正常であることの異常
懸念していた真夜中の襲撃や侵入などもなく、他の冒険者同士が揉めるようなこともなく。想像していた数倍は無事に一晩を明かすことが出来た。とはいえ、正体を隠しているミアは下手に外を出歩かないほうがいいからと、クィンと共に部屋に残して、ヴァンは単独で城内を散策していた。
荊に捕らわれている冒険者たちも、動きだけを見れば平常と変わりなく見える。だが、その体に巻き付いている荊は意思があるかのように蠢き、じわじわと体表を侵蝕している。
正確に数えたわけではないが、ヴァンたちを含めて冒険者の総数は十数人。二十はいないだろう人数だ。誰も彼も、上等な武具を身につけていて、腕に自信がありそうな者ばかり。少なくとも、百万ガルトを用意出来るだけの腕があることは確かだが。
それにしても、ギルドでもないのにこうも冒険者が集まっているのを見ると、なかなかに壮観である。
両手剣を背負っている剣士や、上質なローブと杖を装備している魔術師、ナイフで挑めば此方の武器が砕けそうな武具で身を固めている盾役に、大弓を抱えている狩人など。いまから北の大陸に竜討伐にでも行くのかと思うような顔ぶれだ。
食堂で適当に摘まんで、ミアたちにもあとでなにか持って行ってやろうと思いながら廊下に出たところで、奥から若い男二人組が近寄ってきた。
その姿を目にしたとき、ヴァンは心底表情に出にくい性格で良かったと安堵した。
「なあ、あんた、ヴァンだろ? ずっとソロだって聞いてたけど、パーティ組んだんだな」
声をかけてきたのは、片手剣を腰から下げた剣士の男だ。
隣には治癒術師らしき線の細い青年もいる。少し離れたところで見守っている筋骨隆々の男も、彼らの仲間なのだろう。興味なさそうな素振りだが、此方を警戒しているのが伝わってくる。
それだけなら比較的バランスのいい三人組に思える。何の変哲もない、冒険者一行だ。
ただその体に、黒い荊が絡みついてさえいなければ。そして青年の虚ろな眼窩から、荊が獲物を求めるかの如くに這い出ていなければ。
「……ああ、まあ、成り行きでな」
警戒しつつ答えると、剣士の男は明るく笑ってヴァンを上から下まで眺めた。
「孤高の冒険者って聞いてたからどんな怖いヤツかと思ってたけど、そうでもなくて安心したよ」
「その言い方は、冒険者にはあんまり褒め言葉になってないんじゃないか?」
「あはは、それもそうだな。すまない、貶したつもりはなかったんだ」
「いや……」
剣士の男も治癒術師の青年も、どちらも会話内容に異常はない。表情も、恐らくは普段の彼らと変わりないのだろう。だからこそ異常で、ひどく不気味なのだが。
「俺たちは錬金王国の遺跡がどんなもんか気になってきたんだけど、あんたは?」
「俺も似たようなもんだな。古代遺跡なんて滅多に入れるもんじゃねえだろ」
嘘を吐くときは真実をひと匙添えると良い。とは、誰の言葉だったか。
ヴァンが流れるように答えると、剣士の男は同志を得たかのように「そうだよな!?」と明るい声を上げた。
「機構都市遺跡なんて、外部の人間が入れるようなところじゃないだろ? だからこの機会に是非潜ってみたいって……コイツが言ったんだ」
隣を指して剣士の男が言うと、治癒術師の青年が少し頬を染めて「うるさい」とぼやいた。
冒険者としての好奇心はどちらもあるが、知的好奇心が強いのは青年のほうであるらしい。
「俺たちは二日前から此処にいるんだが、七日待ってから潜るらしくて、既に四日くらい待ってる人もいるみたいなんだ」
「……へえ。良く飽きねえなァ。まあ、娯楽室なり図書室なりあるけどよ」
「俺には図書室の良さはわからないけど、冒険書とか空想物語なんかも置いてあるらしいな。あと娯楽室は一日中あいてるから、夜中に遊んでる人もいるらしい」
剣士の男性がそう言うと、隣の治癒術師の青年が「君も少しは文字を読みなよ」と呆れた口調で言う。そのやり取りは勝手知ったる仲だとわかるもので、だからこそ胸が痛んだ。
チラと娯楽室のある辺りに目をやれば、駒を動かす音や楽しげな抗議の声が聞こえてきた。声の主が無事であれば良いが、この有様では楽観は出来ない。
城の状況と周囲の状態から見るに、この荊はヒュメンの男に取り憑くものであるらしい。恐らくミアの魔素を分けてもらっていなければ、ヴァンも知らぬ間に荊に触れ、彼らと同じ状態に陥っていただろう。
「ああ。そうだ。俺はクレイオ。こっちはミュトス。あと、向こうにいるのも俺の仲間なんだけど愛想がなくて。ダレイオスっていうんだ」
よろしくと言って差し出された手は、蠢く荊に覆われていた。
この行動に何処まで彼の意思が及んでいるのかはわからないが、ヴァンは手を軽く挙げて笑う。
「悪ィな。俺は愛想を安売りしねえんだわ」
きょとりと目を瞬かせる剣士の男と、僅かにムッとした顔になる治癒術師の青年。だがヴァンはそんな二人の反応にも構わず続ける。
「この界隈じゃ、昨日会話したヤツが明日死んでるのが当たり前だ。たった一回話しただけで気を許してたら、やってらんないもんでね。勿論あんたらが弱いと思ってるわけじゃねえが、遺跡から戻ったら改めて酒でも飲もうじゃねえの」
ニッと笑って言うと、剣士の男は大きく頷いた。
「そうだな。では、そのときを楽しみにしているとしよう。では、またいずれ」
「ああ」
去って行く後ろ姿を見送らずに、ヴァンは食堂へ寄ってから部屋に戻った。
「ヴァン、お帰りなさい」
「おう。適当に見繕ってきたぜ」
「わあ、ありがとう! 美味しいものを食べるとついうれしくなってしまうから、困っていたの。お部屋なら安心して頂けるわ」
言っている端から、ミアの花翼が甘く香り始めた。
部屋の外まで匂いが届くようなものではないとはいえ、ハラハラする性質だ。
「……ねえヴァン、何だか元気がないように見えるけれど、お外でなにかあったの?」
「いや? 特になにも。城は相変わらず荊塗れだったがなァ」
ミアはじっとヴァンを見つめてから、納得いっていない顔で「そう」と呟き。
「ヴァンはわたしよりずっと強くて、冒険にも慣れているものね。わかっているのよ」
目を逸らして、ヴァンが持ってきた小さなケーキに向き直った。花翼は、相変わらず甘く香っている。つまり本気で不機嫌になったわけではないようだが。
「ミア様、拗ねないでください」
「拗ねてないわ。まだまだ経験不足だって思っただけだもの」
小さく膨らませているミアの頬を、クィンの手が優しく撫でる。
ずっと顔に出ないと思っていたヴァンの嘘を、ミアはそれとなく見抜いた。見抜いた上で、目を瞑る選択をしたのだ。
世界に一点のシミもない楽園で育った幼姫が、遙かに経験を積んでいる自分の表情を読み取ったことに、ヴァンは得も言われぬ喜びを感じていた。