カササギ
宿に戻ると部屋の窓にカーテンを引き、顔色の悪いミアとヴァンをそれぞれベッドに座らせた。ヴァンは溜息を吐きつつ仰向けに寝転がり、ミアはクィンに縋り付いて震えている。
「何だったんだ、あの歌は……」
「……あれは、恐らく夢紡ぎの歌ではないかと」
クィンの言葉に、ミアがビクッと身を竦めた。
ひどい悪夢に魘されて飛び起きた子供のような姿で、目には涙を浮かべて、吐息さえも震えさせながら、ミアは小さな手でクィンの服に縋り付いている。その怯えようは尋常ではなく、エレミア王城で魔骸に対峙したときの不安げな表情とさえ比べものにならない。
「その夢紡ぎの歌ってのは、いったい」
「詩魔法に反する歌……目覚めを阻害し、永遠の夢に閉じ込める歌です」
クィンはミアを宥めながら、詩魔法の仕組みについて説明した。
詩魔法とは、永久の悪夢に囚われた魂を解放する神聖なる詩。災厄の魔石に侵された魂を救い、癒し、浄化し、そして目覚めさせるための詩。詩の女神に心を繋いで空と風に魂を接続し、世界に詩の波を広げて心の花を咲かせる魔法である。
ゆえに詩魔法は花と詩の女神双方の祝福を受けた娘にのみ紡ぐことが出来、詩魔法のみが災厄の魔石に侵蝕され汚染された魂さえも蘇らせることが出来るのだ。とはいえ死者が生き返るわけではなく、目覚めの先は次なる生。魂を解放して、所謂『来世』に送り出す詩である。
そんな未来に進ませる詩に反するピエリスの歌は、魂を牢獄に閉じ込めて未来を閉ざし、永劫の暗闇に捕える歌といえる。
「嬢ちゃんが其処まで怯える理由ってのは、つまり……」
「彼女の歌は、災厄の魔石に魂を捧げる歌でした。歌を聞いた者全ての魂を、魔石の牢獄に閉ざす歌です。先ほど囚われていたのは、魔素耐性の低いヒュメンだけだったようですが……」
「私の夢に、あなたを招きましょう。永遠に醒めない、水底の夢に。そう、歌っていたわ……」
ミアはクィンに縋り付いたままでヴァンを振り返り、小さく囁いた。大まかに訳した歌詞でさえ口にするのも恐ろしいようで、掠れた声は哀れなほどに震えていた。
歌詞だけなら、仄暗い恋の歌とも呼べるものだ。そういう趣味のバードがいても可笑しくなく、そういった歌を好む客もいるだろう。それだけではないなにかがあるからこそミアは怯えていて、バーでも異変があったのだ。
「あのね、ヴァン……災厄の魔石は取り憑いた人を魔物のような姿に変異させるでしょう?」
「……ああ」
それはヴァンも良く知っている。
エレミアの件だけでなく、それ以前にもうんざりするほど理解させられたのだから。エレオスが戻って来られたのは、肉体の上辺だけに留まり、魂までは変異させられなかったからだ。魂までも侵蝕しきった魔石の化物は最早人ではなく、魔物として処理される。
「それだけじゃなくて、取り憑いた人の願いや性質を増幅させる力もあるのよ。あの魔石も、元は願い石だったのだもの……ピエリスは、なにを魔石に願ったのかしら……」
はらはらと涙を零すミアの背を、クィンが宥めるように優しく撫でる。
災厄の魔石を、それと知りながら手にする者はそういるものではない。汚染され侵蝕された結果どうなるかは、子供でも知っていることだからだ。全てを失って自棄になった人間ならどうするかわからないにせよ、ただ願いを叶えたいならなにも災厄の魔石でなくとも良いのだから。
だが、願いが叶う魔石だと言われて売られたならどうだろうか。そういったものが存在すること自体は嘘ではない。魔力増幅や恋の願い、仲直りの勇気がほしいといったささやかなものから病の克服や死者と束の間の邂逅を果たしたいといった重く切実なものまで、願いの魔石は様々な願いを叶える力を持っている。中には人の心を操るものもあるが、それは加工に問題があるのであって、魔石自体に人心掌握の力が宿っているわけではない。
だが、災厄の魔石は違う。あれだけは持ち主の願いを歪んだ形で叶えようとする魔石である。
エレオスは恐らく、身分を超えてエスタと結ばれることを願ったのだろう。その結果エレオスは魔石の力でエスタの宿を潰し、無理矢理城に迎えようとした。
彼の心がもっと弱かったならミアたちの到着を待たずに昏い本性を現し、エスタは城の奥深くに捕えられていたことだろう。
 




