うつろうもの想い
クィンが魔石の花を拾うとエレミアのとき同様に花弁がはらりと落ち、黒い花心だけが残った。その花心も霧のようにとけるとクィンの中に吸い込まれて消えた。
「お疲れ様です。全て完了致しました」
「うぇ……口ン中ジャリジャリする……」
軽く咳き込むと、喉の奥から血の味が滲んでくる。
ミアとシエルを見れば二人も似たような状況で、毒で喉をやられていたシエルに至っては呼吸をするのもつらそうだ。
「水を分けてもらいに行くか……建物がわりと無事で済んだのは良かったな」
「そういえば、操られていたのは冒険者の方ばかりでしたね。なにかあるのでしょうか?」
「あー……港町のヤツらは強めの水と風の魔素避け持ってるからじゃね?」
ヴァンの説明に、クィンはなるほどと頷いた。
歌属性は風属性の下位属性に当たる。風のない場所に歌は流れない。海風が吹く街で生きている人々は日常的に風の守り石を身につけていたため、ヒュメンでも操られずに済んでいたのだ。一部無事だった冒険者は、早めに海を渡る準備をしていたのだろう。
「あ、お守りといやぁ、これ。返すぜ。ありがとな」
ヴァンが借りていた煌めくイヤリングを外すと、シエルはヴァンを見上げて首を傾げた。
「ん? あぁ、風の守り石なら俺も持ってっから大丈夫だって。さすがに災厄の魔石の魔力までは防げなかったとは思うけどな」
シエルは暫く考えてからイヤリングを受け取り、自分の耳につけ直した。やはり、碧色の魔石は彼のほうが似合っている。
髪や服に被った砂を落として宿に戻ると、不安げな表情で待機していた従業員たちがパッと顔を上げて駆け寄ってきた。
「ご無事ですか!?」
「おー、何とかな。水もらえるか? 砂がヤベェ」
「はい、ただいま! 浴場もすぐにお使い頂けますので、どうぞ」
バタバタと駆けていく従業員を見送り、一行は宿の大浴場で砂埃を洗い落とした。
浄水設備が充実している港町の大きな宿なだけあって、浴場は男女で分かれている上に立派で、洗い場も浴槽も広く、冒険者向けの薬草風呂まである。此処まで充実しているのは港町でも此処と同規模の僅かな宿だけだろう。
貸し切りにして構わないとの言葉に甘えて片方を貸し切りとして、ミアも含めて全員で入った。
「旅が始まったらまた水浴びの日々だからなァ」
などと言いながら、子供のように表情を輝かせて全種類の浴槽を試すヴァンを後目に、クィンがミアの花翼を丁寧に洗っている。シエルはそんな三人をにこにこしながら見守っていて、時折興味深そうにミアの花翼を眺めた。
魔法生物の大半はヒュメンのように代謝物を洗い流す習慣こそないが、今回は砂まみれになったこともあり、人のように風呂を堪能したのだった。
「わたしも色んなお湯を楽しめたら良かったのに……残念だわ」
暫く経って、薬草の何処か青く爽やかな匂いを纏って出てきたヴァンを見、先に出ていたミアが呟く。植物の性質を強く持つフローラリアは、熱に弱い。浴室の湯気程度なら何とかなるものの、湯に浸かれば花翼は萎れてしまっただろう。
「嬢ちゃんの洗浄を必要としない体質は冒険者としちゃ羨ましいんだが、確かに楽しみもないのは寂しいな」
「妖精郷にも入浴の文化はありませんでしたしね」
「エルフもそうだっけか?」
ヴァンの問いに、シエルが頷く。
部屋の前まで来ると、シエルは三人に真っ直ぐ向き直り、胸に手を当てて一礼した。それから、ミアの手を取って指先に優しく口づけをすると、ふわりとやわらかな風を残して姿を消した。
「シエル、大丈夫かしら……?」
「呪毒ですから時間はかかるでしょうが、大丈夫でしょう。お仕事には間に合いますよ」
「そうよね……あんなに綺麗な魔素の持ち主だもの、大丈夫よね」
部屋に入り、ミアはベッドに腰掛けるとそのまま横になった。
ふかふかと体が浅く沈む感触を堪能していると、緩やかに瞼が降りてくる。
「ミア様。どうぞお休みください」
「ん……クィンは、まだ眠らないの……?」
「私もすぐに休みます」
クィンが髪を梳いて答えると、ミアはやわらかな笑みを浮かべ、とけるようにして眠った。
閉じた瞼と静かな寝息を確かめた刹那。クィンの体が、ふらりと傾いだ。
「おっと……! 大丈夫かよ」
「ええ。すみませんが、私も今日は休みます」
「そうしろそうしろ。暫くは俺が見ててやっから」
「ヴァンも戦闘後なのですから、早めに休んでくださいね」
「俺のことはいいから。ほれ、さっさとベッドに入る」
体を支えながらクィンをベッドに横たえ、ぽんぽんと寝かしつけるように胸元を撫でる。暫くは眉根を寄せてミアのほうを見つめていたクィンだが、疲労には勝てないようで、やがて諦めて目を閉じた。
「五日後にはカリスガルドか……俺も覚悟を決めねェとな……」
ベッドに寝転がり、天井を見るともなく見上げる。
西大陸カリスガルドに渡ったあとは、フィールド上のあらゆる場所で気が抜けなくなる。
妖精郷で育った世間知らずのフローラリアと、謎の多い執事。何となく放っておけなくてこんなところまで来てしまったが、彼らと別れて気儘なひとり旅へ戻る気になれない自分の心に、ヴァン自身が一番動揺していた。