花籠姫と氷の従者
とある街の、冒険者ギルドと酒場を兼ねた建物にて。昼間は食堂として一般に解放しているその店で、一組の珍客が注目を浴びていた。
「ねえクィン、このお料理とっても美味しいわ。こんなに美味しいのに、この国のこの地域でしか食べられないのですって。もうすぐ旅立ってしまうのがもったいないわ」
一人は緩やかに癖のついたプラチナブロンドの長い髪に、水色と若草色のオッドアイが美しい、幼い面差しの少女。纏う衣服は、繊細なレースが美しいワンピースで、幾重にも重なったフリルや袖口や裾に揺れるリボンや造花の装飾が、少女の幼さを愛らしく彩っている。
フローラリアの特徴である花翼と花冠をその身に宿した少女は、雑穀をミルクに浸して煮詰めた庶民の主食、カーシャに感動して傍らの青年に語りかけており、フローラリアの例に漏れず本人の感情を表すように、背中と髪に咲く花が甘く香っている。
フローラリアは内在魔力量によって、咲く花の質や量が変わる。こめかみ付近に一輪の花があるだけのものから、大きな翼を持つものまで様々だ。彼の少女は翼人の背に生えている翼にも勝る、たくさんの花で出来た立派な翼がある。更に、頭上には花冠が。ふわふわと靡く長い髪にも小さな白い花が点在していて、少女の愛らしさを強調していた。
立派な花翼と花冠は、彼女が持つ魔力の質も量も申し分ないことの証左であり、フローラリアの昏い歴史を思えばこそ、こうして無防備に食事をしている姿が人々の注目を浴びているのだ。
「お気に召しましたようで、なによりでございます。いずれまた参りましょう」
もう一人は、席について食事を堪能する少女の傍らに給仕の如く佇む白銀髪の青年。水色の瞳と項で一纏めにした長い髪はどちらも鋭い刃の如き鋭さを湛えていながら、少女を見つめる眼差しはとても優しく慈愛に満ちている。青年の衣服も上等なシャツとロングジャケットで、白地に白銀の装飾と青い魔石の差し色を用いていることもあり、まるで秀麗な氷細工のようにも見える。
目の下に魔石が埋め込まれていることから、青年は妖精族のようだ。しかも妖精族でありながら人間種族と大差ない体格をしているということは、魔石の本体は別にあると思われる。
妖精族は基本、物語で見るような、背に羽が生えた手のひらサイズの人型種族だ。そして、体に埋め込まれている魔石も体格に合った大きさである。フローラリアの少女に付き従っている青年の目元に輝く魔石は、一般的な小妖精の核と大差ない。恐らくは服の中に隠されているのだろうが、ヒュメンサイズの妖精を支えるほどの魔石ともなれば、無頼の輩に狙われかねない。
つまり彼らは、二人揃って冒険者にとっては獲物になり得る存在なのだ。
現在地は、冒険者と市民に広く開放している庶民向けの食堂兼酒場である。決して貴族御用達の高級料亭などではなく、喧騒と酒気が満ちた荒くれも利用する空間に相違ない。だが彼らの衣服も纏う雰囲気も場違いなほどに上品で、荒事に慣れた冒険者たちも、そんな冒険者を相手にしてきたギルドの職員も、困惑を隠せないでいた。
場慣れしていなさそうな田舎者や駆け出し冒険者と思しき挙動不審な青年が訪れた際は、囲んで魔物の恐ろしさを語ってみせたりと、揶揄いという名の洗礼に余念がない男たちが、誰も近付けず遠巻きにしている。心なしか、昼でも騒がしい店内が静かにさえ感じるほど、少女たちに見入って圧倒されていた。
まるで壊してはならない硝子細工でも飾られているかのように、二人の周囲を避けて通る屈強な冒険者たち。そして奇妙な空気にも構わず――少女のほうは気付いてすらいない様子で――優雅に食事を続ける二人組。
――――カラン。
其処へ、来客を告げるドアベルの音が店内に響いた。
珍客の存在にえも言われぬ緊張感を漂わせていた店内に、一瞬緩みが訪れる。しかし、いつもの空気を取り戻すかと思われたのはその一瞬で、次の瞬間にはまた別の緊張が走るのだった。
