その名は遙か
ミーチェの家は、職人街の中でも比較的立派な作りをしていた。元々上昇志向が強かったらしい父親は、店構えにも気を遣っていたようだ。
しかし一度中に入れば、其処は職人の住処。無骨で飾り気のない内装が一行を出迎えた。
「すごいわ……これ全部、加工に使う道具なの?」
「そうだにゃ。……ところで、この家にあの魔石の気配はあるにゃ?」
「えっ」
確か災厄の魔石は大公の元へ持ち込まれたのではなかったのかとミアが不思議がっている横で、クィンが小さくなるほどと呟いて辺りの気配を探った。
「此処には欠片も残っていないようです。加工したなら、粉末くらいありそうなものですが」
クィンの言葉を聞いてようやくミアも理解出来た。ミーチェの父は、災厄の魔石が持ち込まれて魅入られ、献上品として大公の元へ向かったのだ。まさか欠片をそのまま持っていって献上品だと宣うわけにはいかない。多少なりとも見栄えのする形にしたはずであり、それなら削り出した粉や破片があってもおかしくないはずである。
だが、此処にはそれが一切残っていない。気配の残滓すらない。
「災厄の魔石の粉末と言えば、闘技場で使われていなかったかい」
「……まさか」
一行の脳裏に、ルゥの一件が過ぎる。
守りたかったはずの弟たちに魔石の粉末を用いて作られた呪詛薬を使われ、更に同じものをルゥ自身も飲まされて、危うく命を落としかけた闘技場での悲劇が。
災厄の魔石は持つものを惑わして取り入り、心を壊す効果がある。元が強力な願い石だったため願いを叶える力そのものは強いが、叶える方向性は必ず歪みきっている。ルゥの兄弟を守りたいという願いも兄弟たちのまた兄弟揃って逢いたいという願いも、最悪の――最期に自我を取り戻し、魔骸としてではなく元の兄弟として死別する――形で叶えられた。
「此処に魔石が持ち込まれたのは、実際にはもっと前だったのかも知れない。それとも、街で噂になったのが初めてじゃなかったとか」
「有り得るな。自分のものとして手に入れてなかったから最初は手放せたが、あの魔石は抑も持ち主を選ぶ。有名なほど野心が強ぇなら、何度目かで選ばれちまったとしてもおかしくは……っと、悪ィ。親父さんのことなのに、好き勝手言いすぎた」
「ううん、ミーチェはへいきにゃ。本当のことだしにゃ」
そう答えながらも、ミーチェの声音は冴えない。浅く俯いているためヴァンの目線からは表情を窺うことが出来ないが、背の低いミアにははっきり見えている。
怒りとも哀しみともつかない、何と表現すべきかわからない複雑な表情で加工台を睨んでいる、鋭い猫の目に浮かぶ、薄い涙の膜さえも。
「……お父さんは勝手だったにゃ。お母さんが出て行っても何にも言わなくて。ずっとお仕事だけしていた人にゃ。ミーチェが残されたのは、一人でも生きていける年だったからにゃ。あの学園に入るのを許可したのだって、本当は厄介払いだったにゃ。学費も入学金もミーチェは自分で稼いで出したにゃ。そうしてでも、ミーチェは家を出たかったのにゃ。でも……」
ぼたりとミーチェの両目から大粒の雫が落ち、埃っぽい床にシミを作った。
「あの高名な魔術学園でいい成績を収めたら、ミーチェも有名な魔法使いになれたら……いつかはお父さんに見てもらえるかも知れないって思ってたにゃ……」
ぼろぼろと止めどなく涙が転がり落ち、水玉模様のシミはいつしか大きな一つになった。ミアはミーチェの体を抱きしめ、背中を撫でて慰める。言葉が何一つ出てこないから、その代わりに。
「全部、全部、叶わなくなっちゃったにゃあ……」
声を上げて子供のように泣きじゃくるミーチェを、誰も見守ることしか出来ない。下手な慰めは却って逆効果だとわかっているから。
この場にいる者は皆、ミーチェとは生まれ育った環境が違う。ミアは、妖精郷でなに不自由なく育てられた。傍には一番大切なクィンがいて、旅の始まりからヴァンが助けてくれた。シエルとも出逢って、歌うことの喜びをより強く知ることが出来た。良き縁にも恵まれている。
そんな立場から、いったいいまの彼女になにが言えるというのか。
(ルゥなら、いまのミーチェに寄り添うことが出来たかしら……)
彼に兄弟との離別を思い出させるのは酷だとわかっていても、思わずにはいられなかった。
暫くミアに縋ったまま泣き続けて、ミーチェは深く息を吐いた。
目尻に残った涙を拭い、気恥ずかしそうに一行を見つめて頭を下げる。
「急に泣いたりしてごめんにゃ。もう大丈夫にゃ」
「気にしないで。それより君は、今後も学園で学び続けるのかな?」
「そのつもりにゃ。いま一人になったら耐えられそうにないし、なにより新しい目標もあるにゃ。ミーチェはもっと鍛えて、ルゥのいた街で闘士としてお仕事するにゃ」
「ええっ!」
思わぬ将来設計が飛び出してきて、ミアは思わず声を上げて驚いた。
ヴァンたちも少なからず驚いた様子でミーチェを窺っているが、どうも冗談ではなさそうだ。
「ルゥからお話聞いたとき、ピンときたにゃ。ミーチェみたいな身寄りのない子は冒険者になるか頼る先を見つけるしかないにゃ。ミーチェは一人で旅するのはちょっと苦手なのにゃ」
ぐっと拳を握り締めて、力強く頷く。
精神的に何の目標もなく宙に浮いてしまうよりは余程マシだが、あの治安を見て来たミアには、それはそれでまた心配だった。けれどいま余計なことを言って心を挫く必要もない。あの学園なら進路相談もしっかりしてくれるだろうし、その上でなお心が揺らがないならミーチェはいい闘士になるだろうことも、何となく想像出来た。
ルゥのような華やかで人の目を引く闘士になれる素養が、ミーチェにはある。
「そうね。あの街にはいいオーナーさんもいるし、ミーチェなら人気者になれそうだわ」
「えへへ、お花ちゃんにそういわれると自信がつくにゃあ」
照れ笑いを浮かべつつ、ミーチェは扉に手をかけた。
「もう此処には戻らないにゃ」
扉を開けて、外に出る。
この言葉を言うのは二度目だった。一度目は、学園への入学が決まったとき。
父は、おめでとうの一言もないばかりか一瞥すら寄越さなかった。入学した程度では、見向きをする価値すらないのだと思い知らされた。
だから、捨て台詞のつもりで仕事をする父の背にそう吐き捨てた。
ミーチェは知らない。
有名になれば、いつか振り向いてくれるかも知れないという願いこそが、父もかつて抱いていた願いだったことに。有名になれば。この名が出て行ってしまった妻と子の元まで届けば。いつか、いつかは、その名を辿って戻って来てくれるかも知れない。
歪んでしまった願いの片割れは砕け、叶わぬまま無人の家に取り残された。




