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男性冒険者は淫乱サキュバスの夢をみるか?

作者: 桜庭恵斗




ここは屈強な冒険者達が集まる酒場。

誰かの笑い声や怒声が響き渡るが、他の冒険者達は気にしない。

少し離れた所では口論がヒートアップして、殴り合いにまで発展している。

しかしそれらは日常茶飯事。

当然止める者はいない。むしろ焚きつける者がいるくらいだ。

そんな酒場の隅に、テーブルを囲む四人の男達がいた。


「さて、やっとこうして集まる事が出来たし、それぞれ自己紹介といこうか」


他の三人は同意の意を示したように頷く。


「まずは言い出しっぺの俺からだな」


俺はゴホン、と咳をして臨む。

ここで威厳の一つも残せないようじゃ舐められちまうな。


「俺の名前はフォアダン。見ての通り剣士だ。歳は三十五。今まで戦った強敵はドラゴンだ」


「な、なんとあのドラゴンですと!?」


「まさか、かの有名なドラゴンスレイヤーですか!?」


「そんな大層なもんじゃねえよ」


ドラゴンスレイヤー。

あまりのこっぱずかしさに思わず頭を掻く。

その呼び名を久方ぶりに聞いた気がする。

まあ自分で名乗ってなかったり、高そうな装備をしていなかったりするのが原因なんだけどな。


「して、フォアダン殿の性癖は如何に?」


「お、おう。そうだったな。そいつ無しに自己紹介は成立しないもんな」


細身の男に注意される。

己の性癖。

それを打ち明けることで、今回の探索においてパーティに対する忠誠の証明となる。

つまり、それを話せないということは裏切りに繋がる。

なので、ここでしっかりと話さなくてはならない。


「俺の性癖は、この鍛え抜かれた身体同様に守備範囲が広い」


「確かにフォアダン殿の身体は付け焼刃で出来たものには見えませんな。なるほど、健全な魂には健全な肉体が宿ると聞きます。これは信頼できますな。では経験は?」


ローブを纏った男に続きを催促される。

男にはロマンという物がある。

少しでも武勲を語れば血がたぎるものだ。

俺もその気持ちは分かる。駆けだしの頃は先輩冒険者の話に身体を熱くしたものだ。


「まあそんなに急かすな。経験なら『乳首ちゅぱちゅぱスライム』、バーサク状態の『巨乳エルフ』、ぬるぬる水魔法を得意とする『ソープマーメイド』などだな。どれも強敵だが俺の前では敵じゃない。とまあこんなもんだろう。よろしく頼む」


そう言って俺は持っていた杯を前に突き出し、すぐさまそれをぐっと煽る。

飲み干した後、ぷはあっと酒気を含んだ息を吐く。

これが初めて顔を合してパーティを組む際に行われる信頼の儀である。


「お次は拙者でよろしいか?」


「ああ、頼む」


独特な衣装を身に纏った細身の男に視線が集まる。


「拙者の名はクラミズ。あまり見ない風貌だと思うが東洋の出でござる。歳は三十六。役柄はこの国で言うところの剣士でござる」


「ふむ。私は後衛職なので勝手が分かりませんが、フォアダンどのと比べて体つきが貧相なご様子。失礼ですが本当に剣士なのですか?」


たしかにクラミズは細身の体型をしている。

それに、腰に携えた剣も彼の身体と同じ様に細い。

剣とは己の力量と刃の重量を利用して敵を切る。

到底、あの身体では魔物とやりあうには足りない。


「いかにも拙者は剣士でござる。そなたが疑うのも無理はない。故郷では剣士ではなく武士と呼ぶ。名が違えば戦い方も違うのは道理でござろう? 武士と剣士の違いは身のこなしにあるのでござる。剣士は優れた肉体を利用して敵を蹴散らす。対して武士とは必要最低限の労力で急所を突き、流れるような動きで敵を翻弄するのが極意でござる」


