ランペイジレース
スタートシグナルが緑に発光したと同時に一斉に数台のマシンが飛び出した。三車線の幹線道路上でマシン達は即座に激しい攻防にもつれ込み、早くもクラッシュする車両が続々と現れる。
コースに合わせた調整ができていなかったマシンは序盤からこのような悲惨な結末を迎えることが多い。設定された天候、予想される展開、搭載している兵器などあらゆる情報を統合してドライバー達は自らが乗る愛車を調整しなければならない。
現段階で先頭を制しているのは『ホーネット』、後続に『マゴットペイン』そして菊池俊輔がハンドルを握る『ヴァイオレット』の三車両。
そしてこの先頭グループのであるマシン達は今、ヘアピンカーブがあることを示すサファイアに光る誘導灯を猛烈な速度で横切った。
『ホーネット』のドライバーが適切なタイミングでアクセルペダルから足を離しコーナリングラインの基本であるアウトインアウトを用いて車体に働く遠心力を減らしながらもスピードを維持し、弧を描くようにしてカーブを曲がった。
そのすぐ後をつけていた『マゴットペイン』は『ホーネット』のコーナリングの内角に鼻先を無理やり突っ込み、両者は接触寸前の横一列に並列した形になる。従って立ち上がりの早かったどちらかが恐らく首位となることがここから予想される。
俊輔の『ヴァイオレット』は前方二車両よりもやや遅れてカーブに差し掛かった。スタート時にアクセルを踏み込むタイミングがやや遅れたのだ。ここで冷静さを掛けて無理な走行を続ければタイヤはすぐへたれてしまうだろう。
小さく息を吐く。
まずは十分に減速をするためにギアを1段階落としてエンジンブレーキを掛けるがその矢先、シートに接続されている俊輔の身体が跳ね車体が大きく揺れた。
『ヴァイオレット』のリアバンパーに後続が鼻先を突っ込むように衝突し、コーナリングを妨害してきた直後、フロントディスプレイ右上部にウインドウが出現し『スーパーファランクス』を駆る下劣なニヤつき顔が俊輔の視界に飛び込んできた。
「今日こそはお前を叩きのめしてやるからな」
レース中に通信回線に割り込んでくるドライバーは得てして勝ち負けにあまり拘りのない人間が多い。ウインドウ内で下卑た笑みを浮かべている田中もそういった類の人間だ。勝利することより嫌がらせそのものが目的となっている。
――うるせぇなこいつ。
俊輔はハンズフリーで素早く音声機能をミュートにした。シートの背もたれと接続された神経接続プラグ(neural connections plug)の恩恵によって『ヴァイオレット』と俊輔の肉体は同期している。
神経接続プラグは1次ニューロンと2次ニューロンのシナプス伝達の場である脊髄後角や脳とを繋ぐインターフェイスとしての役割を担っていた。
マシンとボディーがコネクトされている間は脳神経ネットワーク上に流れる微弱な電波及び信号はフーリエ変換され、思考ルーティンをプログラムとして直接マシンに吐き出すことも”痛覚”という不都合な情報すらも意図的に遮断することが可能となる。
痛みという外部からの強烈な刺激情報を途絶できるという事実は一定数の特定の人間をならず者へと変貌させ、闘争へと駆り立てる。例えばウインドウ枠内に収まっている田中誠一のような人間がその典型だ。
「くたばれや!!シュン!!!」
田中の『スーパーファランクス』はステアリングのことなど全く意識していないドラッグレースに近い仕様となっていた。途轍もない熱を路面に撒き散らしながら推進効率を徐々に高めさらに俊輔の背後に迫る。電子戦闘《EC》(Electric Combat)衝突しそのままコースアウトさせる気なのだ。
(脳味噌に筋肉でも詰まってんのかッ!! こいつ!)
