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エンハンスド・アクティヴェーター  作者: 七里田発泡
episode1 啓明の子
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一時のスターダム

 直樹は口を硬く閉ざしたまま端末ターミナルに真っすぐ足を向けた。壁際に備えつけられた長方形のベンチとベンチの間にそれはあった。彼が筐体の操作卓コンソールパネルに触れている間、誰も口を開かない。先ほどまでの選手たちの喧騒がまるで夢幻の出来事のように感じるほどの長い沈黙。


 筐体の内部機構であるアクチュエーターの駆動音が大きく廊下に反響していくのと比例するように、直樹の肉体は指先から徐々に粒子状となって分解される。実体が揺らぎ透けてと、背景の白い壁が視界に飛び込んでくるようになる。少しずつ少しずつ。空間の中に存在が溶け込んでいき、そして煙のように消えた。


 あの時、彼のお願いに耳を貸さなければ良かったのだろうか。レースに出た方が良いという誘いも断ればこんな事態に陥ることはなかったのだろうか。気軽な気持ちで返事をしてしまった過去の自分はなんと迂闊だったことかと俊輔は今になって後悔をしはじめる。


「麻子ちゃん。直樹のことよろしくね……俺の立場じゃ今のアイツに何も言えないから……」


 麻子は小さく頷いた。


「ごめんな。俺のせいで」


 俊輔は勝負ごとの際は故意に力を抜くようなことはこれまでしないようにしていた。例え相手が誰だろうとその時、自分が出せる全力をぶつける。それこそが相手に対する最低限の礼節だと信じていたからだ。特に直樹は他人から手加減されたり見下げられることを最も嫌っている節があった。手加減をすればすぐにバレてしまう。


「ううん。気にしないでシュン兄。お兄ちゃん大丈夫だと思うから」


 心優しい彼女は俊輔のことを気遣ってそう言ってくれるが、俊輔には今回の件は大丈夫だとは思えなかった。


 ランペイジレースの練習相手になって欲しいと直樹から頼まれてからまだ僅か3か月しか経っていない。必死に努力を続けてきた直樹のことを知っている俊輔の心境は複雑だった。


 濃紫色のベールを全身を纏ったマシンに俊輔は『ヴァイオレット』と名付けた時のことを思い出す。


 直樹は「お前はいつもネーミングが適当だな。見た目そのままじゃないか」と破顔していた。


 確かに適当かもしれない。しかし実際にその名を口にした際の言葉の響きも存外に良く、俊輔は純粋に良い名前だと思った。あの頃に時を戻せたらいいのに。


 初めて『ヴァイオレット』のハンドルを握った時の高揚感とネオンが煌々と灯る真夜中の電脳都市を走った時。背筋に電流が流れたような感覚を忘れられることはできない。それはクリスマスイブの夜にずっと欲しかった玩具を施設長から買い与えられた時に感じたものと似ていた。


 宙を漂うホログラム広告。

 ソリッドなデザインの高層ビルディング。

 窓の外に広がるミズシロ臨海工業地帯の風景。

 それらが右から左へ遠ざかるように流れていく。


 アクセルペダルを踏む度に身体が押し付けられるように掛かるG。

 マシンとボディを同調させた時の一体感。


 俊輔がレースにのめり込んでいくまでにはそう長い時間は掛からなかった。

 スピードに取り憑かれると、設定された同じコースを何度も走った。

 昨日より今日。今日より明日。徐々にレコードを縮めていく。


 お手本となる直樹の存在が身近にいることも俊輔にとっては僥倖ぎょうこうであったと言える。直樹が長い時間を掛けて独学で培ってきた知識や経験を頼りに、凄まじい速度で教わったスキルを自分のモノへと昇華した。


 スキルを磨けば当然、行動の選択肢が増える。増えた選択肢の中から自分が最適解だと感じたものを直感的に選ぶようにした。判断が正しかったかどうかはレコードに表示される数字を見ればすぐに分かる。


 大会で勝利を収めるために練習続けたわけではない。ただ走るのが面白かったのだ。試行錯誤を繰り返し縮まっていくレコードを眺めるのが楽しかった。走る理由はただそれだけでいい。


 だからレースなんて最初から参加しなきゃ良かったんだ。こんなことになるんだったら走るのも、レースも全部終わりだ。俺の居場所はここじゃない。


「俺、もうレースには参加しないよ」


 俊輔の言葉に、麻子は何も言わなかった。



 #####



 怪訝な顔1つ浮かばせることなく直樹が俊輔の指導役を買って出たのは覚えの良い彼ならば、中級AI程度の実力をすぐにでも発揮できるだろうという見込みがあったからだ。


 プログラムに通りにしか動かないAIを相手するよりも規則性の無い人間を相手にしたほうが本番に近い状況を再現できるため直樹の練習にも身が入る。それに《《あの》》菊池俊輔にレースに勝てたという客観的事実を手にすることができるという後ろ暗い思惑もあった。


