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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
弐幕◆降り注ぐ星の詩
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星と影の夢

 二人の様子を黙って見守っていたヴァンは、音を立てないよう静かに扉を開け、廊下へ出た。

 階下からは調理の音が聞こえてきて、トマトスープのような匂いが漂っている。階段を降りるとカウンターの奥でエスタが忙しなく動き回っている気配がした。

 特に中断させるような用事もないため、適当な席を選んで椅子を引く。


「あ、ヴァンさん。なにかご入り用ですか?」


 椅子の音で気付いたのか、キッチンへ続くと思われる入口からエスタが顔を覗かせた。


「いや、アイツら二人っきりにしときたくて出てきただけだから、気にすんな」

「……そうでしたか。お夕食はもう間もなく出来ますから、少々お待ちくださいね」

「おう。楽しみにしとく」


 一瞬、少女らしい好奇心がエスタの瞳に映ったが、詮索する代わりに接客用の台詞を口にすると再び奥へと引っ込んでいった。


「それにしても、妙なことが多いな……」


 調理の小気味良い音を聞きながら、ヴァンは街で得た情報とエレオスの凶行について思考した。

 凱旋広場前の通りに立派な宿屋が出来たのが、約五年前。それから四年の時を経てエスタの母が病に倒れた。母子二人で切り盛りしていた宿屋は街でも評判で、ヴァンが聞いた話では大きな宿が表に出来た程度で、これほど人がいなくなるようなことにはならないはずである。

 そして母が病に臥せったのとほぼ同時期に、エレオスが強硬手段に出るようになっていた。それ以前もエスタの周囲を嗅ぎ回る何者かはいたようで、彼女と交流があった商店街の店主たちは宿の周辺で不審な影を見ていた。

 買い出しの途中で立ち寄った果物屋で、エスタの友人であり店の看板娘でもあるマリアリッサが言っていた。


『エレオス様は元々エスタに片想いしていたのよ。たぶん、エスタも満更じゃなかったと思うわ。王位継承権は下位も下位だし、庶民とくっつくことは別にそこまで問題じゃないと思うんだけど、いつだったか城に西大陸からの商人が来てからかな。なんかデカい宿屋が出来たり、エレオス様がエスタに無茶苦茶押しかけるようになったの』


 どうも街の噂は女性のほうが耳が早く、そして細かいところまで記憶しているものらしい。この話を聞けたのは、ヴァンにとって大きな収穫であった。

 まさかエスタの宿を潰すためだけにあれほど立派な宿を作るとは思えないが、しかし無関係でもなさそうだ。

 宿とエレオス。どちらが本命かはともかく、どちらかに『西大陸からの招かれざる客』の痕跡がいまも残っているはずだ。


「ヴァンさん、お夕食の準備が整いました。私、お部屋のお二人を呼んできますね」

「おう、頼んだ」


 一礼して去って行くエスタの背を見送り、深く沈みかけていた思考を浮上させる。

 見上げた先、廊下を曲がったすぐ左手から、エスタの声が聞こえてくる。然程広くない宿の中は大声を張り上げるまでもなく声が届きやすい。

 何度もミアに頭を下げながら謝るエスタの声も、ミアの「あなたが無事で良かったわ」という、何とも彼女らしいやわらかな本音も、階下まで綺麗に届いてくる。

 ややあって扉が開閉する音がして、クィンに手を引かれる格好でミアが降りてきた。


「ヴァン、先に降りていたのね。気付いたらいなかったから、驚いたわ」

「はは。悪い悪い。美味そうな匂いがしてたから、ついな」


 ヴァンの正面にミアが座り、その傍らにクィンが立つ。いつぞやも見た形で着席すると、奥からエスタが二人分のスープを持ってきた。


「妖精族の方は人と同じものを召し上がらないと伺ったので、お二人の分だけお持ちしましたが、本当によろしいのですか?」

「ええ。私のことはどうぞお構いなく」

「畏まりました。では此方が、ひよこ豆とルベルオルスのスープです」


 綺麗な緋色のスープには、黄色くて丸い形の豆と刻んだ葉物野菜がたっぷり使われている。この鮮やかな赤はルベルオルスだけでなく、トマトの一種であるエレミッシュロートの色だ。スープや煮込み料理に向いた甘さと酸味のバランスが良い品種で、エレミア周辺で主に栽培されている。

 更にエスタは、奥から大皿に載ったかたまり肉も持ってきてテーブルに置いた。


「袋に入っていたので此方も作ってみたのですが……よろしければどうぞ。グゥのローストです」


 グゥともブゥとも聞こえる低い鳴き声からその名がついた長毛の大型魔獣の、畜産品種。原産は北大陸だが、飼いやすさと肉質の良さ、角や毛皮や骨など全身一切捨てる部位がないところから、冒険者にも愛されている魔獣だ。

 焼いて良し、煮込んで良し、調理法によって自在に姿を変えるやわらかなグゥの肉は、貴族から庶民まで広く愛されている。が、いくら畜産品種に改良されたとはいえ、元は魔獣。取り扱い法を間違えば人のほうが食肉にされる危険性があるため、肉や毛皮は比較的高価な部類に入る。庶民が口に出来るのは、感謝祭や王族の生誕祭など、特別なときに限られる。

 エスタが作ったのは、スパイスを擦り込んで香草と共にオーブンで焼いた、シンプルな料理だ。ナイフを入れれば中は鮮やかなピンク色をしており、湯気と共にスパイスの香りが辺りに漂う。

 ヴァンは一口大に切り分けた肉を二叉フォークで突き刺すと、口に放り込んだ。


「……うん、美味い。肉屋のおっさんに言われるままスパイスを買ってきたが、正解だったな」

「もしかして、バイロンさんのところですか? 表に大きなグゥの角が飾ってある……」

「ああ、其処だ。ちょうど隣にハーブ屋があってな。いい商売してやがったぜ」

「ふふ。バイロンさんのお店は、私もよくお世話になっていました」


 そう笑顔で言ったかと思うと、エスタは一瞬寂しげな表情になった。が、すぐに笑顔を繕うと、トレーを抱きしめる格好でお辞儀をし「それじゃあ、私は奥におりますので」と言いかけた。

 最後まで言いきれなかったのは、エスタの腹の虫が、盛大に空腹を主張したためだ。


「あ……え、えと……し、失礼致しました!」


 顔中を真っ赤に染め、がばりと一礼すると、エスタは逃げるようにキッチンとは別方向の、奥の部屋へと去って行った。建物の作りからして彼女の私室か、母のいる部屋だろう。

 突然のことに目を丸くして、ミアはエスタが駆け去ったほうを見つめている。


「……もしかしてエスタ、あまり食べられていないのかしら……」


 人の世は、仕事をして対価を得て、それで食事や服を手に入れると学んだ。いまのエスタには、仕事がない。そしてミアは、今更気付いた。


『バイロンさんのお店は、私もよくお世話になっていました』


 街に住む者なら誰もが日常的にしているであろう、商店街での買い物の話題だというのに、昔のことを話すような口調で語っていたことに。


「……あの調子じゃあ、そうだろうな。だからって客の俺たちが施しをしてやろうとしたところで却って恐縮しちまいそうだ」

「どうすればいいのかしら……エスタのことも、お母さまのことも、なによりあの王子様のことも気になるわ」


 正当な宿代のつもりであった焔石を渡そうとしたときでさえ恐縮していたのだから、更にその上食料まで分け与えようとすれば、彼女は落ち込んでしまうことだろう。それは、出逢ったばかりのミアにも想像がつく展開で、だからこそどうにかして助けられたらと思う。

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