機構都市遺跡
城での待機時間は、あのあとも思いの外問題なく過ぎた。
部屋に入り込んでいた荊もあれ以上伸びることなく、影絵のように壁に張り付いていたのみで、荊に取り憑かれた冒険者の数も、目に見えて増えたようには感じられない。ただ、荊が巻き付いている冒険者が妙に心此処にあらずといった様子で、動きがぎこちなく見えるのが気になった。が、これから本丸へ飛び込もうかというときに目立つことをすれば、全てが台無しになる。
一行は素知らぬふりで冒険者の群に紛れ込み、兵士たちの話を聞いた。
「これより機構都市遺跡へ向かう」
「目標は最深部にあるとされる古代機構遺物。道中にある金や装備品などは好きにして構わんが、遺物に手を出した時点で二度と空を拝めなくなると思え」
「では、ついてこい」
ぞろぞろと歩き出した冒険者たちの後方で、ヴァンは一人難しい顔をしていた。
古代遺跡へ潜るのに、何故金や装備品が落ちている前提で話すのか。ローベリアが冒険者を募集し始めた正確な時期はわからないが、もしかしたら今回の行軍が初めてではないのかも知れない。それならそれで、何故何度も潜っているのかが気になるところだ。
チラリと横を見れば、クィンも若干険しい顔をしていた。彼に手を引かれているミアは、興味と不安を映した瞳で辺りを眺め回している。翼人のフードを落とさないよう気をつけているせいか、視界が悪そうだ。
機構都市遺跡は、ローベリア城下町から目と鼻の先にあった。元々、この遺跡を調査するために集まった人たちが興した国であるため、当然ではあるのだが。
入口は錬金機構で閉ざされており、兵士が鍵を差し込むと重たい音を立てて両開き扉が開いた。重厚な鉄扉の向こうは意外にも明るく、魔導帝国マギアルタリアの魔導ランプと錬金機構ランプが規則性なく雑多に配置されている。壁も床も鈍色で、なにかしらの金属で出来ているようだ。軽く叩いて見れば硬質な音が返ってきて、簡単には壊せそうにないと感じた。
なによりこの遺跡には、件の荊が城下町以上に蔓延っているのだ。此処が荊の出所だと、一目でわかるほどに。
通路は広く、十数人の冒険者が各々好きに歩き回れるくらいある。通路の最奥にまた扉があり、兵士がそれを開くと円筒形の空間になっていた。其処に冒険者たちも含め全員が入り込むと、扉が閉まって音もなく下降し始めた。
「これも錬金機構なのか……それとも古代機構なのか……?」
冒険者の誰かが、感心したように呟いた。
その疑問に答える声はなかったが、代わりに扉がスッと左右に開いて、乗り込んだ場所とは違う景色を皆に見せた。
「これは……」
其処は、天井が暗闇に沈んで見えなくなるほど高い、広々としたホールだった。
壁や床の材質は変わらず鈍色の金属で、貼り合わせた隙間から薄青色の光が微かに漏れている。部屋の最奥も視認出来なかったが、入口から暫く進むと全貌が見えてきた。そして冒険者たちは、其処にあるものを目にした瞬間、言葉を失って立ち尽くした。
まず目に留まるのは、壁一面に張り付いた巨大な鈍い黄金色の歯車だ。そのサイズは様々だが、最も大きいものは、城下町の広場を埋め尽くすほどある。それが金属質の甲高い音を奏でながら、歪にぎこちなく回転している。巨大な歯車のオブジェの下部に目をやれば、其処には一抱えもある黒い卵を抱きしめて、豪奢なベッドの上で蹲る、一人の女性がいた。
「な……んだ、あの黒い……あれは、荊か……?」
「荊だって? そんなもの何処にも……いや待て。あれは……あんなの、さっきまで……」
「ずっとおかしいと思ってたんだ。街はやけに静かだし、城も殆ど人がいなくて」
「遺跡に蔓延ってる荊はあれから出てるのか? いったいなにが……」
ざわめきが、動揺を纏って蔓延する。
女性の下半身は白い布で隠されており、布の裾からは夜闇色の靄が漏れ出している。それが黒い荊となって壁に張り付き、天井の闇に吸い込まれていく。卵は、赤子に使う『おくるみ』のようなやわらかい布に包まれており、遠目には赤子を抱いているようにも見える。その卵も呼吸のように黒い靄を吐き出しており、女性の周囲をどす黒く染めていた。
女性の優美な服装は高貴な身分であることを表しており、天蓋付きのベッドと彼女の容姿だけを見れば、城の寝室にいるかのようだ。だからこそ、古代遺跡の地下深くであるという現実が強烈な違和感となって一行を襲う。
『…………きて』
不意に、声が響いた。
囁くような語り口にも拘らず、この広い空間の端まで響くような、不思議な声だった。
『……きて……私の、愛しいあなた……愛しい、愛しい、私の……』
声が響く。高らかに歌う鐘の音のように。谷間を吹き抜ける風のように。地の底から湧き起こる鳴動のように。嫋やかな女性の声が、ホールを包む。
コツリと、一つ靴音がした。
それを皮切りに、一つ、また一つと、呼び声に靴音が紛れ始める。
「お、おい……!」
冒険者の一人が隣にいた仲間を呼び止めた。が、呼ばれた男はふらふらとした足取りで、女性の元へと近付いていく。誰も表情が虚ろで、仲間の声が聞こえているようには見えない。腕を掴んで引き留めようとした者もいたが、足取りからは想像もつかない力で振り払われていた。
声に誘われていくのはどれも、体に荊が巻き付いている者ばかり。そしてやはり、ヒュメンの男ばかりだった。種族によって街の異変の見え方が違うのであれば、ヒュメンのみならず他の種族も荊までは見えていないはず。なのに荊は、ヒュメンの冒険者だけを選んで呼んでいる。
城でヴァンに話しかけてきたクレイオとミュトスも、先日見せた人懐っこさが嘘のように虚ろな顔でふらふらと歩いて行く。
『……きて……起きて……愛しいあなた……ああ……』
囁く声に、やがて嘆きが交ざり始める。
荊に巻き取られるかの如くに呼ばれていった男たちが、更に太い荊に絡みつかれるが、男たちは相変わらず心を落としてきたように無反応で、四肢をだらりと垂らして吊り上げられた。
『ああ……ああぁぁぁ……!』
嘆きが悲鳴に変わり、慟哭となる。
閉ざされた地下だというのに女性を中心に暴風が起こり、布を吹き飛ばした。その瞬間、残った冒険者たちは目を瞠った。
「ヒッ!?」
布の下に隠されていた彼女の体は、最早人のそれではなかった。