鳥籠の中の獣
試合後、一行は闘技場を飛び出し、ルゥを探した。彼は勝利の宣言を聞く間もなくリング上から去り、何処へかと消えていた。
関係者しか入れないところにいたら手出しは出来ないが、そうでないなら。
四人の脳裏に、ノエの言葉が反響する。異なる階級の闘士を抱えるオーナーが助けを求めるほど大きな異変が彼に起きているのだとしたら、すぐにでも見つけ出さなければ。気ばかりが急いて、喧騒を上手く掻い潜ることが出来ない。
「……裏手のほうから先ほどの乱れた魔素の気配がします」
クィンが感知したほうへと向かうと、闘技場の裏手で壁に背を預け、蹲っているルゥがいた。
慌てて駆け寄り、ルゥを取り囲んで声をかける。
「ルゥ、いったいどうしたの?」
ミアが手を触れると、ルゥの体は異様な熱を帯びていた。ルゥは苦しげに呻くばかりで、ミアの言葉に答える気配がない。息も徐々に浅くなってきて、体から力が抜けていく。
座り込んだミアが慌てて支えるが、鍛えられた獣人の体はミア一人では支えきれない。後ろからクィンが手を伸ばし、ミア諸共ルゥを支える。
「……きょう、だ……ぃ…………おれ、が……オー……ナー、どう、し……て…………」
意識を失う寸前、途切れ途切れに零した言葉。それがなにを意味するのか、いまのミアたちにはわからない。だがルゥは、やはり何らかのトラブルに巻き込まれている可能性がある。
稚い花の少女のか細い腕の中で意識を失い項垂れているルゥを見つめ、どうするべきか思案していると、俄に周囲がざわついた。
「アイツらだ! アイツらが私の大事な闘士を勾引かしたのだ!」
顔を上げた一行の目に飛び込んできたのは、恰幅の良い中年の男が、ミアたちを指差して周囲に向かって叫んでいる姿だった。彼の男はお世辞にも趣味がいいとは言えない派手な服に身を包み、手指を始めとする全身に、歩く度ジャラジャラと音が鳴りそうなほど貴金属をつけている。
路地を行き交っていた冒険者たちが、何事かとミアたちを見る。その腕に意識のないプリンスの闘士が抱かれていることと、オーナーの言葉をつなぎ合わせて、彼らがルゥになにかしたのではと疑念が広がっていく。
「どういうことなの……?」
「どうやら此処は、狩猟罠の中のようですね」
「チッ、面倒な」
小さく悪態を吐きながら、ヴァンはミアの腕の中でぐったりしているルゥを見下ろす。
自分たちだけならばどうにか逃げることは出来るだろう。だがこの状態のルゥを見捨てて逃げる選択肢などあるはずがない。昨日の夕刻までは体調に何の異変もなかった彼が、一夜明けただけで意識を失うほど魔素を狂わせているのには、なにか理由があるはずなのだ。
「どうしてくれるのかね。その闘士には午後のエキシビションマッチの予定もあったというのに、これでは使い物にならないではないか!」
「昨晩、あれに取り入り街一番の宿へ泊まっていることも把握済みです。大方頭の弱い獣人に口先巧みに言い寄って、招待権を使わせたのでしょう」
オーナーと秘書の言い様に、クィンとヴァンは僅かに眉を寄せる。
何人かミアたちが高級宿から出てきているのを目にしていた冒険者がおり、そういえばと小声で呟いている。なにせ一行は、この街では特に目立つパーティだ。何処にいてもなにをしても人目を引いてしまう。
「エキシビションマッチ……?」
耳慣れない言葉にミアが首を傾げると、オーナーは意地の悪い笑みを浮かべて「そうだ」と目を細めた。
「代わりに、お前たちに出てもらおうではないか!」
ざわっと周囲に動揺が走る。
顔を見合わせヒソヒソと話す声が、動揺に乗って波紋のように広がっていく。
オーナーは両手を広げ、高らかに宣言した。
「そうだとも! 稼ぎ頭だったプリンス階級の闘士を勾引かし、更に毒を盛った悪辣なる冒険者と魔獣によるエキシビションだ!」
にたりと笑みを張り付け、オーナーは一行を指差す。
「逃げれば国際指名手配、勝てば放免だ! 更に、もし勝てればエキシビションの規定通りの額をくれてやろう。私は金に目が眩んだ憐れな冒険者崩れであろうと恩赦を忘れない慈悲深いオーナーだからなあ」
先ほどから言いたい放題だが、四人は此処で弁解してもどうにもならないことをわかっている。やった証拠よりやっていない証拠を見せるほうが、圧倒的に困難であることも。
「そうと決まれば、早速――――」
「では、そのあいだ、ルゥは我々が預かっておきましょう」
大仰な仕草で振り返りかけたオーナーが、ピタリと動きを止めた。
「貴様、チャンドラー! どういうつもりだ!」
野次馬の群を掻き分けて現れたのは、ミアたちにルゥを助けてほしいと告げてきたノエだった。彼もルゥのオーナー同様傍らに秘書らしき人物を従えており、どちらもルゥのオーナーと比べると華奢で中性的に見える。
「どうもなにも。この中で、彼らが毒を盛った瞬間を見た者はいますか?」
ざわざわと顔を見合わせる冒険者たち。
彼らは騒ぎが起きたから見に来ただけで、決定的な瞬間は見ていない。特に、ルゥが蹲っていた頃から遠巻きに眺めていた冒険者たちは、彼らはあとから駆けつけたことを知っている。試合前は観客の前に姿を現さなかったため、抑もルゥが何処でなにをしていたかすらわからないのだ。
「確定でないことを罪とすることは出来ませんよ」
「五月蠅い! 部外者がゴチャゴチャ口を出すな! とにかくそれが使い物にならん以上は代理がいる! エキシビションマッチはソイツらにやらせるからな! 行くぞ!」
「……はい、オーナー」
憤慨したオーナーが顔を真っ赤にしながらドスドス足音を立てて去って行く後ろを、秘書の男が付き従っていく。去り際に振り返り一瞥を寄越したが、その表情を読み取ることは出来なかった。
「大事な闘士と言っていたわりに、結局置いて行きましたねえ」
溜息と共に呟くと、ノエはルゥの正面にしゃがんでミアと目線を合わせた。
「如何でしょう。試合のあいだ、当家の救護室で預からせて頂けませんか」
「ノエさんの……?」
「ええ。私こう見えて、皆様が泊まっておられる宿を経営している一族の者でして。上級闘士専用救護室も当家の経営なのですよ」
驚き、目を瞠るミアを、ノエの笑みにも見える細い目が見つめる。
ミアはクィンと顔を見合わせてから頷き合い、ノエに向き合うと「よろしくお願いします」と、頭を下げた。
「では、早速お運びしましょう。早く寝かせてあげたいですしねえ。ニア、頼みましたよ」
「承知」
これまでじっと黙って控えていた秘書らしき男が、ミアからルゥを預かって抱え上げた。ルゥと彼とでは随分と体格差があるように見えたが、立ち上がる動作に苦労している様子はなかった。
ノエたちが立ち去ると、野次馬の壁もバラバラと崩れ始め、四人も一先ずその場をあとにした。