ケジメ案件
何処とも知れぬ、暗い地下通路にて。
顔面を大きく腫れ上がらせたオーナーとその秘書が、隠れるようにして駆けていた。
「クソッ……クソッ……! 魔骸を殺せる者がいるなど、聞いていないぞ! あの商人から買った薬も不良品だったし、どうなっておるんだ!」
ぶつくさと文句を言いながらも、足は明確な目的を持って地下道を進んでいる。
この道は、アンフィテアトラのオーナーならば誰もが知っている避難通路で、街に万一の事態が起こったときに使用されるものだ。各オーナーの屋敷から外へと通じているため、一般の冒険者がこの道を使用することはあり得ない。
「おい! 聞いているの……か……ッ!?」
なにをぼやこうとも全く返事がされないことに苛立ち、オーナーが振り返る。その瞬間、胸部に火傷と誤認するような強烈な痛みが走り、オーナーは緩慢な動きで己の体を見下ろした。
「良く喚く畜生ですね」
冷ややかな声が、上から降り注ぐ。
オーナーを見下ろしているのは間違いなく秘書の男で、男の手には何の武器も握られていない。ただ、長く伸びた五本の爪が心臓を握るように取り囲んでいるのが見えた。
「な……っ、き、さま……」
驚愕に目を見開くオーナーを、愉しげな笑みを張り付けた秘書の男が見下ろす。その目は金色に輝いており、針のように鋭い虹彩は、明らかにヒュメンのそれではなかった。
「見る目もなければ頭も悪い。貴方、上に立つには向いていませんでしたね」
長い爪が、胸から引き抜かれる。心臓も共に引きずり出され、オーナーはその場に倒れ伏した。物言わぬ屍と化したオーナーを見下ろしながら、手にした心臓を一口囓る。しかし、眉を寄せるとその場に吐き捨て、残りをオーナーの顔に叩きつけるようにして投げ捨てた。
「脂っこくて食べられたものではありませんね。全く、食肉としての役にも立たないとは畜生にも劣るじゃないですか」
地下通路の真ん中に倒れているオーナーを道脇に蹴り避け、悠々と歩き出す。
外に出れば、また別の人間に化けていくらでもやり直せる。顔ならまだ他にもあるのだから。
くつくつと笑い声を漏らしながら、地下通路を出た、そのときだった。
「ッ!?」
咄嗟に飛び退いた地面が、轟音を立てて抉れた。
立て続けにラッシュが仕掛けられ、舌打ちをして大きく飛び退き、襲撃者を見やる。
「お前は……!」
土埃が引いて視界が確保され、襲撃者の正体が露わになる。
銀灰色の毛並み、鋭い爪、鍛え上げられた肉体の持ち主――――殺し損ねた獣の一匹が、其処にいた。
「さすが、落ちぶれたとはいえドラコニアの端くれ。簡単には倒れませんか」
そしてもう一人。
クィーン階級のオーナー、ノエがホテルマンのノーマを連れて待ち伏せていた。
「ふん、クィーン階級のオーナー様は随分とお暇なようで」
「貴方ほどではありませんよ」
秘書が吐き捨てた嫌味も全く意に介さず受け流すと、ノエはノーマに視線で指示を送る。小さく頷き、ノーマが短く詠唱するのとほぼ同時に秘書の足元に刺草が現れ、四肢を拘束した。
「チッ、こんなもの……!」
身を捩り刺草の拘束を解こうとしているところへ、再び鋭い拳が迫る。
「ガハッ!」
鳩尾に一撃食らうと同時にブチブチと刺草が千切れ、拘束部に細かい傷が無数に出来た。
ヒュメンの秘書に化けていた男の化けの皮が文字通り剥がれ落ち、鱗の肌が露わになる。更に、全身が蜥蜴のそれと化し、太く長い尾が現れた。
「堕落の民ラケルタの残党、レプティス。全て貴方が手引きしていたことは判明しています。いま悔い改めるなら生涯の禁固刑で済ませて差し上げますよ?」
「なにを悔い改めると言うのです!? 全ては騙されるほうが悪いのです! 弱いものこそ悪なのですよ! 弱者は搾取されて当然! 我々はそうして生きて来たのですから!!」
レプティスと呼ばれた秘書の男は、本性を露わに叫んだ。長く鋭い爪を構え、大きく裂けた口を開いて牙を見せつけ、ノエへと飛びかかる。
しかし、それより早く拳が飛び込んで来て軌道が逸らされ、その隙にノーマが詠唱を終えた。
「ぎゃああああッ!!?」
瞬間、レプティスの体中から炎が吹き出し、堪らず地面を転げ回った。
全身の体液が超高温になるという、ドラコニアのみが使える炎魔法だ。ヒュメンどころか、炎の魔素を持たない限りは他の種族でもそうそう耐えられない、殺意の高い魔法。
それをまともに受けたレプティスはのたうち回りながら次第に弱っていき、最期に恨みがましい目をノエに向けると事切れた。
「……ノエ、ノーマ、コイツ、死んだのか?」
大型の獣が、ヒトの姿に戻る。あどけなさをその顔に残した獣人の青年、ルゥの姿に。
何とも言い表しがたい複雑な表情で、ルゥは黒く炭化したレプティスを見下ろして呟く。
「ええ。手伝ってくださって助かりました、ルゥ」
「おれは……兄弟のかたき、討ちたかっただけだから」
「そうでしたね。ですが、あなたに手を汚させるわけにもいきませんでしたから。すみませんが、トドメは此方が頂きました」
ルゥはふるふると首を振り、ノエとノーマに視線を戻した。
「闘士じゃないヒトに、武器は使わない。ヴァンが言ってた。いっぱつなぐるだけ、出来たから、いい。……もう、いい」
「いい子ですね。……さあ、戻りましょう。葬送術師の手配が完了する頃です。弟さんを見送って貴方も旅立つときが来ました」
「たび?」
きょとんとした顔で首を傾げるルゥに、ノエはにっこり笑って見せる。
「ええ。あなたは護るために戦うのに向いています。ですが我々は、あなたに護って頂かずとも、充分強いですから」
確かにと、ルゥは頷いた。
ノエは勿論だが、ノーマの強さも見ての通りで、ニアに至ってはノエの秘書をしているだけあり護衛いらずの強さだと知っている。
「フローラリアの少女……ミア様と仰いましたか。彼女はとても大変な旅をされています。きっとあなたの力が必要なときが来るでしょう」
「ミアの、たび……そんなにたいへんなのか……?」
「それはもう。魔骸絡みの旅など、この世の誰よりも大変と言っても過言ではありませんよ」
理解が追いついていない様子のルゥに、ノーマが「あなたの兄弟を襲った黒い石を浄化する旅をしているんですよ」と補足した。それを聞いて漸く我が身に降りかかった悲劇と結びついたのか、ルゥは沈痛な表情になって俯いた。
「……わかった。ミアに、きいてみる」
「ええ。是非そうしてください。それと」
ノエはルゥの正面まで行って大きな手を取ると、魔石のついた革製のチョーカーを握らせた。
「あなたへの選別です。我々はいつでもあなたたちを歓迎します。休みたくなったらいつでも私の元に帰ってきてください」
「ノエ……ありがと。おれ、がんばる」
何処までも素直なルゥの有り様に、ノエは細い目をにんまりさせて満足げに頷いた。