 素人を相手に走ることに対して後ろめたさが無いわけではない。だが、それにもまして直樹は何でも卒なくこなしてみせる俊輔を相手に勝てる分野が自分にはあるのだという確認証明がしたかった。


 直樹は慧眼けいがんの持ち主で俊輔にレースの素質があることを見抜き、その通り彼はすぐに結果を出した。

 

 《《予想以上》》の結果を。


 幼い頃から長い時間を共にしてきた故に彼に対する劣等感に苛まれ続けていた直樹は常に周囲の人達から彼と比較されているような気がしていた。


 現実世界でも人並以上の身体能力を有し、施設内でいつも人の輪の中にいる俊輔。彼より秀でているものが自分の中にあるとは思えなかった。ランペイジレースに出会うまでは……。


 サイバースペースから現実に戻った直樹は後頭部のジャックから筐体に伸びた神経接続プラグ(NCP)を乱暴に引き抜くと、真っ先に個室トイレへ駆け込んだ。人感センサーが反応し便座のフタがオートで上がる。ただそれだけの出来事でも今の直樹をささくれ立たせるには十分だった。


(どうして、どうしていつもこうなんだ!!)


 個室の扉を背にし後ろ手でスライド錠をロックすると堪えていた感情は滂沱ぼうだの涙となって瞼から零れ落ちた。


 俊輔に初めて敗北を喫した時のことがふと頭をもたげる。


 ーー偶然だよ偶然。今回は運が良かっただけだ。俺なんてまだまだ直樹の足元にも及ばないよ。


 ”偶然”だと。


 『ホーネット』のすぐ後ろに張り付くように追ってきて、Cビームを照射し電子戦闘《EC》に持ち込んだことを単なる偶然の言葉で片付けられていいはずがない。自分の機嫌を伺うための用意された詭弁に視界が赤く染まっていくのを直樹は感じた。


 運転技術に関しては自分の方が優勢だった。Cビームの有効射程範囲内に入らないよう距離を離すことができれば電子戦闘は回避できる。万が一、電子戦闘になっても妨害電波ジャミングで攪乱させることができれば、勝機はある。そう自分に言い聞かせ勝負に臨んでいた自分はまるで道化だ。


 2度も連続で負けた。

 そこには圧倒的な実力の差があった。

 これでもヤツは”偶然”と言うのだろうか。


(ちくしょう。ちくしょう。僕のこれまではいったい……)


 方眼紙状に敷き詰めたターコイズブルーのタイルの床の上に座り込む。両膝を抱えて、顔を伏せると直樹はみっともなく嗚咽を漏らし、とにかくここから消えていなくなりたいと願った。


『ホーネットのあんちゃん。今回も頼むぜ』


『お前に全額賭けちまったよ。まぁ、おたくの勝利は確実だから何も心配はしてないんだが、いかんせんオッズが低いのがねぇ……』


『今日もいい走りっぷりだったなぁ。』


 だらしない腹をした中年男性達から以前、掛けられた言葉の数々。妄想の中の住人達は冷えたビールを喉に流し込み、黄ばんだ歯をみせながらこちらへ笑いかけてくる。


 それらがみな自分への嘲笑をに感じられて仕方がない。


 アンダーグラウンドな界隈で一時のスターダムに酩酊していた自分は何と滑稽な存在なのだろうか。結局酔っていたのは自分だけだ。これでは本当に道化だ。


 敗北者は冷ややかな視線を浴びせられ、最後には見捨てられる。親が自分達、兄妹を施設に預けたように。最初から何もなかったように皆の思い出の中に自分と言う存在が埋没していく。その恐怖。


 閉じた瞼の裏で細切れになった記憶がめちゃくちゃにつなぎ合わされたフィルム映像みたいにフラッシュバックした。


 夕日の逆光で黒く塗りつぶされた母の顔。

 高い壁に囲われた施設。


 その正門の前に立たされた幼い2人の兄妹は母から非情な一言を告げられる。


 ――さようなら。


 たった五文字の別れの言葉を境に母と兄妹はただの他人同士の関係へと転ずる。


 血の繋がりは何の保証にもならないことを知ったその日。

 奇しくもその日は直樹の誕生日だった。













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