母子の再会
静寂を取り戻した謁見の間は、その内装をも一変させていた。
機構術式が組み込まれた金属質の壁は崩れ、やわらかな乳白色の石壁を露わにした。床を這っていた無数の太い管も、所々に埋め込まれていた魔石も、幻だったかのように姿を消している。
大きな安堵と僅かな困惑に誰もが立ち尽くしている中、クィンが玉座のあった場所へ近付いて、なにかを拾い上げた。
「ああ……ありました。やはり彼が加工して持ち込んでいたようですね」
災厄の魔石は、砕けたままの形ではなくアクセサリーに使用出来そうな美しいカットが施されていた。そうしたところで底冷えする悍ましさが消えるわけでもなく、また、魔石の性質が変化するわけでもなく。
最後にはいままで集めてきた魔石同様にクィンの手の中に吸い込まれて消えた。
「あの宰相とか名乗ってた人……ミーチェのお父さんだったにゃ」
「えっ!?」
不意に落とされたミーチェの呟きは、ミアたちだけでなく双子姫も驚かせた。
「そんな……キャスは職人でいらしたはずよ」
「いつの間にか入れ替わっていたと仰るの?」
「たぶん……お姫様がお城にいた頃、宰相さんはどんな人だったにゃ?」
メリアエはメリアデを支えながら、記憶を辿る。平和だった頃の出来事が何だかとても遠い昔のことのように感じられ、寂しげに目を伏せた。
「父の最上級補佐官でしたから、わたくしたちにとっては近寄りがたい厳格な方でしたわ。ですが街の歌い手を理由もなく処刑したり、ましてやわたくしたちに母の影武者などと理解に苦しむ罪を押しつけるような方では……」
「そんなのが国の上層にいたら、ローベリアより先に滅んでるだろうしなァ」
「じゃあやっぱり、様子がおかしくなった辺りで入れ替わったんだにゃ。お父さんも名声や権力が好きな人ではあったけど、こんなことするほどじゃなかったはずなのににゃあ……」
「それも恐らく、魔石の影響を受けてたんだろうよ。あんなもん加工して、無事でいられるわけがねえ」
出番のなかった短剣を撫でながら、ヴァンが辺りを見回す。
石造りの床に真っ直ぐ敷かれた絨毯や、荘厳な彫刻、装飾用の甲冑や燭台などが並ぶその先に、あるはずの玉座だけがない。
いつ、何故、どのようにして入れ替わったのか、本人が魔骸に取り込まれてしまったいま、最早知る術はない。今回の事件、他にもわからないことは多々ある。メリアデの歌声や、大公が一行に攻撃してこなかった理由、彼が何と訴えていたのかなど。それから。
「……! そうですわ、お母様は……」
双子姫は影武者などと言い訳をつけて問答無用に処刑しようとしたが、その影武者を雇った当の本人である双子の母――――后妃は死罪としなかった理由もわかっていない。
「噂じゃ幽閉されたとか聞いたが、お姫さん方は何処にいるかは聞いてないのか?」
「ええと……確か、メイドたちの噂で北の罪牢塔の最上階にという話は聞きましたわ」
「行ってみましょう。魔石の侵蝕はこのお部屋だけだったみたいだから、生きていらっしゃるかも知れないもの」
ミアたちは双子姫の案内で城を抜け、北にある罪牢塔を目指した。
それは敷地の外れにある灰色の塔で、見張りの兵士が常駐するための小屋が傍にあるだけの実に殺風景な建物だ。塔の前で見張っていた兵士にメリアエが声をかけると、兵士は驚いて道をあけ、扉の鍵を開けた。
「姫様、本当に大公殿下は……」
「ええ。お母様と相談して、近く正式に発表します。それまで騒がないよう周知してください」
「はっ! 畏まりました」
兵士に先導されながら罪牢塔を登っていくと、一枚の簡素な木製扉に行き当たった。それも解錠して、兵士が脇へと避ける。
室内には罪人を置いておくには随分と上等な家具が揃っており、特にベッドは貴人が使うそれと遜色ないほど立派なものが置かれていた。そのベッドの上に、腰掛けている女性が一人。
「お母様……!」
「メリアエ……?」
メリアエが思わず駆け出し、メリアデがあとに続く。后妃は少しばかり衰弱しているようだが、いますぐ命に危険があるような状態ではなさそうだった。窓の傍にある小さなテーブルを見れば、ごく最近食事をした形跡がある。
抱きしめ合う母子の再会にミアたちが安堵していると、ふと母子の視線が此方を向いた。
「そちらの方々は……?」
「わたくしたちの国を救ってくださった、冒険者の方々ですわ」
メリアエが答えると、后妃は両手を双子姫に支えられながら立ち上がり、ミアたちに向けて一礼した。幽閉生活のせいか顔色が悪く、立ち姿も何処か頼りない。だが、それでも彼女の持つ高貴な品位は僅かも曇っておらず、扉の一番前にいたミアは特に恐縮してしまった。
「ありがとうございます。あなたのことは以前、娘から伺っております。道を踏み外しかけていた娘に歌う歓びを思い出させてくださった方ですね」
「えっ……」
まさか后妃の耳にも届いていたとは思わず、ミアは驚き目を丸くする。しかし、考えてみれば、あれほど立派な馬車を褒美として与えられたのだ。后妃や他の人の耳に入っていても何ら不思議はなかったと思い直す。
「此度の騒動、深くお詫び申し上げます。一度ならず二度までもわたくしたちを救ってくださったこと、お礼の言葉もございません」
「いいえ、后妃さまがご無事で良かったわ。二人とも心配していたから」
后妃は改めてメリアエとメリアデを交互に見て、二人を優しく抱き寄せた。
「あなたたちが処刑されると聞いたときは、生きた心地がしませんでした。もし本当に処刑されてしまっていたなら、わたくしは立ち直れなかったことでしょう」
「わたくしたちも同じ気持ちでしたわ。お母様が捕らえられて、お会いすることもかなわなくて、どうすればいいのかもわからず……民に犠牲を出してしまったのですもの」
「ええ……そのことも、兵から話を聞いています。彼女の最期の歌は、この果ての塔にまで届いていましたから」
悲痛そうに眉を寄せ、后妃は一つ深く息を吐いた。立って話すだけでも疲れるようで、表情にも顔色にも精彩がない。
「いつまでも恩人の皆様方をこのような場所に立たせておくわけにはいきませんね。応接室へ案内して差し上げて。わたくしもすぐに参ります」
「わかりましたわ。皆様、あちこち連れ回してしまってごめんなさい。此方へどうぞ」
罪牢塔を降り、一行は城内にある賓客用の応接室に通された。
テーブルや部屋の片隅には生花が飾られ、立派な調度品の数々は曇りなく磨き上げられており、傍を通るだけでも緊張してしまう。足元にはやわらかな絨毯が敷かれていて、ヴァンは一瞬部屋に入るのを躊躇っていた。更に「お掛けになって」と薦められたソファは、賓客用だけあって一点のシミもない上等なもので、散々旅をしてきた服装で腰掛けるのがひどく躊躇われた。
とはいえずっと立っているわけにも行かず、まずミアとシエルが並んで腰掛け、いつものようにクィンはミアの傍に控えた。ミーチェは、ミアたちが座っているソファの九十度左側の位置にあるソファにルゥと腰掛け、そのやわらかさに感激したらしく、二人して毛並みを膨らませた。最後にヴァンがルゥたちの正面に怖々腰を下ろして、上座の席だけを残して全員が着席した。