歌の要素を使って別の詩作をする技法があるんだって。だからそっちの線かもって。どうしたの、ラングゥ。顔がおかしくなってるよ」
「ん? これに似たのを見たことあるぞ」
言われた文末を訂正もせずに、そう言ってラングゥは自身の記号器の画面に指を滑らせた。
「俺もちょっと伝手を使っていくつかの短歌を調べたんだ。都州立の考古物館に保管されている古書まで手を伸ばすとは思わなかったがな。あ、これ」
そこには「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を」と書かれてあった。
「この短歌が短歌の歴史の発端らしい。まさに伝説の詩ってとこだ。ん? これってその本歌取りになってるか? 文字が変わっているだけじゃないか?」
「う~ん、そういうのも本歌取りなんじゃない? そうかそうじゃないかはもっと調べてみるけど、てことは単に自作ってわけでもないのか。その短歌の発端を書き写す段階で書き間違えたって線もあるか」
「それもありうるな。どっちにしろ、この書き手が依拠しようとしていた先例があるってことは、その書き手が何を考えていたのかって知るきっかけにもなるな」
ラングゥは顎に手を当てて本人の課題のように思案をしている。そこはさすがに文筆家。エクリが考え及ばなかった点を指摘してくれた。おかげで、エクリは勢いよく反応してしまった。まるであの書庫と同じだった。エクリが入る前カーテンに閉ざされ、埃っぽかった。カーテンを、窓を開けると、そこに光や風が躍ったのだ。
「思いってこと?」
エクリの跳ねる声に、司書官が渋い顔をした。図書室の受付カウンターだけが司書官の仕事ではない。この司書室でこなさなければならない事務作業もある。エクリは、いわば居候。つつましやかにしていなければならない。それをいきなりこれでは仕方ない。
「大きな声出すなよ。そうだな。他にも書き写した短歌がないか探してみるか。あれば、その人の思考過程が読めるかもしれない」
エクリだけでなく、ラングゥも頭を下げた。司書官は瞬く間に笑みを造り、それを悟られまいとわざとらしく真顔になって業務に戻った。
二人の視線は、手記に戻る。見開きのページに記載されていた五十首の内、
「鳴けば聞く聞けばミヤコの恋しさにこの里過ぎよ山時鳥」
ラングゥが手早く検索した結果、書き写しがあったのはもう一首のみだった。
「タメカネ・キョウゴクの短歌だそうだ。ん? これって」
詩の元が見つかったのはいいが、ラングゥが真顔になる。
「どうしたの?」
今度はお茶らけた文末にはしなかった。ラングゥが言葉を濁すことは多くない。だから、何が小さくない発見があったのだ。
「いや、これ」
どこか抜けたような顔つきで記号器をエクリに見せる。
「サ州、といってもはるか以前の地域名だった頃だけど、その時に流された貴族の短歌だって」
「ちょっとこれ何! この短歌の意味は? 知ってる?」
声を破裂させてしまい、エクリは再び司書官に睨まれた。先ほどより深く頭を下げる二人。ラングゥは完全に巻き込まれただけなのに。
記号器を見直す。そこには短歌と、その短歌の簡単な作成経緯しか載っていなかった。これだけでは何の手がかりにもならない。
「それなら」
そこで司書室にいることを幸いに、そこに設置されている端末経由で古い書籍とサ州の歴史を調べ、この歌人の生涯や遠島の理由、その他の詠まれた短歌が整理されている情報を読んだ。
「鳴けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山時鳥」
本来の短歌が現れ出ると、エクリはそれまでよりもまじまじとそれを見た。黒い瞳が手のように 何かを握ろうとしている。
「どうした、エクリ」
「いや、なんでもともと漢字で表記してあったのを、わざわざカタカナにしたんだろうなって思って」
「カタカナ表記の特徴は、外来語や、あるいは名前を表す時だな」
「誰かの名前ってこと? それなら短歌の意味がもともとの短歌から離れて、すぐれて個人的な思いが負荷されているということになるでしょ」
「だろうな。だから、この二首をピックアップしてアレンジしたんだろうな。しかし、ここにきてあサ州と縁があるとはな」
「そうだね」
興奮が収まらなかった。ずいぶんと時間を割いてしまったラングゥは司書官たちに礼をして早足で去って行った。
「いったいなんなんだろうな。おっといけない、いけない。公式業務優先!」
自分に言い聞かせ、ちらちらと気になる気持ちを振るって作業を続けた。が、始めた途端に、
「あーもう! あのことラングゥに聞こうと思ってたのにー」
失念からの想起があまりに悔しかったのか反射的に声が出た。さすがに三度目は司書官から直接叱られてしまった。