エクリ・チュールは走っている
エクリ・チュールは、息を弾ませ続けていた。
「あー、ギリギリだな」
ちらりと見た腕時計をちらりと見やる。もう何度目か数えられないほどに。指定された時間へ刻々と迫っていた。流れる汗をぬぐう間もなく、走る速度を落とすこともできない。マラソンのインターバルトレーニングをしているわけでもなければ、想い人との逢瀬の予定というわけでもなかった。ただ待ち合わせという意味では、あながちずれているわけでもない。夏物とはいえふんわりとしたワンピースのような装いは、向かい風の抵抗になっているように感じていた。
河川敷を走る彼女の横を水上交通のバスが悠々と過ぎていく。このシンシ州は、水の州と呼称されるほど、河川が蜘蛛の巣のように広がっている。それは、単に自然地理上の特徴だけではなく、その水力を生かした発電や動力機関によって市民の生活が営まれていたからである。水上交通が盛んばかりではなく、道路は上下水道の管と同列に作られた水脈上を水流に乗って運行する仕組みの交通が整えられていた。現にエクリを追い越していく二輪車や四輪車の動力は石油ではない。
エクリが向かっている母校も川沿いにあり、すでに研究棟は屹立としているのに、残暑の厳しさの上に疾走するエクリには一向に近づいていないように見えて仕方なかった。彼女の頭を占めていたのは、先約の義務ではなく清涼を一刻も早く感じたいという衝動だった。