夢の記憶
「皆さま、お待たせ致しました」
皆が所在なげに待っていると、后妃がメイドに支えられる格好で入室してきた。そのとき、共に付き従っているもう一人のメイドが、宝飾箱のようなものをテーブルに置いた。蓋と本体に魔石がはめ込まれた美しい箱だ。
空席に座り、両脇に双子姫が着いたところで、后妃は一同をゆるりと見回した。
「改めて、皆様に御礼申し上げます。此度の出来事は恐らく、我が国に災厄の魔石が持ち込まれたことに端を発するものと思われます。聞くところによると、東の大陸から不審な商人が流れて来たそうですね」
「俺も街で聞いたな。そんで職人街の加工師んとこへ預けられたとか」
「その魔石を手にした加工師が、ミーチェのお父さんだったにゃ……まさか宰相さんに化けてまで国のお偉いさんになろうとするなんて思わなかったにゃ……」
ひどく落ち込んだ声でミーチェが零すのを、隣でルゥが心配そうな顔で見つめている。彼もまた魔石によって兄弟を失っているのだ。経緯は違えど、心境は誰よりも理解出来る。
「ミーチェといいましたね。あなたに咎はありません。気にしないようにとわたくしが申しても、難しいとは思いますが……どうか気に病まないでください」
「后妃さま……ありがとうにゃ」
しゅんと下を向いた三角耳を、怖々とした手つきでルゥが撫でる。斜め横のソファに座っているミアも、彼女を案じる表情で見守った。
そんな一行の様子を暫し見つめて、それから、后妃は静かに語り始めた。
「……皆様にはお伝えしておきましょう。夫は災厄の魔石が持ち込まれた直後、あれの恐ろしさに気付き、わたくしを罪牢塔に匿いました。本当なら娘たちも隔離したかったのでしょうが……丁度港町へ出かけていたために叶わなかったのでしょう」
メリアエが、小さく息を飲んだ。
あのとき既に自国が災厄の魔石に蝕まれ始めていたなどと。だというのにそうとも知らず、街を訪れた吟遊詩人たちを蹴落として追い返し、見世物として嗤っていたなんて。
あまりの恥ずかしさに、メリアエは消えてしまいたい気持ちになった。
「献上品として差し出された直後に匿われたので、その後のことは兵から聞いた話になりますが、夫は自らの今後が長くないことを察してなにかを私室に隠したそうなのです。メイド曰く、それが何なのかはわからないものの、確かに見覚えのない機構匣が部屋にあったようです」
そして、と言って后妃はテーブルの上にずっと置かれていた箱に手を触れた。
「これがその匣です。しかしわたくしには開け方がわからず……機構術式が組まれていることと、蓋の魔石に一定の鍵を入力するであろうことだけはわかるのですが」
機構都市の大公妃でありながら肝心なことがわからず、后妃が己の知識の浅さを恥じていると、シエルが「風と夢の魔石が使われているみたいだね」と言ってクィンを見上げた。クィンは小さく「ふむ」と頷いてから箱を見つめ、箱に張り巡らされている機構を辿った。
「そうですね。夢の魔石は刻の魔石に連なるものであり、優しい記憶を閉じ込めるものでもあると聞きます。それと風の魔石が繋がっていますから、大公殿下や皆様の思い出の歌などが鍵となっているのではないでしょうか」
「思い出の歌……?」
双子姫が記憶を辿る。
これまで幾度となく、様々な歌を歌ってきた。志が歪んでしまう前も、二人の日常には常に歌があった。后妃も娘たちの歌をいつも聞いていて、楽しそうに歌う姿を愛していた。
その中でも、自らの最期を悟って大切なものを隠す箱に使うほどの歌とは何だろうかと考えて、メリアエは一つの歌に思い至った。
「もしかしたら……ねえメリアデ、あの歌ではないかしら?」
「ええ、お姉さま。わたくしもそう思っていたところですわ」
「なにか、思い当たる歌があるの?」
ミアの問いに、双子姫が揃って頷く。
「この国に古くから伝わる伝承を唱歌にしたものですわ。アルマファブルに生まれ育った者なら、誰もが一度は耳にしたことがある歌ですの」
「歌ってみましょう、お姉さま。わたくしが起動して初めて歌ったあの歌を」
双子姫は哀しみを堪え、僅かな希望に縋り付くようにして、二人の思い出の歌を歌った。
目尻に滲む涙は声を震わせ、震える声は后妃の胸を締め付ける。過日に歌ったときは、ただ心のまま小鳥のように声高く歌えていたものを。いまは心を切り裂いて溢れんとする深い哀しみを歌に変え、祈ることしか出来ない。
内容は、アルマファブルが祀る機構神と一人の姫巫女の出逢いと悲劇を歌ったものだった。旧い時代、まだ神代種族のほうがヒト族よりも多く地上に生きて居た頃。ヒュメンの少女が、機構神の許へ送られた。彼女は盲目だが歌声が美しく、ゆえに神の贄に選ばれたのだ。そうとも知らずに、少女は神の許へ送られることを誉と思い、喜びの歌を歌った。その歌声を気に入った機構神は娘を傍に置き、アルマファブルには二度と贄を送らぬよう、その代わりに国として幾久しく栄え、神と姫巫女を忘れることなく祀り続けるよう告げたという。
カチリ。
微かな音が箱から聞こえ、部屋中の視線が集まった。
「お母さま、開けて見てくださいまし」
「ええ……」
白く震える指先が箱を包み、蓋をゆっくりと押し上げる。
その中には、やわらかなクッションに包まれた一つの魔石が収められていた。
「まあ」
声を上げたのは、メリアデだった。
「お父さま、其処にいらしたのですね」
艶やかに磨かれた魔石の瞳が、喜色に染まる。
そう――――そういうことなのね。妹の言葉の意味を真っ先に理解したのは、メリアエだった。機構人形である妹の体を抱きしめ、頬に頬を寄せる。
その胸には、箱に収められているものとよく似た魔石が輝いていた。




