哀しき王女のための即興劇
御者をルゥに任せ、ミアたちはローベリアで起きたことを伝え合うことにした。
複雑な話を理解することが難しいルゥには、ローベリアは魔骸に喰われて滅んでしまったとだけ伝えてある。ただそれだけでも、魔石絡みの陰謀に巻き込まれて兄弟を奪われたルゥにとっては、胸を痛めるに充分過ぎる内容だったようで。哀しそうに「そっか」と呟いた。
「ローベリア城内は、君たちを案内したごく僅かな兵士以外殆ど残っていなかったよ」
シエル曰く。国王と王妃は玉座の上で枯れた荊のオブジェと化しており、メイドたちは抜け殻の如く服だけを残して肉体が消えていた。近くに灰茶色の塵が積もっていたことから、地下で戦った冒険者たちのように命を吸い取られたのだろう。
城下町は言うに及ばず。全ての民が荊に食い尽くされており、残っていたのは生活の痕跡だけ。抵抗力を持たない一市民は、己になにが起きたかを自覚する間もなく死に絶えただろうとのこと。僅かも苦痛を感じなかったのは、せめてもの幸いであった。
そして、それほどの異常が外に知られていなかった理由は、一行がローベリアへ入る前に感じた違和感の差にあった。城下町を覆っていた黒い霧の結界。あれは、外から見た者の認識を阻害するものだったのだ。冒険者の多くはヒュメンであり、不穏な噂を周囲に流した状態でなお近付こうとするのは冒険者だということを利用した、死に体のローベリア最後の抵抗だった。
仮に市民が紛れ込んだとしても、結界で外へ出ることは出来なくなる。不穏な噂を流しておけば人が帰らなくなったとしても「ローベリアなんかに行くからだ」と諦められるという寸法だ。
「そしてこれが、一番の収穫だよ」
そう言ってシエルは、王女の手記をヴァンに手渡した。
王女の手記には、ローベリア兵が語ったことに加え、王女視点での話も記されていた。
国のため、民のため、いずれは望まぬ婚姻をしなければならないこと。密かに想いを寄せている人がいること。その人が大怪我を負い、施療所の隔離塔へ籠ってしまったこと。彼の治療の邪魔になるわけにはいかないと数日は耐えたが、せめて一目会いたくて塔を訪ねたこと。
そして――――覗いた格子窓から見えた彼の姿が、悍ましい化物であったこと。
恐らくはそのとき、王女は本格的な狂気へと染まってしまったのだろう。
手記の文字は乱れ、彼への愛を脈絡なく綴ったかと思えば、彼と深く愛し合ったと熱く語る。
やがて歪んだ執着の果てに、彼女は壊れてしまった彼を産み直そうとする。彼女は死者の復活を災厄の魔石に願った結果、数多の命を喰らう歪な花となってしまったのだ。
――――愛しいあの人との命が私に宿ったの。これであの人とまた会える。城の者たちが、私を静養所へ連れて行ってくれるのですって。強い子が生まれるようにと、皆も願ってくれているの。あの人と、私の、あの人を、また、産まれたら、私は、あの人と――――
現実と妄想が入り乱れた手記は、読んでいるだけでも気が滅入ってくる。
ヴァンは一つ抉るような溜息を零し、眉間を指先で押さえながら手記をシエルに返した。
「どうやって王女を地下に移したのかと思ったが、妊娠したのを体よく使ったんだな」
「壊れてしまってから、自身が何処にいるのかも判然としていなかったようだからね。ミアたちが見たっていうベッドも、王女様を繋ぎ止めるため綺麗に作ったんだろうねえ」
シエルは装飾の美しい手記を傍らに置くと、別の冊子を取り出した。王女の手記に比べてだいぶ見窄らしく、表紙もボロボロなそれは、とあるローベリア兵のものだという。
「どうやらこの手記の持ち主が、魔骸の父親らしいよ」