「邪魔するぜ」
口角をつり上げ、片手を軽く掲げて見せながら、長身の男が一歩店内に進み入る。
前髪に一房赤いメッシュを入れた黒髪をハーフアップの形で括ったワイルドな髪型と、獣の如き獰猛な光を帯びた暗い紅色の瞳。鍛え上げられた肉体と、それを誇示する軽装備。身のこなし一つ取っても、彼の男が手練れであることを表していた。
「ほらよ。サムルグの尾羽十枚」
男は真っ直ぐギルドのカウンターに向かうと、腰に下げていた布袋を受付台に置いた。どうやら中身は鳥形モンスターのサムルグから採取した尾羽のようで、置いた瞬間パサリと軽い音がした。
受付カウンターにいた女性従業員は袋を開けて中を見つめながら尾羽の数を数えると、確かにと頷いて引き出しから銀貨を数枚取り出し、男に差し出した。
「此方、三百ガルトが今回の報酬です。お疲れさまでした」
「おう」
男は金貨三枚を受け取ってバックパックの革袋にしまうと、辺りを見回した。冒険者たちは男と目を合わせないようサッと視線を逸らし、そそくさとギルドカウンターから離れていく。
食堂方面へ何の気なしに視線をやると、珍しいものがいることに気付いて、男は笑みを深めた。
フローラリアは一目見てそれとわかる美しい容姿をしている上、上機嫌なときは周囲に甘い花の香りを漂わせる性質がある。更に種族全体の特性として荒事を好まず、大昔に乱獲された事実から妖精やエルフのように森の奥に引きこもり、ひっそりと平和に暮らしている種族だ。
それが人里に出ているだけでも面白いのに、冒険者が跋扈する酒場――いまは食堂だが――で、暢気に食事をしている。傍にいる男も妖精族で、何処をどう見ても旅慣れている様子はない。
「よう、お嬢ちゃん。相席いいかい」
「? はい、どうぞ」
「ありがとよ」
男が正面に立ちながら、少女に声をかける。少女は辺りを見回して、他にも充分席が空いていることを不思議がりつつも了承し、傍らの従者らしき青年も止める素振りを見せずに見守っている。ならばと椅子を引いて腰を下ろすと、ビクビクしながら注文を取りに来たウェイターにジョッキのスタウトを頼んだ。
周りの冒険者たちは同情を込めた視線を遠巻きに向けるだけで、哀れで場違いな珍客を助けようなどと思いもしない。
「さっきから随分と美味そうに食ってるな。そんなに気に入ったのか」
「はいっ。わたしの故郷にはなかったものですから」
「フローラリアの故郷ってーと、別大陸の森か? 随分遠くから来たんだな」
男の言葉に、少女は「いえ」と小さく首を振った。
「わたしは妖精郷で生まれ育ちました。それで、もう一つの故郷へ帰るための旅をしています」
漸く得心がいった。旅慣れていないと感じたのは正解で、彼女たちはこの街から半日もかからず行ける、すぐ北にある妖精郷から来たのだ。冒険どころか子供の使いレベルの道程である。
男が僅かに瞠目したのに気付いているのかいないのか、少女は甘やかな笑みを見せて言う。
「申し遅れました。わたし、ミアといいます。こっちはわたしの執事でクィンです」
「俺はヴァンだ。この辺じゃ疾風のヴァンなんて呼ばれてるぜ」
「……二つ名付きですか」
ヴァンが名乗ると、それまで黙っていた青年――クィンがぽそりと呟いた。
見た目通りに平和なミアについているだけあって、クィンのほうは世俗にも詳しいらしい。
「別に取って喰いやしねえよ。好きで呼ばれてるわけでもねえしな」
そう言い、届けられたスタウトを一気に呷る。
二つ名とは、要注意人物や一定以上の成果を上げた上級冒険者にのみつけられる、称号のようなもの。当人の特性や戦い方、容姿などから名付けられることが多い。ヴァンの疾風という二つ名はあまり見た目に関わっていなさそうなので、戦い方に由来するのだろう。
ヴァンがギルドを訪れたときの緊張感は、これが理由かとクィンは納得した。