断罪イベント物理中断
――――灰銀の街に、永久の闇が降る。歪んだ愛を、望まぬ歌を、哀しき別離を、虚ろな夢を、花咲く途にもたらした、永久の闇が降る。新たな悲劇を招かんと、永久の闇が降る――――
転移先は、アルマファブル公国市街の外れだった。
周囲の建物は石と木で出来ており、どれも古びた印象を受ける。家と家のあいだには、樽や箱や麻袋などの雑物が山と詰まれている。最後に人の手が入ったのはいつなのかすらわからないほど、家も道も閑散と廃れていた。
「此処は入学前、ミーチェが住んでた職人街だにゃ。中心市街はこの先にあるにゃん。ところで、お花ちゃんのお仲間さんは何処にいるにゃ?」
「クィン」
ミアが傍らに立つクィンを見上げると、彼は周囲に意識を巡らせた。
シエルの持つ魔素は特徴的でわかりやすい。何故ならいまは、エルフという種族自体が人の街にいないからだ。それがなくとも透明で爽やかな風にも似た彼の魔素は、何処にいても彼とわかる。
だからクィンは、すぐ違和感に気付いた。
「……シエルの魔素が、感知できません。それどころか、ヴァンや魔獣の魔素も、何処にも……」
「そんな……ふたりとも、いったいどうしてしまったの……?」
考えられる可能性は、然程多くはない。
一つは、魔素も気配も遮断する空間に捕らえられていること。
一つは、シエルがヴァンと馬車ごと劇場に閉じこもっていること。
一つは、クィンが魔素を感知できる範囲の外へ行ってしまっていること。
それらを掻い摘まんで話すと、クィンは仮にどれであっても問題が起きたことに変わりはないと付け足した。
「お仲間さんがいないのも変だけど、中心街が賑やかすぎるにゃ。まるで、街中の人が集まってるみたいだにゃ」
ミーチェが頭上の猫耳をヒクつかせながら、じっと遠くを見つめている。キュッと引き絞られた虹彩が、なにかを捕らえて広がった。
「……処刑? って、聞こえたにゃ」
「! すぐに向かいましょう」
「ええ」
一行が中心街へと駆けつけると、其処は真昼の街の賑わいとは全く異なる喧騒で満ちていた。
人々の視線は一箇所に集まっている。注目の的となっているのは、金属製の処刑台だ。そして、処刑台の前にはドレスを着た少女が二人。精彩のない顔で俯いている。
ミアたちは、その少女たちに見覚えがあった。
「双子のお姫様……? どうしてあの二人が」
ミアが思わず零すと、その呟きに気付いた住民の男が振り返って小声で話しかけた。
「数日前、突然大公殿下が乱心なさったんだ。理由も原因も不明。后妃殿下を牢に入れたと思えば今度は姫様方まで……」
「そんな……でも、処刑には罪状があるはずよ。たとえそれが誤解だったとしても。いったい何の罪で処刑なんて……」
住民の男は苦しげに眉を寄せ、周囲のざわめきに紛れさせるようにしながら、ぽつりと零す。
「……后妃殿下の影武者の疑いがある、と……」
ミアたちは言葉を失った。
自らの娘たちを影武者などと。仮に影武者が存在したとして、地位ある人間ならばおかしくないことである。大公自身も有事の際には影武者なり護衛なりをつけてきただろう。それになにより、影武者を捕らえて公開処刑するというのは、“敵”が行うことのはずである。
不意に、前方からわあっと声が上がった。歓喜のそれではない。恐怖と不安が大いに乗せられたどよめきの声だ。
見れば、双子姫たちがいよいよ処刑器具の前に跪かされていた。
「っ、いけない。このままでは……」
「でも、こんなに人が集まっていたら助けにいけないわ」
ミアたちがいるのは、広場の遙か後方。ほぼ路地の中ほどである。駆けつけようにも人が多く、回り道をしてもその道が人で塞がっている。
恩ある姫が無実の罪で処刑されるのを、ただ見ているしか出来ないのか。なにか方法はないかとミアが焦っていると、すぐ足元で「任せるにゃ」と弾むような声がした。
ただでさえ小さなミアの、更に足元で声がしたことに驚き視線をやれば、其処には一匹の子猫がいた。獣人族の子猫は体長五十センチほど。傍らには魔術学園のローブが落ちている。
「ミーチェ? いったいなにを」
するつもりなのかと問うより早く、ミーチェは軽やかに地を蹴った。同時に、逆方向にはルゥが飛び出しており、二人は風のように屋根を跳び越え、処刑台へ向けて駆けている。
あっと思う間もなく広場中央へ辿り着いた二人は同時に高く跳び上がり、
「させない!」
「その処刑、待つにゃ!」
空中で変化を解いて人型になり、ルゥは蹴りで、ミーチェは拳で、それぞれ処刑台を粉砕した。雷鳴のような音が広場に響き渡り、最前列付近にいた人々は反射的に身を屈めて目を瞑った。更にこの場の誰より至近距離で二人の打撃と破壊を目撃した処刑人は、情けない声を上げながら台から転げ落ちている。
「きゃあっ!」
勢い余って投げ出された双子姫の体を抱き留めると今度は横抱きに抱え上げて、処刑人と民衆に向かって「それじゃ、失礼するにゃん」「にゃん」と言って、再び屋根へと跳び上がった。何故かルゥまで猫獣人のようなことを言っていたが、其処に触れられるほど冷静な人は、広場には一人もいなかった。
そして二人が双子姫を攫うあいだ、クィンたちもただ黙って棒立ちしていたわけではなかった。ミアがミーチェのローブを拾い、そんなミアをクィンが抱えて、家々の陰となる道を選んで広場を立ち去って行く。
わざわざ互いの居場所を確かめる必要はなかった。何故なら先ほどから、一行を導くかのように爽やかな風が吹き抜けていたから。
風が誘うほうへと走っていると、町外れの空き家に着いた。一見しただけでは周囲の家々と何ら変わりない、ありふれた作りの家だ。けれど、クィンもルゥも此処だと確信していた。
扉を開けた先には、見覚えのある果てしない草原が広がっていた。
「ふにゃ!? おうちの中がお外だにゃ??」
ミアたちにとっては見慣れた光景だが、そういえばミーチェは初めてだったことに、今更ながら思い至った。新鮮な驚きの声を上げるミーチェに、ミアは「怖いところじゃないから大丈夫よ」と言い、辺りを見回す。
美しい竪琴の音が一つ、辺りに響いたのと同時に、草原の主が姿を現した。傍らには魔獣馬車を引いているヴァンもおり、何とも複雑そうな表情をしている。
「やあ、三日ぶり。……すまなかったね、役目を果たせずに」
「そんな、いいのよ。二人が無事で良かったわ」
再会を果たした一行の視線が、双子姫へと注がれる。
彼女たちは怒濤の展開に目を白黒させていたが、ハッと我に返ると丁寧に一礼した。
「助けて頂き、ありがとうございます」
「皆さまに救われるのは、これで二回目ですわね」
そう囁く姫たちの表情は、いつか港町で見た輝きを失っており、瞳は悲哀に濡れていた。