常夜の街
幾度の夜を越えて。
ローベリアが、前方に見えてきた。
「街だ。……でも、なんか、おかしい」
「ローベリアがおかしいのは周知のことじゃないかな?」
そう答えつつ、シエルが窓から前方を見る。と、確かに。疑いようもない異変があった。
「……本当だ、おかしいね。あれは……雲じゃなくて、霧なのかな? なにか結界のようなものがあって、内部に黒い霧がうずまいているように見えるよ」
「私の目には、真昼だというのにあの街の周囲だけが夜になっているように見えます」
シエルとクィンの言葉を受けて、ミアも窓から外を覗いた。
「ほんとうだわ。それに、ローベリアの街や城壁を黒い荊が覆っているのも見えるわ」
しかし、シエルを始め、クィンもミアも、言っていることが少しずつ違っている。共通していることは「真昼なのに暗い」という一点のみ。
ミアたちの視線が、ヴァンに集まる。訝りつつヴァンが外を覗くと、難しい顔をして唸った。
「いや……俺にはこれといって異変らしいもんはみえねえなァ。物々しい警護が街を固めてんのは見えてんだが、夜に見えるとか霧があるってのは全くだ」
「どういうことかしら……」
小鳥のように愛らしく首を傾げるミアに、シエルが翡翠の瞳を向ける。
「種族で考えるなら、旧い魔法種族ほど異変が強く見えている気はするよね。フローラリアは最も自然に近い種族で、妖精族は自然と共に生きる種族。エルフは自然に閉じこもった種族。そして、ヒュメンは自然を切り拓いてきた種族だ」
なるほどなあ、とヴァンが頷く。
試しにルゥに訊ねると、彼の見え方はクィンとほぼ同じだった。
「ローベリア側が敢えてこの事態を生み出しているのだとしたら、下手に見えているものを彼らに伝えないほうが良いでしょうね」
「仮にどう見えているのか問われたら、ミアは執事くんと同じだって言うといいよ。君の見え方が一番本質に近そうだ」
「わかったわ」
ローベリア城下町の外れにある厩に馬車を止め、一行は各々体を伸ばしたり荷物を纏めたりして身支度を進めている。参加金はクィンが持っている空食み魔花の鞄に詰め、それ以外の荷物はすぐ取り出せるようヴァンのバックパックに振り分けた。
町に入った状態で辺りを見ても、やはり目に映る光景にはそれぞれの異変が現れている。暗闇が街を覆い、空は夜に閉ざされている。更に黒い霧のような靄が街中を漂っており、そのせいか人の姿が全く見られない。いくら外れのほうとは言っても、何の気配もないとはどういうことなのか。
異変が見えていないヴァン曰く、中心街へ向かう道の途中に護衛騎士らしき人影はあるらしい。
「ミア様、此方を」
「ありがとう、クィン」
クィンの手によりマントをかけられ、ミアの花翼と花冠が隠される。このフード付きマントは、一行の行き先を聞いたノエに渡されたものだ。彼が何処までローベリアの状況を把握していたかは定かではないが、少なくとも冒険者が得られる噂については握っていたと思われる。
そんな彼が、旅立ち際に、ミアを見下ろしながら言った。
『あの街で、あなたはきっと目立ちすぎます。翼人のマントを差し上げますので、どうにかこれで凌いでください。……どうか、ご無事で』
その名の通り、翼人種族が旅をするときに羽織る、砂塵や魔法、刃などから翼を守るマントだ。彼らの文化特有の紋様が裾や袖口などに刻まれており、背中には翼を収納するように独特の成形がされている。つまりフローラリアの花翼も、丁度其処に収まる形になっているのだ。
「街に入ってわかりました。確かに、この近辺には魔骸の気配があります」
「ええ……何処から感じるのかはわからないけれど……」
「というより、この霧みたいなものが感覚を鈍らせているよね。これにも魔素が含まれているから探知しにくいんだと思う」
「俺だけわかってねえのも、何かあるんだろうなァ」
ミアたちが辺りを警戒している横で、ルゥは妙に落ち着かない魔獣を宥めていた。固い蹄で土を削り、首を振ってそわそわしている。
「ルゥ、その子、大丈夫かしら?」
「んー……ひとりにしたら、だめだとおもう。不安そう」
話しているあいだも、魔獣はルゥにすり寄って離れがたそうにしている。
「この異変が関係しているのかも知れないね。だったら、ルゥと私は此処に残るよ。馬車の守りも必要だろうし、魔獣くんに余計なことをされても困るからね」
そう言ってから、シエルは「ああ、そうだ」と付け足した。
「この子があまりにも落ち着かないようなら、ローベリアから出ているかも知れない。そのときは私の魔素を追ってきてほしい」
「わかったわ。シエル、ルゥ、この子と馬車をお願いね」
「任せて」
ルゥもシエルと共に頷き、互いに健闘を祈り合ってから別れた。




