変わらない朝
オーナーが一人いなくなったところで街は然程変わらず、朝からいつも通り賑わっている。
ただ、彼のオーナーの元に所属していた闘士は、新たな所属先を見つけるために、街の登録所や別のオーナーのところを訪ね歩いたりしていた。しかし殆どがソルジャーかトルーパー階級だったためにほしがる人があまりおらず、纏めて同じ人に拾ってもらうことは難しいようだった。
ミアとクィンが旅支度を調えているあいだ、折角だからとヴァンは近接武器部門に挑戦者登録をしていた。参加金は充分集まったが、旅の路銀はいくらあっても足りない。それになにより、この街に来て一度も戦わずに帰るなど、冒険者としては考えられなかった。
近接武器部門は手元から飛んで行かない武器なら何でも使える上、防具にも制限がない。ゆえに金属鎧で全身を固めた戦斧使いの重戦士と、革鎧だけを纏ったナイフ使いの軽戦士が当たることも当然にある。殴る蹴る投げ技などの格闘技に制限はないため、ナイフやナックルでも重戦士相手に勝ち目は充分ある。どの部門も、単純に強いものが勝つのだ。
「久々だなァ、この空気も」
選手控え室で待機しながら、ヴァンは愉しげな笑みを浮かべた。室内には関係者ということで、ミアたちも揃っている。但し、試合前に隠れて補助魔法等をかけられないよう、大会監視員が二名ついているが。抑も端から不正をするという思考がないため、全く気にしていない。
「ヴァンは何度か此処で戦ったことがあるのよね? でも、挑戦が最初からなのはどうして?」
「ああ、それは前回から一年以上経ってるからだな」
「そういう制度もあるんだね。結構しっかり作られているみたいで凄いなあ」
窓辺に寄りかかり、外から聞こえてくる歓声を聞きながら、シエルがのんびりと感心する。
ミアも興味深そうな表情でヴァンの説明を聞いており、未知の文化に目を輝かせていた。一行と共に来ていたルゥは、自分が出るわけではないのにそわそわとしていて落ち着かず、クィンは熱気溢れる会場からの声に耳を傾けつつ、ミアの傍についている。
ルゥは暫く闘技場から離れるかと思われたが、ヴァンが戦うと聞いて見に来たのだ。元通りとは行かないまでも僅かに笑顔が見られるようになっており、ミアたちは少しだけ安堵していた。
「こっちの控え室、おれのとぜんぜん違う……いすがある」
「そういや、拳闘士の控え室は何つーか、取り敢えず物置を開けときました、って感じの殺風景な部屋だったな。ベンチもボロかったし」
「挑戦者のほう、ベンチあった? おれのほう、なかった」
「マジかよ……プリンス階級の闘士に対する処遇じゃねえだろ」
いま思うと、細かいところを見ればオーナーの闘士に対する見方が把握出来たようだが、端から彼を信じていたルゥにそれは難しかっただろうことも理解出来る。ヴァンは何とも言えない表情で頭を掻くと、お座りの格好で地面にしゃがみ込んでいるルゥの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「まあいいや。取り敢えず、観客席でいいこにしてろよ」
「? わかった」
「間もなくお時間です」
全くわかっていなさそうな顔で頷くルゥに苦笑したところで、見張りをしていた大会監視員が、一行に声をかけた。
「関係者専用観戦席へご案内します」
「どうぞ此方へ」
「じゃあ、私たちは観客席で見ているからね」
「ヴァン、がんばって」
ミアたちはヴァンに手を振ると、控え室を出た。それから大会監視員二名に案内され、初めての一階席へ通された。リングを上から見通せる二階席と違って、一階席は舞台がすぐ目の前にある。更に関係者専用観戦席は、その名の通り一般には売りに出されない、関係者だけが使える最前列の席だ。その後ろには高額チケットの一階席があり、上等な防具に身を包んだ冒険者が並んでいる。下級の闘士相手にしては席が埋まっていて、二階の自由席にも観客が集まってきている。
