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エクリ・チュールは止まらない  作者: 金子ふみよ
第一章
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エクリ・チュールは書庫整理をする

 エクリ・チュールが第五書庫に入ったのは、休日の前日の午後から講義のない日のことだった。

 昼食を終わらせてから、司書室へ寄ってあいさつをした。司書官の方々が図書室だけでなく、書庫を管理していたからだ。そこで段取りを聞いた。詳細な手順や注意事項が書かれたペーパーが挟まれたクリップボードが渡された。整理と言われたから大掃除の盛大ヴァージョンを想像していたが、実際は蔵書の確認だった。

 図書館の裏にある書庫に入ると、かなり埃っぽかった。一定の室温が空調によって保たれてはいたが、ただ入館しただけで顔を汗が伝った。書庫を入ってすぐにこぢんまりとではあるがカウンターがある。そこに荷物を置いた。タンブラーから冷たい紅茶を一口飲んだ。エクリの目の前には、仁王のように屹然と棚が並んでいる。

 日差しの入らない方向にあるカーテンを広げて、窓を開けた。生暖かさを感じるような、あるいは涼やかさを感じるような明瞭な風は入ってこなかった。入ってきているのかもしれないが、それはエクリには感じられなかった。

「そう言えば、ラングゥが、ヤスナリ・カワバタがお薦めだって言ってたな。一応探してみようか、覚えていたら。いや図書館にあるか」

 鞄から記号器を取り出した。それはクリップボードほどの大きさで、遠隔通話や文面の送受信、情報検索ができたり、写真や動画の記録撮影ができたりする装置。学生全員が入学時にかなりお手頃の価格で購入する、これも必要な文房具の一種だった。小型のスピーカーをつないでから、専用のペンで記号器の画面をなぞる。軽妙なポップ音楽が流れだした。

「よし、始めるか」

 蔵書や寄贈書が増えるにつれて増設していった書庫の中で、第五書庫はまだ建って数年しか経ってない。施設が真新しいとしても、書籍がそうとは限らない。取り扱いには白手袋をしなければならなかった。クリップボードに挟んだ注意事項は一応頭に入っている。手順を諳んじて確認してから、司書室から預かった記号器を起動した。書庫におさめられた書籍のタイトルや入庫年月、状態を示す画面があった。そこに確認したら専用ペンで印を記していく。その他、自由記載の欄もあり、特記事項があれば記入しておくようにとのお達しも承っていた。

作業開始。身長よりも高い段は脚立を上がって一冊ずつ確認した。

「やっぱり多いなあ」

 何冊か開いてはそんなことを呟いた。何度呟いたところで書籍数が減るわけではないのだが、言いたくなるのだ。

 休憩をはさみつつ、数時間が過ぎた。徐々に日が傾いていた。

 疲労感とシパシパする瞼に気合を入れて、もうひと踏ん張りと手を伸ばした。出入り口から一番遠くにある棚の、一番上の端っこ。そこに一冊があった。その段の他の本からは距離がおかれ、棚の内壁に傾いていた。その下まで行くと、古めかしい、薄い一冊というのも見てとれた。記号器の画面を凝視する。該当する詳細な説明がなかった。

 脚立を持って来て、四段上がると、軽く勢いをつけて手に取った。表面を軽く、柔らかく手で払った。乾いたわら半紙のような質感の一冊だった。記号器を脇に挟んで、それを慎重にめくった。破損でもさせたら、担当官がおかむりになるのは目に見えていた。指導担当教官よりも司書官の顔を想像すべきなのだろうが。

 その一冊を持って、出入り口近くのテーブルまで戻った。それを置き、音楽を流していた記号器を持つ。静止させ、その画面上にペンを走らせる。すると、画面上にエクリが知りたい説明が現れた。

「やっぱり。日差しを受け続けた紙がこのようになるのは聞いたことがあったけど、品質の改良があって、もう今の紙はそうならない。だから、これはだいぶ前の紙だ。えっと、それなら」

 一冊の表面上を赤く点灯するペン先をなぞらせた。

「百年も経ってない。それなのに、こんなに古ぼけた紙になるのかな」

 記号器が算出した年代と同年代の他の書物と比較してみても、やはりこの一冊は古めかしい。

 小声でうなりながら再びペラペラとめくった。

「これ……」

 あるページに栞が挟まれていた。一冊よりはまだぼけてはいないが、それでも多年が経過しているようだった。上部にはかすんだ赤い色の紐が短く括られていた。硬い紙でできていたせいか、縁がボロボロとし整然としていないものの、ヨレヨレでクシャクシャになっているわけではなかった。それでも表面は黒ずんでいるというか、かすれていた。それを外して、そのページを見た。

「何、これ。読めない」

 エクリが見たことのない図象があった。

「河川の鳥瞰図……かな?」

 他のページは読むことが出来た。現代と異なる字体だったが、講義のおかげで見たことがあったのだ。パラパラとめくって流し読みをしていき、その最後のページには、

「遺言みたいだな」

 そう感じるような文面で締めくくられていた。だから、これは書物というより手記なのかもしれないと、エクリは思ったのだが、同時に一冊の手記が書庫に収められているものだろうかと、疑問が浮かんだ。

 記号器がリズミカルに鳴った。

「エクリ・チュールさん。もうそろそろ閉館になるので司書室へ報告をお願いします」

 図書館の女性司書官の一人からの連絡だった。エクリは、片づけを始め、窓を閉め、カーテンを閉じ、用品を整えて書庫を出た。

 本館へ向かう。その一階にある司書室へ入ると、

「ここまで確認しました」

 預かった記号器を担当司書に返した(ところで。書庫での作業時、例の古い冊子についてあれやこれや調べる際、わざわざ自分の記号器を置いてある場所まで戻っている。手には作業用の記号器があるというのに。手間ではないかと。エクリ・チュールが司書室所有の記号器で検索しなかったのは他でもない。バレたら怒られるからである。「余計なことしてるんじゃない」と。司書の方々に? 否。いわずもがな教官によってである)。

「お疲れ様」

 五十代の、口周りに白いひげを蓄えた、受け答えが学生に対しても丁寧な男性だった。同研究室のラングゥほどではないが、やはり長身だ。白いシャツと茶色のベスト、スラックスの姿が品の良さを感じさせる。

「あと書物の間に挟まれていたもの、カードとかクリップとか紙類とか、それと栞なんかです」

 注意事項には、そういう物を回収しておくことも記されていた。だから、あの手記のような一冊からも栞を外して持って来ていた。

「けっこう進めましたね。今日はたくさん食べて、ゆっくり眠るといい」

 この人が指導担当教官ならばと、その上質なソファのような労いに感動すら覚える。反実仮想を抱いてもどうにもならない。それにイツヅ担当官をまったく毛嫌いしていると言うわけでもないのだ。ただもう少し柔らかいコミュニケーションを願うだけで。

「はい、ありがとうございます。ではお先に失礼します」

 深くお辞儀をして退室した。大学を一歩出て、斜陽を向いて背伸びを一つした。どことなくワクワクした感情がどうして起きているのか、エクリは分からなかったが、心地良い疲労感に一応充実した作業だったのだとは思って帰路を歩んだ。


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