「なるほど、つまりは強ええってことだな?」


「いかにも」


「くく、異国の剣士か。共に戦う日が待ち遠しいぜ」


「ふむ……」


俺はクラミズを認めたが、どうやら他の面子は納得していないご様子。

これだから後衛職のやつらは。


「それで、クラミズの性癖は?」


「御意。拙者の性癖は獣人族が持つ、あの妖艶な体毛にあるでござる」


「ブフォオッ!」


顔つきからして最年少――見るからに神官といった男が口に含んでいた酒を勢い良く吹き出す。


「おいおい、人の性癖を笑うっていうことは、それなりに良い性癖を持っているって事かい?」


俺がドスの利いた声で脅すと、彼は「すみません」と一言謝った。

人の性癖を笑ってはいけない。

なぜならそれはそいつの人生そのものを否定する行為だからだ。

人には言えない事が一つや二つ必ずある。

仲間への信頼のためにそれを差し出す。

なのにあいつときたら笑いやがった。

正直背中を心から預けられるとは思えない。


「つまらない横やりが入っちまったな。続けてくれ」


「うむ。拙者の経験は異国のため、いささか魔物の種類が偏る。執拗に拙者の弱点を攻める『イケネコ』、乳頭を振り子のように動かして催淫魔法をかけてくる『乳首ポチ』、目にもとまらぬ速さで攻めて来る『股間洗い』でござる。中でも強敵だったのは狐の姿で複数の尻尾を持つ『ハチビ』でござるな」


「ほほう。『ハチビ』かい。俺も対峙したことはあるが、ありゃ『サンビ』だったな。それも逃げられちまった」


クラミズが言う『ハチビ』とは獣系の魔物である。

実際の名前は『コンコンフォックス』であるが、尻尾の数によって保有する魔力量や戦闘スタイルが大きく変わるため、『ハチビ』や『サンビ』などといった俗称がついている。

年々発見件数が減少しており、一部では『キュウビ』を見たと言われているが真相は明らかではない。


「あやつは強敵でござった。あれは魔力の放出だったのでござろうな……『ハチビ』の尻尾が紫色に怪しく光り出すと、拙者の眼前にはもふもふふかふかの尻尾があった。そしてこう言った。『しっぽのさきはくっろいぞぉ!』とな。拙者の愛剣はそのもふもふふかふかに包まれ、意識を失った。しかし今はこうして性を実感している。願わくはもう一度相対したものでござる」


クラミズは先ほどの俺と同じ様に酒を飲み干す。

こいつは中々頼りがいのあるやつかもしれないな。

それに心の中から叫び上げる男の本能ってやつがビシビシ伝わってきやがる。

俺はクラミズの評価を一段階上げた。


「では僕の番ですかね」


こいつは先ほどクラミズの熱弁に対して笑ったやつだった。

彼が立てかけたメイス以外武器らしき物はない。

恐らく後衛職である神官だろう。


「僕はマルぺス。二十四歳、神官です」


「あっ……」


「えっ……」


「むっ……」


俺を含めた三人は単音を発したのちに固まる。

二人が察した事は俺と同じだろう。

若いと思っていたが、まさか見た目通りの年齢だとは。


神官という職業は希少性が高い。

なぜなら神官になるには十年の修行と五年間の奉仕活動が必要だからだ。

しかも修行が可能になる年齢は十五歳から。

最低でも神官になる頃は三十歳である。

それゆえ神官になるには時間が掛かり、なったとしても後衛職ということで華が無い。

当然なりたがる者は少なくなる。

つまり、マルぺスは『自称』神官という事になる。


「そ、そんな顔しないでくださいよ! 修行とか奉仕活動はしてないけど回復魔法は使えます! それに何度か探索依頼を何度かこなしていますし!」


マルぺスは身振り手振り動かして必死に訴える。


「マルぺス。お前が神官だって言うならこれぐらいは治せるよな?」


俺はふところから短剣を取り出し、自らの人差し指の腹を切る。

中からはぷくりと血液が流れだす。


「それぐらいならお安い御用ですよ」


マルぺスが言うと、指を軽く振った。

すると、切ってから感じていた痛みは嘘のようにひいた。

慌てて血を拭き、傷口を確認するとそこにはあったはずの傷がなくなっていた。


「無詠唱……だと!?」


「ふふん。そのまさか、です」


マルぺスは得意げに眉を動かす。

どこかに無詠唱が使えるやつがいるらしいと噂で聞いた事があるが、まさかこんなところにいるとは。

俺が生きてきたなかで無詠唱が使えるやつなんて見たことが無い。

百年前に行われた人魔対戦で活躍した勇者パーティの神官、アリサって呼ばれるやつが無詠唱で魔法を使えたらしい。しかし今となってはお伽話の人物。

そんなのがマルぺスと同等だってのか?