俊輔は舌打ちをしながらもカーブに進入する。
(アレを使うか)
速度を落とす気配を見せない『スーパーファランクス』はじりじりと近づいてきていた。使用の是非を迷っている暇はない。そしてまさに衝突する寸前といったところでアクセルペダルを強く踏み込んだ。圧縮された空気は熱を持ち、熱を帯びた空気は『ヴァイオレット』に搭載されたアルバスター・エンジンでエネルギーに変換される。
マフラーが火を噴いた。
アフターバーナーを入れることによりコーナーからの立ち上がり時の推力を高めつつ相手の視界と判断力を奪う、まさに一石二鳥の妙手。
想定外の『ヴァイオレット』の挙動に田中は目を丸くする。
「そんなのありかよぉぉ!!」
捉えたと確信し、伸ばしたはずの手が空を切った時の虚しさは計り知れない。
『スーパーファランクス』は案の定、ヘアピンカーブを曲がりきることができず、馬鹿でかいエンジンの駆動を轟かせながらもコースを真っ直ぐに飛び出していった。悲痛な田中の叫びがビルの谷間へ吸い込まれていくように消えていく。
もし今回ターボチャージャーを積んでいなければ、あのような無様を晒すことになったのは間違いなく自分の方だっただろう。いくら脳筋の田中とはいえ序盤から捨て身覚悟の特攻なんて馬鹿げた真似はしないだろうと高を括っていたのはどうやら迂闊だったようだ。
目先の障害は取り除いた。距離を離されてしまった俊輔は『マゴットベイン』と『ホーネット』の赤く尾を引くテールランプを追うことに意識を集中させる。
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摩天楼の間を全身を駆け回る血管のように張り巡らされた幹線道路には今回のレース参加者以外の車両は見当たらないのはこの世界が創られたものだからだ。今回設定されたレースコースは所々、蛇のようにうねるカーブが随所に配置され、上空から俯瞰し全体を見渡してみるとぐるりと都市周囲を一周回る環状道路となっていることが分かる。
『永尾ジェネラルエレクトリック』のビル看板が派手なネオンに彩られ、清涼飲料水メーカー『トヨトミビバレッジ』の広告ホログラムが浮揚する。
レースの1周目は基本的には通常通りのレースで純粋な運転技術が求められるが、2週目からはマシンに掛かっていた電子戦闘《EC》制限が削除されるようになり、レース内容はより一層混沌を極めるものになる。
そのため電子戦闘《EC》を不得意とする者は1周目に距離を稼ぎ、貯金を作っておかなければならない。
『マゴットペイン』のドライバー、榎田博一は焦っていた。レースは後半の3週目に突入しようとしていた矢先。ネットワークシステム内部にハックされ、意図しないスクリプトが自動実行されるようになっていたのだ。
榎田は片っ端からタスクをキルしていく。構築した防衛網を突破され、進入を許してしまった以上は車両のコントロール権を奪われないよう必死に応戦して抗うしかない。
(何てややこしいウイルス組んでやがるんですか、シュンさん!!)
榎田の網膜上に直接映し出される拡張可能インターフェイスに溢れる大量のスクリプトの羅列に思わず目が滑る。
キル。キル。キル。キル。十分に距離を離していたはずの『ヴァイオレット』がもうすぐそこまで迫ってきている。脂汗がにじみ出るようなヒリヒリした緊張感にハンドルを握る手が震えた。
運転と電子戦闘。どちらも器用に両立させなくてはならない。それはこのレースで勝利することがいかに困難を極めるかを如実に表していた。
しかしどちらかいずれかに重きを置けば、かならず一方は疎かになってしまうのが人の性というもの。最終的にはドライバーが持つ集中力の差異が勝者と敗者を分ける分水嶺となるのは言うまでもないだろう。
タスクキルに追われていた榎田はS字カーブのライン取りをミスしてしまったことに遅れて気づき慌てて軌道修正に取り掛かる。
がその直後。背後にぴったりと張り付いていたはずの『ヴァイオレット』がアフターバーナーを入れ、『マゴットペイン』に横付けし、ECMを起動した。
強烈な電磁パルスが内部の回路を焼き切りショートさせると一切の操作を受け付けなくなった『マゴットペイン』はスピンしながらコースアウト。榎田はレースから脱落となった。
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最終ラップは『ホーネット』と『ヴァイオレット』の一騎打ちになった。
黄金色にペイントされた『ホーネット』の車体は闇夜を照らす一筋の光を思わせるのに対し、『ヴァイオレット』の車体は夜に溶け込むような紫色をしていた。
(やるな。直人)
『ホーネット』のドライバーの名前は武内直人。
彼は俊輔の親友で良きライバルでもあった。