これにて幕引き(かーらーの?)
『ヤンデレ』がテーマのラブコメ?です
――ぞぶっ。
柔らかくて、湿った音だった。
ぶん殴られるような衝撃。刺されたと理解するのに少しかかった。
貫かれた箇所から感じる灼熱と、想像を絶する苦痛以外はあっという間に遠くなった。
えぐり、ねじられ、引き抜かれる。生肉のよじれるおぞましさ。引きちぎれる筋繊維。まろびでる内臓と血液。膝から力が抜けて、踏ん張ろうとしたけれどうまくいかなかった。くずおれて、なまぬるい液体が広がる。べたりとした感触が不快だった。手足から温度が喪われていく。
もう、温度が戻って来ることはない。それがわかってしまう。
ひしひしと足元を汚す自分の命。息も出来ないほどに重い痛み。肺が軋んで、締め上げるような苦痛に声を出すことすらできない。
意識が靄でもかかったように白んでいく。視界が狭い。心臓の音が、耳の奥で煩いくらいに反響する。僅かに痙攣する身体と、口の中に溢れかえる鉄の味。
名前を呼ばれた気がした。とても必死なそれは、誰かの悲鳴のようだった。よく、聴こえない。
「……ふ、ぐ」
ねばつく血で舌が回らない。けれど、それすらもひどく遠い。
落ちそうになるまぶたを堪え、ほんの少し視線をずらすと、誰かの歪んだ口元だけが見えた。自分の死が心底から嬉しいのだと言わずとも知れる、歓喜と法悦の混じったそれ。
そう、それだ。
そのいびつさに、異常さにもっと早く気付くことができれば、もっと上手く立ち回れただろうに。
もっと生き延びることができただろうに。
けれど後悔は先に立たず。
何かに引きずられるように、剥がされるように乖離していく。身体が冷たくなっていく。
もうおしまいなのだと、本能が理解せざるを得なかった。
──だが、だからこそ。
ぎりっ、と奥歯が砕けるほどの力をこめて唇を噛みしめる。
肺の底から空気を絞り、灼けつく喉の痛みを投げ捨てて。
「ッが、あ、ぁ、ぁああああッ!!」
意識が遠のくほんの束の間、獣のような声を上げた。無論それはなんの意味もなさない。声は血泡と混じり、ごぼごぼと耳障りな不協和音を奏でるだけだ。
それでも、蝋燭が燃え尽きる最後の劫火にも似た激情のままに咆吼した。
せずにはいられなかった。
八十の呪い、八百の怨嗟、八千の宿意をただ込めて。
――おぼえていやがれ
死んだって許すものか。日本人の底意地の悪さと粘着質を舐めるなよ。七生先まで恨んでやる。
果たして、最後におっ立てた中指はそのままになっただろうか。
そんな――文字通りの今際の際で阿呆な心配をした少女の、硬く握ったてのひらの中。
ばきり、と、何かが砕ける音がした。
……
…………
………………。
──視界が、開けた。
呼吸が楽になって、しっかりと踏みしめた足から地面の感触が伝わる。草のにおいがする。小鳥の囀りが聞こえる。お日様がまぶしい。
周りは野原で、遠くに見える瀟洒な建物は記憶に刻まれた我が家である。
「……を?」
え、なにこれ?
唐突すぎて理解できない。なにも分からない。頭が真っ白だ。
何度も瞬きして、無意味に手を握ったり開いたりして……みた、ところで、気がついた。
自分の手の平が、えらく小さい。『おてて』と呼んでも差し支えないだろう。
そういえば地面が近い。そこそこの身長はあったのに、どう考えても変だ。おかしい。異常である。
それは、つまり。
「シロル? シロル? どうしたの?」
優しい、甘い声が意識を引き戻す。
顔を上げればドレスの裾を翻し、こちらに駆けてくる少女の姿。紫玉の瞳が不安と心配に揺れている。忘れるはずがない。
記憶に残る私の、もう、お嫁に行ったはずの……
「ねぇ、さま」
ふるえるくちびるで、言葉を紡いで。
途端、決壊したダムのように記憶が映像が体験が流れ込んできた。
「──ッ!!」
衝撃。激痛。哄笑。
内臓が破裂する生臭いものが喉から逆流してきもちわる全身に痛苦が走り回って指の一本すらだるい肺が空にどしゃあと自分が倒れるのがまるで他人ごと玩具のように穴からどろりと痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
濁流のようなそれは止めようがなく、脳髄が熱を持って悲鳴を上げる。目が眩む。押し潰されそうだ。
「っう」
割れそうな頭痛とともに突如として湧き上がる嘔吐感に口元を押さえ、
「う、げぇえ……!」
喉奥にこみ上げるえずきに耐えられず、盛大に嘔吐した。
「えええッ!? シロル!? シロ!」
姉さまのわりと令嬢にそぐわない悲鳴に心配かけて申し訳ない、とは考えたものの止まるワケがない。
「げ、っぐ、ええ、うぇえええ――」
喉が傷ついたのか血液の混じった粘性の液体をたっぷりと吐き、吐瀉物に鼻がつきそうなほど身体を折って荒い呼吸を繰り返す。
尋常ではない様子に姉が青ざめ、私の名前を何度も呼びながらおっかなびっくり、背中を撫でてくれた。
「わあ、うわ、どうしましょう。誰か、お医者様を呼んで──え?」
ふと、姉の声色が変わる。
生理的に浮いた涙目でよくよく見れば、姉の視線は地面のいちぶに固定されていた。私の足元、幸い汚れなかった部分にきらめくペンダント。
私が生まれた時にお守りとして貰った琥珀みたいなペンダントが、中に内包された時計のようなもの諸共に砕け散っていた。
「……そう、そうなのね、あなた。シロル――」
姉の声にいたわりと納得と、なにか、深い憐憫の色が混じる。
自分が汚れるのもいとわずに姉は私のそばで膝を折り、回した腕に力をこめた。
「おかえりなさい」
つよい力で抱き締められて、温かさと安心と、何もかも理解しているような不穏感満載すぎる姉の言葉を聞くと同時に、意識が途絶えた。