兵士の手記には騎士団長の名を呼ばれながら誘惑されて王女を抱いたことや、団長への罪悪感、国に対する不安や、王女がしていることへの恐怖がありありと綴られていた。後半になるにつれて兵士もじわじわ狂気に蝕まれており、自身を団長と誤認するような表記や、王女が妊娠したことを夫として喜ぶ様子、妊娠してなお毎晩のように愛し合っていたことを生々しく綴っていた。
「因みにこれと似たような手記が他にも何冊か見つかったけれど、内容はほぼ一緒だったからこの一冊だけ拝借してきたんだ」
「つまり、同じ状況にあった兵士が何人もいたってことか……」
そうだねと、シエルは何の感情も乗せずに答える。
「はぁ……どうも、やりきれねえなァ」
ミアにはドロドロとした部分は伏せて伝え、手帳を閉じる。他人の私生活を覗くのはいつだって気分の良いものではないが、今回の手記は殊の外精神にダメージを与えるものだった。
密かに想っていた人を喪い、心を失くした王女と、王女を支えていたつもりがその闇に飲まれ、共に堕ちてしまった兵士たち。
とうに壊れていた王国を、それでも何とか保とうと組み上げたその場凌ぎの舞台は崩れた。
「あの兵士たちが今日まで無事だったのは、王女の“夫”だったからなんだな」
「最後の最後までとっておいただけで、生かすつもりはなかったみたいだけどね。それとももう、人の区別もつかなくなっていたのかも知れないけれど」
手記を見たヴァンとシエルにはなにか察するものがあるらしいが、ミアにはそれがわからない。わからないなりに、なにか言えないことがあるのも察して、クィンに寄り添って俯いた。
詩魔法を紡いでいるあいだにも聞こえた、兵士たちの驚愕する声。あの声は、信じていたものに裏切られた人の声だった。王女にとって兵士たちはどんな存在だったのか、いまとなっては想像に任せることしか出来ない。
それでもただ一つ、ミアにもわかることがある。
「魔骸になっても、それでも忘れられないほど、愛していたのね……」
心を壊してしまうほどの愛と、喪失。誰よりも愛していた人が信じ難い姿へと変わってしまった事実を受け入れきれず、自らも破滅へ向かってしまうほどの愛情とは如何ばかりか。
目を伏せ呟くミアの細い肩を抱き寄せ、クィンは言葉も無く幼い主人の心を慰めた。
ヴァンの目には、妖精郷主従もローベリアの王女同様に危うく見える。いますぐどうなるというものでもないが、細い糸の上に立っているような、何とも言い表しがたい儚さを覚えるのだ。
「それはそうと、この手記は結構な証拠になるな。持ち込むのはどっちにする?」
「一番迷惑を被ってるし、アルマファブルのほうがいいんじゃないかな」
「そうですね。元々機構都市遺跡は彼らの主神たる古代機構神が眠る地です。全てお返しするのが良いでしょう」
手記とシエルの調査から得た情報を纏めた一行は、まずマギアルタリアでミアとクィンとルゥを下ろし、有料転送門を使用して、ヴァンとシエルで機神公国アルマファブルへ向かうことにした。戻るときは馬車になるため数日かかるが、そのあいだミアたちはマギアルタリアで情報収集をして二人を待つことになる。
初めてのヴァンとの別行動だが、本来ならクィンと二人旅になるはずだったのを、ずっと頼ってきたのだ。
一人緊張している様子のミアを、ヴァンは若干心配そうに、シエルは微笑ましそうに、それぞれ見守っていた。
【祖霊の民】
神話の時代に滅んだ神代種族の霊(祖霊)と契約し、力を発揮する術を得た者。
彼らは祖霊に自らの魂を捧げ、祖霊と共に生き、そして滅びも共にする。
死後は魔素に還ることはなく、祖霊に吸収されて消滅することが決まっている。
代償が大きい分威力も高いが、魔素に還れなくなることは世界の理に反することでもある。
そのため、祖霊の民は本来の能力を隠して魔術師を名乗っていることが殆ど。




