場外乱闘?
シエルが無言でミアを引き寄せ、ヴァンとクィンが前に出て二人を庇う。それをも可笑しそうに笑い飛ばし、中心の男が値踏みをするように一行を見下ろした。
「おい、見ろよ! コイツはともかく、他は吹けば飛びそうな優男ばかりじゃねェか!」
「ソイツも大したことなさそうだがな。まさかお祭りと勘違いして来たんじゃないだろうな?」
「がははっ! だったら花火みてェに打ち上げてやろうぜェ!」
棘のついた鉄の腕輪を装備した男が、笑いながら一歩前に出る。
「オッサン、客同士の乱闘は御法度だって知らねえのかよ」
聞きはしないだろうと思いつつヴァンが言えば、案の定男たちは酔っ払いのようなテンションで腹を抱えてゲラゲラと嗤った。
「乱闘じゃねェ! 一方的な蹂躙なら問題ねェだろうが!!」
ヴァンの目の前で、グラントのそれにも劣らぬ大きな拳が振り上げられる。
「それともう一つ」
しかしヴァンは身動ぎ一つせず、真っ直ぐに男を見据えていて。
拳が振り下ろされた瞬間、両者のあいだに灰色の影が割り込んだ。
「な……ッ!?」
顔の前で交差させた腕に、男の拳がぶち当たる。
ヴァンの顔の骨くらい砕いてやるつもりで振り下ろした拳は、僅かのダメージも与えることなく受け止められ、そして――――いとも容易く振り払われた。
「挑戦時以外に、如何なる理由があろうとも闘士へ手を挙げること罷り成らん。此処の基本だぜ、オッサン」
拳を受け止めたのは、今し方リングで挑戦者を返り討ちにしたばかりのリュカントの青年、ルゥだった。長い髪の隙間から覗く猛獣の瞳に射抜かれた男たちが、僅かにたじろぐ。
格下と見下していた軽戦士や楽園育ちの妖精族、指を軽く弾いただけで倒れそうなエルフの青年相手には強気でいられた男たちも、プリンス階級の闘士を相手に出来るほどの威勢はないらしい。
「其処までだ!!」
と、其処へ拳闘場の警備兵が駆けつけ、男たちを包囲した。暴れていた男たちにも劣らぬ体格に加え、彼らは武器も防具も装備している。
「アンフィテアトラ独法第三条第六項違反により、連行する」
男たちはまるで罪人がつけるような鉄球付きの手錠をつけられ、引きずられるようにして会場をつまみ出されていった。
あわやという騒ぎを起こした男たちが消えると、周囲から安堵の息が漏れた。柄の悪い客たちはあくまでショーとしての戦いを楽しみたいのであって、自分たちが暴れたいわけではない。中には負けた鬱憤を晴らしてやりたいと思う者もいるだろうが、実行に移せばどうなるかは見ての通り。一時の感情で永久出入り禁止処分になるほうがずっと損だと大半の人間がわかっているからこそ、此処の治安は一定以上悪くならずに済んでいるのだ。
「オマエたち、大丈夫か?」
「それはこっちの台詞だっての。真正面から受けただろ」
「へいき! ルゥは頑丈! 強い子だからな!」
「そうかよ」
腰に両手を当ててふんぞり返るルゥだが、ミアの目線からだと拳を受けた腕が僅かに赤くなっているのが見える。
「シエル……」
ミアに呼ばれるまま屈むと、シエルの目にも赤らんだ腕が見えた。
「ねえヴァンくん、闘士の人には手を出しちゃだめって言ったけど、治療はしてもいいのかな?」
「あ? ああ、それは問題ねえけど」
それならと、シエルは竪琴を構えて短いメロディを奏でた。
子守歌のように優しく、故郷の歌のように懐かしく、頬をそっと撫でる母の手を思わせる温かい曲が、ルゥを包む。すると腕の赤みがとけるように消えた。
「……? あれ? 痛くない」
「お前、やっぱ怪我してたんじゃねえか」
「け、怪我じゃない! ちょっと痛かっただけ!」
強がるルゥを「はいはい」と聞き流し、ヴァンは天井から下がる対戦表を見上げた。其処には、ソルジャークラスとトルーパークラスの対戦が並ぶばかりで、上級クラスの対戦は見当たらない。
「今日はもうプリンス階級はないのか」
「ないなー! だから、遊びに来た! 自由時間!」
ルゥはヴァンの横から後ろを覗き込み、ミアをじっと見つめたかと思うと右手を差し出した。
「オマエ、やっぱり見たことない! どこからきた?」
「ええと……妖精郷からよ」
「妖精?」
首を傾げ、暫し考え込んでから、ルゥの視線が傍らのクィンへ移る。
その視線は「妖精はこっちでは?」と語っているようで、ミアは何と言ったものかと思案した。フローラリアが花園の奥に籠るようになってから数百年。伝承でしか知らない人がいるのは当然のことで、だからこそどう説明するべきかが悩ましい。
「ミア様は、フローラリアですよ」
「フローラリア? 聞いたことないなー。妖精じゃないのか?」
「違いますね」
「そっかー」
理解したのかしていないのか、何とも言えない返事をしながら、ルゥはミアの手を取って優しく握った。その手は、ヒュメンを初めとした人型種族のように五本指ではあるが作りは獣のそれで、指先には鋭い爪が、手のひらには弾力のある肉球がついている。
「あら? さっき会ったときと手の作りが違うのね」
「さっきはヒュメンに化けてたからな! こっちがほんと!」
「試合中は完全に人型だよな。なんか縛りでもつけてんのか?」
「んー、半獣でもいいんだけど、そーすると死んじゃうことあるからなー」
ルゥの言葉を聞いて、ヴァンは闘技場の保険に関することを思い出した。
フリースタイルのところは別として、闘技場の闘士には保険がかけられている。更に挑戦者にも簡易な傷害保険がかかっており、敗者であっても怪我の程度に応じて治療代の一部が支払われる。勿論勝者の掛け金には及ばぬ額だが、それがあるためどれほど危険でも挑みに来る力自慢があとを絶たないのだ。
しかもフリースタイル以外の全ての部門で、死亡時には家族や故郷、或いはパーティメンバーに金が送られることになっている。大概は所属しているギルドがある街に振り込まれるのだが、郷が貧しい者や孤児などは命をかけた一攫千金を狙って此処へ来ることがままある。
「……まあ、無差別部門でもねえなら、殺さないに超したこたねえよな」
「おう! それに、挑戦者には帰るとこもあるしなー」
まるで自分にはそれがないような物言いが引っかかり、ミアが訊ねようとした。が、それよりも先にルゥが「そうだ!」と声をあげた。
「オマエたち、宿あるか?」
「あっ」
「そういえば、取り忘れていましたね」
それを聞いて、ルゥが一行を見回して言う。
「ルゥ、いい宿知ってる! 案内する!」
歩き出した一行の後方で、目を光らせている陰がある。
だが熱気と殺気に満ちた街では誰もそれに気付くことなく、四人はルゥと共に宿屋通りへ消えていくのだった。