ある種正常な反応
翌朝。
ミアが薄ぼんやり目覚めると、目の前にふわふわとしたものがあった。
寝ぼけ眼でそれを抱きしめると『きゃうん』と音が漏れ、ぼんやりする頭で何だろうと考える。そうして暫く眠りと覚醒の狭間をたゆたって、ようやく。
「……ぁ、……ルゥ、おはよう……?」
『わふん!』
ふわふわでもふもふな温かいものが何だったのか、はっきりと思い出した。
のそりと体を起こせば、ミアが抱きしめた跡を毛並みに残したルゥがいた。尻尾を振ってミアを真っ直ぐ見上げ、それから細く喉を鳴らしながらすり寄ってくる。
「夢も見ないで眠るなんてどれくらいぶりかしら。ルゥのお陰ね」
小さな手でルゥの頭を撫で、ベッドから下りる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、やわらかく室内を照らしている。窓を開ければ新鮮な朝の風が舞い込んできて、ミアの髪と花翼をそっと撫でた。
「いい朝ね。ヴァンとシエルはどうしているかしら」
振り向いてルゥを見下ろせば、首を傾げて見上げていた。
「わかっているわ。二人なら心配いらないって。それよりわたしたちのことよね」
冒険者としての経験値を思えば、心配されるのは寧ろ自分のほうだと自覚はある。
二つ名を得るほど旅をしてきたヴァンと、認定吟遊詩人の資格を持っていたシエル。二人なら、何の問題もなくアルマファブルとの対話を済ませてくることだろう。
「それにね……少し楽しみなの。わたしは妖精郷でお勉強をしたから、学園でたくさんの人たちと一緒に学ぶのは初めてなんだもの」
『わう!』
同意するように、ルゥが尻尾を振る。
身形を整えて、髪を梳き、ルゥに刻んでしまった抱き跡を直したところで、扉がノックされた。応対に出れば其処にいたのは、アーティカとジェルヴェラだった。アーティカは臙脂色のローブを畳んだ状態で抱えている。
「おはようございます、ミアさん」
「アーティカ、ジェルヴェラ、おはよう」
声を揃える二人に微笑み返すと、アーティカがローブを差し出した。
「これは……?」
「先生が用意してくださったんです。翼人の生徒さんが使うものを少し改造したそうで……たぶんミアさんの翼の邪魔にならない作りになっていると思います」
広げて見れば、ローブの背中部分に特殊な加工が施されていた。肩の後ろから腰の辺りまで縦に二箇所切れ込みが入っており、真ん中が大きく垂れ下がるようになっている。その状態で羽織り、翼を巻き込まないようにして垂れた布を両肩の裏で留める。更に上から白い付け襟を重ねれば他のローブと大差ない見た目になった。
翼人族の服は背中が大きく開いたものが多いのだが、それを参考にしたものであるらしい。
「素敵……! ありがとう。あとで先生にもお礼を言いたいわ」
「気に入って頂けて良かったです」
「教室に案内しますわ。ついていらして」
二人の案内で、ミアとルゥは女子寮を出て本校舎を目指す。
寮も立派だったが本校舎は更に立派で、なにも知らない状態で此処がマギアルタリアの王城だと言われたら、信じてしまいそうなほどだった。
「タレイア先生の教室は、音魔法や星魔法から派生した魔術が学べるんです。だからか歌の授業もあるんですよ」
「素敵ね。わたし、歌は好きよ」
ミアは目を輝かせて頬を染め、うっとりとした表情で語る。
「いま別の街へ行っている仲間にシエルっていう人がいるのだけど、彼の歌声はとても綺麗なの。一緒に歌うとほんとうに楽しいのよ」
「今日もお歌の授業はありますわ。ぜひそのときにミア様のお歌を聴かせてくださいまし」
「あたしも聴きたいです」
「ええ、ぜひ。一緒に歌えたらうれしいわ」
アーティカたちと連れ立って教室に入ると、室内にいる生徒たちの視線が一斉に集まった。更に教室の前方にいたグループが駆け寄ってきて、ミアを好奇心いっぱいの目で取り囲む。
「わ、ホントだ! フローラリアが実在したなんて! 花の匂いも本物だし、凄いや」
「呆れた。あなたったら信じてなかったの? タレイア先生がそんな嘘吐くわけないじゃない」
「だって、百年くらい前にすっかり姿を消した幻の種族だろ? 大人たちだって見たことない人が殆どなのに」
「ヒュメンは確実に知らないでしょうね。僕の両親も、大昔に見たっきりですから」
「いい匂いだにゃあ。お花畑にいるみたい」
ヒュメンの少年と竜人族の少女、それから翼人族の少年と猫獣人の少女が、矢継ぎ早に言いたいことを言うせいで、ミアのみならずアーティカたちも面食らって立ち尽くしてしまった。
まず我に返ったのはジェルヴェラで、一つ咳払いをすると「皆様」と凜とした声で言った。
「ミア様にも人格があることをお忘れではなくて? そのように群がって、珍品かなにかのように騒いでは失礼ですわ」
ジェルヴェラの鋭い一言で、間近で騒いでいた四人だけでなく、遠巻きにヒソヒソと囁いていた生徒たちも押し黙った。ばつが悪そうに視線を逸らす者もいて、先ほどまでの騒ぎが嘘のように、教室内が静まり返っている。
「ご……ごめんなさい。なにせ絵本でしか見たことない種族だったものだから」
「エルフや妖精も滅多に会えないけど、その比じゃないもんな。でも、品のない騒ぎ方をしたのは悪かったよ」
「すみません。僕としたことが、配慮に欠けました」
「お花ちゃん、許してにゃあ」
今度は口々に謝罪の言葉を浴びせられ、ミアは慌てて「気にしないで」と答えた。その、滅多に会えないエルフと妖精も仲間だと知られたら大変なことになりそうだと思いながら。
「ミア様」
「クィン!」
心の中で想ったからだろうか。会いたかった人の声がして、ミアはパッと振り返った。背後には思ったとおりの姿があり、花翼を喜びに香らせながら飛びつく。クィンも慣れたもので難なく幼い体を抱き留めると、正面に跪いた。
クィンはタレイアや教師陣と同じ濃紺のローブを纏っており、見慣れたスマートなシルエットがやわらかなAラインに覆われていて、何だか不思議な感覚になる。
「お変わりないようで、なによりです」
「ええ。ルゥも一緒だもの。クィンのほうはどうだったの?」
「寮室を一部屋お借りしております。ミア様と変わりありませんよ」
主従のいつも通りの会話を、ルゥは尻尾を振って見守っている。
だが、ルゥにとっては見慣れた光景でも、生徒たちにとってはそうではない。
妖精種族というだけでも珍しいのに、ヒュメンと同等の体を持つ妖精が、フローラリアの少女に傅いている。妖精は体に持つ魔石の大きさと美しさが優れていればいるほど地位が高い。そして、魔石の大きさは体の大きさに比例する。人型種族と変わらぬ体に埋め込まれている魔石は、相応のサイズであるはず。ならば、彼は妖精郷ではそれなりの地位にあるはず。
魔術学園では、他種族のこともしっかり学ぶ。それは妖精やフローラリアも例外ではない。抑も魔術は魔法種族が用いる奇跡の力――魔法を、ヒュメンも使えるように体系化したものだからだ。
座学で学んだとおりなら、地位の高い妖精が、百年前に姿を消した幻の神代種族の少女に仕えている図である。
これが注目を浴びないわけがなく、先ほどのように大袈裟な騒ぎにならないまでも、生徒たちは動揺を隠せない様子で二人を注視していた。
 




