レースの行方
『ホーネット』の強固なセキュリティは外部からの侵入を拒む有刺鉄線を彷彿とさせた。マザーボードには幾重にも防衛レイヤーが重ねられ、行く手を阻むように各レイヤーそれぞれが厳重に暗号化されている。それだけには留まらず数分ごとにシステム全体をボットが定期的に巡回しクラッキングの妨害をしてくるという二重三重の防壁の構えに先が思いやられる。
(相変わらず面倒なセキュリティ構築してんなぁ)
『ヴァイオレット』のセキュリティもそれなりに盤石な防衛プログラムを記述しているがここまで複雑な代物は俊輔にも組むことはできない。彼がシステムに潜り込むことを最も得意としているのとは対照的に直樹はセキュリティ対策のスペシャリストであった。
高性能セキュリティプログラムで外部からの侵入を拒絶し、堅牢な防衛網から漏れ出たウイルスをマニュアルで削除するという防御に徹底する戦術を好む直樹。攻撃こそ最大の防御と言わんばかりに大量のウイルスプログラムを送り込んでマシンを無力化する戦術を好む俊輔。
相反する性質の2人のマシンが華やかに立ち並ぶ摩天楼を縦横無尽に駆け抜ける。電子戦闘という水面下で行われる対照的な両者の死闘はやや俊輔の不利に見えた。
『ヴァイオレット』に搭載されているターボチャージャーのエネルギーは既に底をついている。その上、直樹と運転技術も同程度となれば俊輔がレースで勝利するのは絶望的だろう。だから俊輔はなんとしても『ホーネット』のセキュリティ防衛網を突破してシステムをハックしなければならない。
暗号記憶装置に複数の入力を与え、戻ってくる反応を確かめる。
複合時の処理時間の差。
エラー内容。
残された時間精一杯にトライ&エラーを繰り返し、吐き出されたレスポンスの違いから解を見つけ出す。
そして、
(見つけた)
ゴールまで僅か1キロと目前となったところで暗号解析に成功。
(このままじゃ間に合わない……)
解読に些か時間を掛けすぎた。これではゴールまでの僅かな時間でシステムの根幹を担うマザーボードを攻略することはできない。俊輔はそう判断を下しセキュリティが脆弱な加速制御装置をピンポイントで狙うプランに変更する。
『ホーネット』内部を巡回するボットにデコイを噛ませている隙に加速制御装置のコントロールを奪った。エンジンブレーキが掛かり『ホーネット』のスピードが落ち始める。
(引っ掛かってくれよ)
直樹から送り込まれてくる妨害電波のタスクをキルしていきながら俊輔は放り込んだデコイの中にマルウェアを忍ばせていた。
あとは獲物がトラップに引っかかるのを待っていればいい。攻撃する手段がないのならば誘い出して糸で絡めとってしまえばよいのだ。
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(アクセルが効かない!?)
一瞬、故障の二文字が直樹の脳裏を過るが、すぐに加速制御装置がハックされたことに気づいた。
(くそっ。巡回ボットもハックされてる……)
ゴールまで960。950。940。
1度だけ小さく舌を鳴らすと直樹はこれ以上のシステムへの侵入を阻害するために妨害電波プログラムを呼び出す。巡回ボットが停止した状態で俊輔によるウイルスの波状攻撃を許してしまうと、こちらの対抗手段は無くなる。電子戦闘において彼の右に出る者はいない。
だからこそ直樹は長い時間と手間を掛けてセキュリティシステムを構築してきたのだ。
(このままだと中枢システムまでやられる……)
巡回ボット内のシステムファイルを展開しプログラムの再起動を試みようとするがその行動が直樹の敗因に直結した。
巡回ボットはコントロール権を奪われ停止していたのではなくデコイによって停止しているように単に《《見せかけている》》だけだったのだ。
システムファイルを展開する前に巡回ボットの挙動を確認し、マルウェアに汚染されていないかどうかを確認するという普段であれば絶対に省略しない作業を省略したことで払うことになった代償はあまりにも大きい。
勝てるかもしれないというはやる気持ちと、無力化されるかもしれないという恐怖が同居し正常な判断能力を失っていた直樹は初歩的なミスによって身を滅ぼすことになった。
防衛障壁が破られシステムが完全にダウンした『ホーネット』を横から猛烈なスピードで追い抜き、GOALの文字がまたたくホログラムの中に飛び込んでいく『ヴァイオレット』の赤いテールランプを直樹は茫然とした表情で静観することしかできなかった。