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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
弐幕◆降り注ぐ星の詩
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母と子の宿

「エスタは無事かしら。眠っているようだったから、置き手紙だけ残してきてしまったのよね……驚いていないといいのだけれど」


 ヴァンが宿の扉を開けると、食堂とキッチンを往復するように忙しなく駆け回るエスタがいた。なにやら慌てふためいている様子で、入ってきた一行にも気付かない。


「エスタ、ただいま」

「あっ……皆さま、申し訳ございません!」


 ミアが声をかけるとエスタは小さく跳び上がり、勢いよく頭を下げた。二本のお下げがエスタの動きにつられて大きく跳ね上がる。どうやら随分焦って編んだようで、所々編み損なった後れ毛が跳ねている。


「お客様がいらっしゃるのに寝坊をするなんて……なんとお詫びを申し上げれば良いか……」

「いいのよ。ずっとお宿のこととお母さまのことで大変だったのだもの。たくさん眠れたのだから寧ろいいことだわ」


 萎縮するエスタに対し、ミアは全く気にしていない様子でのんびり微笑んだ。エスタが怖々顔を上げれば、三人のうち誰一人としてエスタを責める表情をしていない。クィンは元々無表情なのでわかりにくいが、エレオスと対峙したときの張り詰めた空気を思えば、いまの彼は言うに及ばず。ヴァンに至っては、キッチンから漂う煮込み料理の匂いに気を取られている様子だ。


「ミアさん……皆さま、ありがとうございます……! すぐにお食事のご用意を致しますので」

「ありがとう。昨日のスープも美味しかったから楽しみだわ。お料理が出来るまで、わたしたちはお部屋で待っているわね」

「はいっ、準備が整いましたらお部屋に伺います」


 深々と頭を下げて見送ると、エスタは再び食事の準備に取りかかった。


「皆さん、優しくていい人だなぁ……こんなに楽しいお料理はどれくらいぶりだろう……このままお母さんも良くなってくれたら言うことはないんだけど、高望みしすぎかな」


 獣肉や魚が食べられないミアには昨日とは違うスープとデザートを、筋力と体力を使う戦い方をしていそうなヴァンには力がつきそうな肉と香草を使った料理を、それぞれ作る。元々料理は好きだったが、最近はろくに食材を買うことも出来なかったため、腕を振う機会にも恵まれなかった。それがいまだけは、客のために最大限おもてなしをすることが出来る。

 彼らにはお礼を言っても言い尽くせないほどの恩がある。それをせめて、泊まっているあいだに少しでも返せたらと、エスタは腕によりをかけた。

 石鍋に具材とスパイス、調味料を入れて竈に預けたところで、一息吐く。と、廊下の奥から誰かゆっくり近付いてくる足音がして、エスタは首を傾げた。


「どなたかお風呂に行ってらしたのかしら……?」


 水でも出したほうがいいだろうかとキッチンから顔を覗かせたエスタは、息が止まるほど驚き、目を見開いたままその場で固まってしまった。


「エスタ」

「お、かあ、さん……?」


 信じられないといった様子で、エスタが呟く。視線の先に佇む人影――――エスタの母親は目を細めて微笑むと、エスタの傍まで歩み寄り、手を広げてエスタを抱きしめた。一年寝たきりだったことを思わせない温かな腕に包まれたエスタは、大粒の涙を零して何度も母を呼んだ。


「ごめんなさいね……あなたを独りにしてしまって。もう大丈夫よ」


 いったいなにがあって、急に回復したのか。

 そんなエスタの疑問を察したかのように、母が答えた。


「昨晩優しい詩が聞こえてきてね、誘われるように眠ったら、朝には嘘みたいに体の重さが消えていたの。体を動かすのも全く不自由しなくて、寝たきりだったなんて信じられないくらいよ」

「それなら、私も聞いたわ。さっき街中に響いた詩もそうだけど、凄く優しい声だった。そうだ。私、その詩を聞いていたらいつの間にか眠っちゃってたんだ」


 優しく雲に包まれるような、晴れやかな空の下で花に囲まれているような、えも言われぬ安息を思い出した。ついでに寝坊した事実も思い出し、エスタは母の腕の中で密かに落ち込む。


「ねえお母さん、お客様が来てることは知ってる?」

「ええ。可愛らしいお嬢さんのことは知っているわ。昨日、声をかけてくれた子よね」

「聞こえてたの?」


 エスタの問いに、母はおっとり頷く。


「あなたの声も聞こえていたわ。うっすらと意識だけはあったから。あなたがひとりがんばってることを知っていたのに、なにも出来なくて心苦しかった」


 眉を下げ、目を伏せて母は語る。

 あの日の夜。風邪が悪化したとばかり思っていたが、気付けば意識ごと体が重くベッドに沈み、指一本自由にならなくなっていた。声を出すことも瞼を押し上げることも出来ず、眠っているとき以外は意識が僅かに残っているのに、それを伝える術すらなかった。

 隣室でエスタが泣いていても、母にぽつりと弱音を零したときも、エレオスの行動に怯えて混乱しているときも、なにも出来ない無力感をひたすら味わい続けていた。それは、エスタが想像する以上に、母の胸を苦痛で引き裂く日々であった。


「そうだったんだ……他にもクィンさんとヴァンさんって方が来てるの。フローラリアと妖精族とヒュメンのパーティなんて珍しいよね」

「そうね。でも、旅の事情はどんな方であれ探らないものよ」

「うん、もちろん」


 そんな話をしていると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。竈に預けていた肉料理が完成しつつあるようだ。


「あら……この匂い、グゥの香草煮込みかしら? こんな高級品、よく買えたわね」

「それが……」


 エスタはミアたちが此処を訪れてからのことを、食事の支度を進めながら母に聞かせた。食材が殆どなかったがために、客人に買い出しをさせてしまったことや、王子の凶行。それによりミアに怪我をさせてしまったこと。一年前からろくに眠れなかったのに、昨晩の詩で嘘のように寝られはしたが、代わりに寝坊をして客人を見送れなかったこと。

 思い返せば、失態ばかりの二日間だった。だというのに、彼らはエスタを責めるどころか料理を褒めてくれたり、エスタや母の体調を気遣ってくれていたことも、全て包み隠さず話した。


「ミアさんたちが来てくださらなかったら、私は今頃、エレオス様の提案を呑んでしまっていたと思う……本当に、どうすればいいかわからなくて……」

「エスタ、あなたは良くやってくれたわ」


 俯くエスタの頭を引き寄せ、優しく抱きしめながら囁く。

 母の記憶にあるよりずっと痩せている娘の肩を抱き、暫くそうしてから、一つ息を吐いた。


「さあ、切り替えましょう。お客様をお待たせしているのだから」

「うん」


 エスタは涙の痕が残る頬を拭って、前を向いた。その顔に強がりの色は最早微塵もなく、彼女の持つ本来の輝きが戻っていた。

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