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刻の傷痕

「ローベリアへ行くのはいいけれど、参加金が必要なのよね?」


 重く沈んでいた室内に、鈴を転がすような声が響いた。

 場違いに明るいわけでも、シエルの思いを軽んじているわけでもない。しかしミアの稚い声は、踏み荒らされた故郷を想い、昏いところへ落ちかけていたシエルの心を、僅かに掬い上げた。


「一人百万な」

「そんな大金、すぐには用意出来ませんよね」

「私も気儘な一人旅だったから、大金を持ち歩くことはなかったかな」


 抑もガルト金貨は十万分だとしても相当な重さになる。そんなものをぶら下げていたら、匪賊の輩に狙い目は此処だと宣伝して歩くようなもの。


「其処で、だ。手っ取り早く稼げる場所にまずは行こうと思う。路銀もいるしな」

「そんなところがあるの?」


 ヴァンは口の端を持ち上げて笑うと、バックパックから使い込まれた地図を取り出した。それはただ使い込まれているだけでなく地形や地名がだいぶ古く、土地を知らない者が使えば確実に道を見失うものであった。


「随分古いものを使っているんだね。私の故郷が無事だ」

「まあな。……で、行き先は此処だ」


 ヴァンは地図上のなにもない地点を指して言う。

 山の向こう、森の際、大陸の北東部にほど近い位置だ。


「三十年くらい前、此処に新しい街が出来た。その名も剣闘士の街、アンフィテアトラ」

「剣闘士の街? ギルドの街とは違うのね」

「おう。此処は力自慢共がその力をふるい、競い、そして大金と名声を得る場所だ。まあ、だいぶ野蛮だが、序列が分かりやすい街でもあるな」


 アンフィテアトラは、ローベリアから出奔した貴族が興したとも城塞都市アフティカが秘密裏に兵士を育成するために作ったとも言われる、血と汗と金のニオイに満ちた街だ。

 旧い時代に存在した、奴隷を使った見世物とは違い、これは一方的な蹂躙劇を貴族に見物させるものではない。己の力を試す者、金のために命を懸ける者、それらに大金をつぎ込む豪族などが、互いに持てる力をぶつけ合う場所。力のない者は金を、金のない者は力を、どちらもない者は命を賭して頂点を目指す。

 ヴァンの言う通りこの上なく野蛮ではあるが、現状最も大金を稼ぐのに現実的な街である。


「ミア様にはあまりこういった場に近付いてほしくはないのですが……しかし言っている場合ではありませんね」

「悪いな。此処以外となると、俺もあまり見当つかねえわ」

「いえ。我々だけでは、抑も此処まで来るのにどれほど掛かったか知れませんので」


 そうは言いつつ、クィンは依然複雑そうな表情をしている。

 妖精郷から外に出てまだ然程経っていない幼姫を、いきなり荒くれの巣窟へ放り込むのに抵抗があるのは無理からぬこと。だが他に金策手段がないのも事実で、更に言うなら他に行くべき場所の当てがないのも事実。


「うーん……闘技場に行くのはいいとして、どうやって? 結構距離があるよね」


 シエルの繊細な指先が、現在地の港町から剣闘士の街へと滑る。


「真っ直ぐ行くなら空路がいいだろうな」

「空路? お空を通るの?」


 そう訊ねるミアの双眸は、好奇心に輝いている。話し聞かせるヴァンは優しく笑って見せながら小さい頭を撫で、務めて明るい声で答えた。


「おう。丁度いいことに、此処は港町だ。奏空挺も馬車も船もある」

「奏空挺……噂には聞いていたけれど、完成していたんだね」

「二十年ほど前にな。完成当初はそれなりに事故もあったらしいが、いまじゃ街の観光資源になるくらいには落ち着いてるし、何ならアンフィテアトラ行きの定期便まである」

「なるほど。それだけ冒険者がその街を利用してるってことだね」


 いつの間にか、三人共がヴァンの周りに集まって古びた地図を覗き込んでいた。

 好奇心に反応してか、ミアの花翼がふわりと甘やかに香る。花の香に誘われる蝶のように、白い手を差し伸べて、シエルはミアの華奢な肩を抱き寄せて微笑みかけた。


「新しい街、楽しみだね。とても荒っぽいところみたいだけれど、それでも」

「ええ、とっても。それに、奏空挺も初めてだわ。お船がお空を飛ぶなんて、夢みたい」

「うん。海の次は空だなんて、贅沢だよねえ」

「ほんとうに。いったいお空の上はどんな景色なのかしら」


 うっとりと夢を見るような表情で語るミアを、優しい眼差しでシエルが見つめる。そして宝玉の輝きを持つ瞳を覗き込みながら、竪琴を構えて見せた。


「せっかく港町に来たのだから、少しだけ歌って来ないかい?」

「お歌を?」


 ミアの視線が、クィンへと向けられる。

 クィンは慈愛に満ちた目で見つめ返しながら、静かに頷いた。


「シエルが一緒なら」

「勿論。奏空挺は奏海船より少し値が張るからね。バードとしての初仕事と行こう」

「素敵! またシエルの歌が聴けるなんて」

「ミアも一緒に歌っておくれよ。独りは寂しいからね」


 シエルの言葉に、ミアの目がいっそう輝きを増す。シエルがミアの手を取り、クィンとヴァンに「ちょっと外で歌ってくるよ」と告げると、ヴァンは手を振って見送った。


「……気の利くこったな」

「私に、話したいことがあるのですね」


 話が早くて助かる、と言って地図をしまい、ヴァンは低く落とした声で話し始める。

 これから向かうアンフィテアトラが、どういうところか。その現実と真実を。


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