「ルゥのときと同じくらい人が見に来ているわね」
「ソルジャーで人いっぱいはすごいなー」
周囲の歓声と怒声を一つ一つ聞いてみると、どうやら先日の『魔骸討伐』を見ていた人が、噂を聞きつけて集まっているようだった。
『皆様お待たせ致しました! 本日ソルジャークラス注目の対戦カード!』
リングアナウンスが掛かるや、会場から野太い声援が湧き起こった。アナウンスの男も負けじと声を張り上げ、更に会場を盛り上げる。
ソルジャー階級の闘士がまず入場して、次いでヴァンが入場する。どちらも同じくらいの声援が送られ、会場の熱気は最高潮となった。
登録闘士はフルメタルアーマーを装備した斧使いで、短剣使い且つ軽装のヴァンとは一見すると相性が悪いように見える。
「ヴァンってもしかして、カリスガルドの英雄……?」
「それって堕竜殺しのヴァンのことか? 十年前くらいの話だろ、それ。アイツはどう見ても二十そこそこくらいだし。十年前つったら子供じゃねぇか」
「いや、抑もそんな有名人がこんなとこにいるかぁ? しかもソイツはソロの冒険者だったろ? 無慈悲で群れない一陣の風とまで言われたヤツが、よりにもよって……」
「だよなぁ……ま、オレも直接顔を見たことがあるわけじゃないし、同名の人間くらいいるか」
不意に聞こえてきた観客の噂話。それはヴァンの素性にまつわるもののようだった。だがすぐにそれも沸き立つ歓声にかき消され、会話の主さえもわからなくなった。
『セット!』
開戦のゴングが鳴り、一瞬の隙もなく斧が振りかぶられる。仰々しい装備をしているわりには、見た目ほど動きが鈍くないようだ。
空を切る戦斧の刃。低い風切り音が、歓声に紛れる。ひらひらと踊るように攻撃をかわしつつ、ヴァンは合間に蹴りを入れては探るような目を向けていた。
「――――此処だ!」
狙い澄ました足先が、闘士の側頭部を捕らえる。
ガツンと鋭い音がして、会場が一瞬静まり返った。
「ぐっ……」
ふらりとたたらを踏み、闘士の男が膝をついた。そして、
「うげぇえええっ!」
アーマーの中で、盛大に嘔吐した。
びちゃびちゃと液体をぶちまける音がして、アーマーの隙間から吐瀉物が零れ出る。それを見たリングアナウンサーが慌てて駆け寄ってきて、片手を大きく上げた。
勝負ありの合図だ。
『勝者! 挑戦者ヴァン!』
一拍の間ののち、歓声が会場中を埋め尽くした。
登録闘士はふらつきながら係員に両肩を支えられてリングを去り、ヴァンも観客に手を振りつつ逆側の出入口から出て行った。その背を見送ってから、ミアたちも会場の外へと向かう。
「ヴァン、おめでとう! とってもドキドキしたわ」
「おう、ありがとな」
弾む声で言いながら駆け寄ってきたミアを抱き留め、紅潮している頬を撫でる。そのすぐ後ろについてきたクィンたちもそれぞれヴァンを労い、誰からともなく歩き出した。
「いやあ、手加減しながら戦うって案外難しいのな。お前、良くやれてたな」
「おれ? おれは、ヒュメンのかっこしてたら、へいき」
「マジか。それもある意味便利だな」
他愛ない話をしながら宿へと戻る道中、ふとルゥが足を止めた。
「ルゥ、どうしたの?」
「おれ、ちょっとやることある。ノエにたのまれてる」
「それって、わたしたちではお手伝い出来ないこと……?」
ルゥは頷き、でも、と明るい表情で続けた。
「ノエもノーマもいいやつ。だから、だいじょうぶ」
「そうだね。君がそう信じる人なら、きっと大丈夫だよ。行ってらっしゃい」
「おう! じゃーなー!」
元気に手を振って、人混みへと消えていく。
心配は尽きないが、かといって出来ることもない。一行はルゥを案じつつも宿へと戻った。