くくく、俺ってやつはつくづくツイてるぜ。


「マルぺス。お前の実力は認めよう。だが、お前の性癖を暴露しない限りは仲間としては見られない」


これは大事な事。

いかに無詠唱の使い手だと言ってもここだけは譲れない。


「はい、分かってます。僕の性癖はズバリ、被虐趣味です」


「ひ、被虐趣味? つまりはドMっていうことか?」


「そうですね。といっても目覚めたのは最近なんですけど」


二十四歳でドM。

剣士などの前衛職なら長年魔物に痛めつけられることによって、目覚めるのはそんなに稀ではない。

しかし二十四という年齢、さらに後衛職。

イレギュラーの中のイレギュラーだ。

そんなやつ聞いたことが無い。


「あれは僕の力に自信を持っていた頃でした。いつもどおり適当にパーティを組んで森林の調査依頼をこなしていた。その時だった。突如上空から飛来してきたそれは瞬く間に仲間を翻弄し、僕は捕らえられて空へと連れ去られた。その魔物はハーピィ。半人半鳥の魔物です。そいつらは仲間の手が及ばない空で僕のズボンを脱がし始めたんだ。あれは今でも鮮明に覚えています。あろうことか彼女らは半裸にしたあと僕のケツを叩き始めたんだ! こう、ペチンペチン、ペチン、てね!」


マルぺスは興奮した様子で自らの尻に音を響かせて引っぱたく。

ぺちんぺちん、ぺぺぺ、ぺちん!

