強者の戦い
「セット!」
審判がリングを降りて、所定の位置につく。
緊張の糸が張り詰め、会場中が静まり返る。
観客全員が固唾を呑んで戦士たちを見守る中、開戦のゴングが鳴った。
「ふんッ!!」
岩のようなグラントの拳がルゥの頭上に振り下ろされ、石造りのリングが轟音と共に砕かれた。砂塵が舞い、石礫が飛び散る中で気配を探るグラント。殴った感触で仕留められていないことは、本人がよくわかっている。視線を巡らせ、音を拾う。五感全てで捕えるべき獲物を探っていると、正面でガラッと石礫が崩れる音がして、一瞬其方に気が逸れた。
直後。背後から、微かに風切り音がした。
「しまっ――――!」
振り向き様。グラントが目を見開いたのと、ほぼ同時だった。
ドッと鈍い音がこだまし、鉄板のような腹筋に、ルゥの足がめり込む。
並大抵の攻撃は、グラントにとって微風ほども感じないはずであった。獣人とはいえ半分ほどの体格しかない青年の蹴りなど、己にかすり傷も負わせられないだろうと思っていた。
其処いらの闘士なら鉄板を蹴ったような感触を受け、却って己の足が痛んだだろう。
「……ぐ、ゥ……!」
しかし。
鋭い目が、大きく見開かれる。ぐらりと、見上げんばかりの巨躯が傾ぐ。
ルゥが飛び退いたそのあとに、崩れたリングにうつ伏せで倒れ伏す、屈強な肉体の持ち主。
誰もが目を瞠り、息を飲んだ。なにを見ているのか信じられないといった様子で。
倒れたグラントは、指先一つ動かない。これまでの試合を一撃必殺で勝ち進んできた男が、逆に一撃で仕留められたという信じ難い事実が、ただ其処にあった。
「……ッ、勝者、プリンス・ルゥ!!」
半ば瓦礫と化したリングに駆け上がり、審判がルゥの片手を高らかに上げた。
一瞬の静寂ののち、入場時以上に熱っぽい歓声が上がる。敗者の紙吹雪と怒声と歓声が混じった熱気を浴びながら、ルゥは観客席に笑顔を振りまいている。
ふと、二階席に手を振っていたルゥが、ミアを見つけた。その瞬間、健闘した戦士の笑みから、年相応の幼さと愛嬌を持った笑顔になった。
「すごかったわ……あんなに大きな人も倒してしまうなんて」
両選手が入退場口から捌けていったのを見送り、ほうっと息を吐く。
意識がないグラントは、四人がかりで担ぎ上げ、荷車と見紛う大きな台車で運ばれていった。
「相手もプリンスまで登ってきただけあって、弱いわけじゃなかったんだがなあ。このクラスから先は別格ってことだな」
「さっきからプリンスって聞くけど、それって何のことなのかな?」
背後からミアの肩に両手を添え、軽く前屈みになってクィンの隣にいるヴァンを覗き込みながらシエルが訪ねる。話しかける相手の顔をよく見ようとするのは彼の癖らしく、碧玉の瞳が真っ直ぐヴァンを見上げていた。
「此処、アンフィテアトラ共通の階級のことだな。パンフレット持ってきたから、見てみな」
「いつの間に。じゃあ、ちょっと拝借するよ」
三つ折りのパンフレットを開くと、場内マップと施設の説明、それと階級の解説があった。
全ての闘技場に、キング・クイーン・プリンス・ナイト・トルーパー・ソルジャーの、六階級が存在する。キングとクイーンは、各クラスに一人。プリンスは二人。ナイトとトルーパーは四人。ソルジャーは八人いて、挑戦者はどれほど経験を積んだ冒険者でもソルジャーから開始する。
そして、各部門にはスートが当てはめられており、素手格闘ならハート、近接武器はスペード、遠距離武器はクラブ、そして無差別級はダイヤとなっている。そのため此処に通っている冒険者は『ハートのプリンス』などといった呼び方をすることが多い。
これらの階級と部門名は、貴族から一般人まで広く愛されている卓上ゲームが元になっている。階級名はコマを進めて陣地を取り合うゲーム、部門名は記号と絵柄が描かれたカードゲームだ。
「なるほどね。さっきの彼はハート部門に二人しかいないプリンスか」
「そういうこった。クイーン以上の階級ともなるとチケットの倍率も値段も跳ね上がるし、何なら違法取引きまで始まるから治安も一気に悪くなる。用心しな」
「何だか、凄いところに来てしまったわね……」
無法地帯に見えて、この街なりの秩序がある。
力という名の序列に従い、人々は熱狂しているのだ。
「それにしても、ヴァンくんは随分と詳しいね。来たことがあるのかい?」
「あー……まあ、手っ取り早く稼ぐには此処が一番だからな」
それに、とヴァンは遠くを見る目で呟く。
「俺、元はこの大陸で活動してたんだ」
「そうだったの? だからとっても頼もしかったのね」
屈託のない笑みを向けるミアの頭を、ヴァンの大きな手のひらが撫でる。
喜びがミアの髪に甘やかな花を咲かせ、照れくさそうに頬を染めた。そのときだった。
「なんだなんだ、随分場違いなガキが紛れ込んでるじゃねェか」
柄の悪い大男が三人、一行の前に立ちはだかった。




