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魔石物語~妖精郷の花籠姫は奇跡を詠う  作者: 宵宮祀花
弐幕◆降り注ぐ星の詩
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影差す街の片隅で

 ミアがどうしたものかと思っていると、ヴァンが横から、というより上から二人を覗き込んだ。


「なぁ宿屋の姉ちゃん」

「ひゃいっ!?」


 突然降って湧いた大男の低い声に跳び上がりつつも、少女は「何でしょうか……?」と接客用の態度を繕って訊ねた。


「この宿、随分人が入ってねえみたいだが、なんかあったのか」

「え……あ、ええと、良くある話なので、お客様にお話するほどのことでもないのですが……」


 ヴァンの失礼極まりない物言いに気分を害した風でもなく、少女は恥ずかしそうに笑いながら、宿の現状を話し聞かせた。

 少女の名はエスタ。此処エレミアで祖母の代から宿を経営している一家の跡取り娘で、いまでは一人で切り盛りしているという。約一年ほど前から母が病に臥せるようになり、更に五年ほど前に凱旋広場前から伸びる大通り前に出来た宿屋が、近年になって貴族や著名な冒険者を呼び込んでは大々的に宣伝するようになったため、元から減りつつあった客足が本格的に遠のいてしまった。

 暖炉や竈に入れる焔石すらもまともに買えない資金難で、いっそ畳んでしまおうかと思っていた矢先に、融資の話を持ちかけてきた男がいた。エスタがその男と結婚するなら、母親の病気に効く薬もタダで譲る上に店の建て直し資金も出すというのだ。

 話を聞いて、ミアは改めて宿屋内を見回してみた。言われてみれば、掃除は行き届いているが、家具や道具類に暫く使われた形跡が見られない。


「その、男性というのは……?」

「エレミア王家第六王子でいらっしゃる、エレオス様です」

「王子様が?」


 こくんと頷き、少女は目尻に涙を浮かべた。

 客の前で泣くなんてと慌てて拭うも間に合わず、頬を伝い零れて落ちる。


「エレオス様なら身分に釣り合う女性をいくらでも選べるはずなので、きっとお戯れでこんなこと言ってるんだと思うんですけど……どうすればいいか……」


 其処まで言うと、エスタは一つ息を吐いて「すみません、辛気くさい話をして」と頭を下げた。


「そういうわけなので、おばあちゃんがやっていた頃ならまだしも、いまのうちではこんな立派なお代を頂くわけには行かないんです」

「でも、これがあれば竈に火を入れられるのよね?」

「えっ? え、ええ、それは、そうですけれど……」


 今し方受け取るわけにはいかないと言ったばかりの魔石を、経営の勘定に入れる発想がなかったエスタは、お客に対する取り繕った態度を思わず忘れて面食らった。

 魔法生物ではないごく一般的な人間種族のエスタは、魔石を介さなければ火を熾せない。世間に普及している生活魔術はクズ石と呼ばれる魔石のごく小さな破片や、内在魔力の低い魔石を用いて発動する。

 ミアが渡した魔石は貴族や王族が魔力増幅や魔術発動に使う、所謂高級品だ。一般家庭どころか潰れかけの宿屋の娘が持っていたら、まず盗品を疑われるほどの。


「お水や他の調理道具はまだ残っているの?」

「ええと……お水は共用の井戸がありますし、調理道具も……」

「それなら、火を熾して待っていて頂戴。わたし、お店で材料を買ってくるわ。いまからお料理を供してくださるお店を探すよりは、ずっといいわよね」

「ええっ!?」


 今度こそ接客という仕事を綺麗に忘れ、エスタは裏返った声を上げてしまった。

 一方ミアは、いいことを思いついたと言わんばかりの笑顔でクィンとヴァンを振り返り、二人を見上げて訊ねる。


「お宿に着いたばかりでごめんなさい。少しお買い物に付き合ってくださるかしら」

「おう。つーかそろそろ日が暮れるから、行くなら急いだほうがいいな」

「ありがとう。お店が閉まる前に行きましょう。ねえエスタ、なにを買ってくればいいか、メモをお願いしてもいい?」

「えっ? あっ、は、はい! ただいま!」


 エスタは慌ててカウンターへ駆け戻ると、帳簿に使っていた端切れ紙に材料を書き付け、ミアに手渡した。


「私が作れるものはそんなに多くないのですが、おばあちゃん直伝のスープは近所の方にも評判で自信があるので、良かったらこれを召し上がってください。他にも気になるものがあれば、どうぞお申し付けください」

「どれどれ。こんだけなら、俺一人でも買ってこられそうだな」


 ミアの手からメモ書きを取り上げると、ヴァンは紙をひらりと揺らしながらにんまり笑った。


「嬢ちゃん、俺たちに合わせて歩いてきたから疲れただろ。街を見て回るのは明日にでもゆっくりするといい。使いは俺に任せな」

「お任せしてしまっていいの? お使いはわたしのわがままだったのに」

「構わないさ。お二人さんは宿屋で待ってな。そのあいだ、荷物は頼んだぜ」

「ええ、わかったわ。それじゃあ、お願いね」


 後ろ手に手を振ると、ヴァンは軽い足取りで宿屋を出て行った。

 それを見送るミアとクィンに、エスタは「お部屋へご案内します」と声をかける。


「人は来なくなりましたが、お掃除は毎日しっかりしていますので、ご安心ください」


 階段を登りながら、エスタは気丈に接客をする。彼女の言う通り、廊下も壁も、エスタの背では届きにくいだろう天井も、磨きにくい窓枠の隅にさえ埃一つ見当たらない。

 三人の部屋は階段を上がってすぐ左手のところだった。宿屋自体が然程大きくないため、客室の数は全部で四つ。一階の奥にはエスタと母の寝室があり、浴室は男女共同で、時間帯で分けられているようだ。


「此方の四人部屋をお使いください」


 扉を開きながらエスタが言うと、ミアは室内を見回して輝くような笑みを浮かべた。


「可愛らしくて素敵なお部屋ね。窓からはお城の屋根が見えるわ。それに、窓辺のお花もとっても綺麗」

「ありがとうございます」


 ミアの衒いの無い言葉を受けて、エスタの表情が僅かに和らいだ。


「それでは、ごゆっくりおくつろぎください。私は調理場におりますので、なにかございましたら遠慮なくお申し付けくださいませ」

「ええ、ありがとう」


 エスタの手によって丁寧に扉が閉められ、室内には久方ぶりにミアとクィンだけとなる。

 買い出し前クィンに預けられたヴァンの荷物は、部屋の片隅へと置かれた。いったい中になにが入っているやら、見た目以上の重量だった。

 ミアはクィンのエスコートでベッドに腰掛けると、漸く人心地ついた様子で一つ息を吐いた。


「ヴァンは大丈夫かしら」

「彼なら問題ないでしょう。この街のことも知っている様子でしたし、なにより彼は身軽なほうが動きやすいでしょうから」

「そうね……わたしに気を遣わなくていい分、色々見て回っているかも知れないわね」


 窓の外はすっかり夕日が傾いていて、臙脂の屋根も白い壁も区別なく鮮烈な橙に染まっている。影が濃くなりつつある街の隅で、じっと宿を伺う不審な人影があることに、クィンだけが気付いていた。

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