彼は恍惚とした表情で尻を叩き続ける。


「それでケツを叩かれた後どうなったと思いますか? あろうことか、彼女らは光り輝くかぎ爪で僕のケツの穴を――」


思わず耳を塞いでしまった。

誰にだって性癖はある。

しかし俺は普通寄りだ。

人と人が完全に分かり合えるのが不可能なように、性癖と性癖が分かり合えるのも不可能なのだ。

頃合いを見て塞いでいた手を離す。


「まあ大変な事にはなりましたけど、自慢の無詠唱魔法でなんとかなりましたけどね」


残念、まだ続いていた。


「も、もういい。もういいんだマルぺス。熱意は伝わった。ああ、伝わったとも。お前の事を仲間だと認めよう」


他の二人も顔を青ざめて首を縦に振る。

こいつらさっきの話、ちゃんと聞いてたのかよ……。


「え、そうですか? さっきのは序の口でこれからだって言うのに。ま、いっか」


マルぺスはあっけに取られた様子だったが、難なく杯を空にする。

一時はどうなるかと思ったが、無詠唱に気持ちが悪くなるほどのドM。

これを仲間にしないとなると、冒険者として胸を張れない。

マルぺスも同様にクラミズと同じくらい信頼して良いだろう。

そして残るはただ一人。


「最後は私ですな」


そいつはとがりにとがった三角帽子を頭に被り、なぜか肩が出ているローブを着ていた。


「私はズネイと申します。歳は三十七。見ての通り魔法使いでございます」


ズネイは恭しく一礼する。


「ズネイ!? あの天才大魔導士ズネイですか!?」


「拙者も耳にした事があるでござる。千を超える魔物の軍勢を一日足らずで殲滅したとか」


ほほう、それは知らなかった。

長年冒険者をしていて情報量なら誰にも負けないと思っていたんだがな。

しかし、今の俺にはそれより気になる事がある。


「すまない。一つ聞いていいか? その姿はお前にとっての正装か?」


「ええ、勿論ですとも」


見れば見るほど俺の心は不快になる。

男で魔法使いと言えば薄地の服にマントをはおり、片手に杖というのが普通のなりである。

対して当の本人、ズネイは男だ。

だと言うのに彼は三角帽子に杖。

ここまでは良い。

三角帽子は魔法使いとしてのシンボルであり、男性魔法使いが被るのも珍しくはない。


問題は服装である。

彼はマントを身に着けておらず、なんとローブを纏っているではないか。

しかもローブの丈が中途半端で足元に届いておらず、ちぢれにちぢれた汚いすね毛が我が物顔で姿を現す。

これが女であったのなら可愛げもあったのであろう。

正直、顔を合わせた時から気持ち悪かった。


「なんというか、まあ、あれだ。俺の知っている魔法使いとは装備が違うと思ってな」


こんな格好をしているが、ズネイは大の大人だ。

あまり傷つけない方向で行った方が良いだろう。

もしかしたら何か理由があるかもしれないしな。


「確かにこの格好をみて不審に思われるかもしれませんね。しかしこのローブ、結構優れものなんですよ。これは私の師から受け賜わった物でして、龍種のブレスや全属性魔法に対しての抵抗があるんです。さらには武器による斬撃、打撃耐性も付いています。実は天才魔導士と呼ばれるようになったのもこのローブのお陰だったりしますな」


「なるほど! 確かに優れた魔法使いと言えど敵の攻撃を全てかわすことは出来ない。しかしそのローブで防ぐことが出来たと、そういう事ですか!?」


「ええ、その通りですな」


「拙者も合点がいった。フォアダン殿はまだ疑っている様子だが、彼の実力は噂通りだと思うでござるが?」


いまいち納得できないが、クラミズが言うなら仕方ないか。

しかし。


「ズネイが優れた魔法使いだと言うのは分かった。じゃあ次はお前の性癖を話してもらおうか」


何と言っても性癖は大事だ。

性癖はそいつの人様を表す。

過去にとんでもないやつと遭遇した事がある。


そいつの性癖は岩でできた身体を持つゴーレムや、半人半獣の身体を持つケンタウロスといったガッシリめの魔物が好みだとほざいていた。

俺は怪しんでいたが、案の定そいつは男型の魔物に心酔しており、魔物との戦闘中に仲間を攻撃するという暴挙に走った。

のちに盗賊として指名手配されたこともあってあえなく御用となった。

以来、俺は性癖を打ち明けあう事において絶対の信頼を寄せている。

おっと、話が逸れてしまった。


「ええっと、性癖なんですが……」


俺はズネイの様子を伺う。

頬を紅く染めて、何やらもぞもぞして言いづらそうにしている。

やめろ、いい歳した冒険者がして良い素振りじゃねえぞ!

そういうのは美少女魔法使いがやることだ!





「実はふ、ふたなり系が好きなんです」


「……」


活気に溢れていた酒場もこの時だけは静まり返ったような気がした。


「う、うむ。人の性癖は十人十色存在するというでござるな」


「そ、そうですよね。でもこれはちょっと……」


「お前が言うな!」


「いやはやお恥ずかしい限りで……」


俺がマルぺスにツッコミを入れると何故? という顔で訴える。


「ちなみにズネイはどっちだ?」


「当然、攻めでございます」


攻めと聞いて安心するクラミズとマルぺス。

しかしこれはいよいよきな臭くなってきた。

冒険者界隈では同性愛者というのは最大のタブーとされている。

通常、パーティはあらゆるトラブルを避けるために同性での結成が推奨されている。

なので男がいるなら男だけのパーティ。女がいるのなら女だけのパーティ。

それが普通である。


問題はここから。

過去に同性愛者と分からずに仲間を迎えてしまったパーティがある。

ご想像の通り、パーティはその同性愛者によって皆、菊を散らされたのである。

そんな出来事があってか、冒険者達はかなりナーバスになっている。


今回、ズネイはふたなりの趣味があると発言した。

それに対して俺はどっちか? と聞いた。

これにはハッキリとした意図がある。

もし彼が受けと言ったなら、俺は迷わず追放した。

なぜならふたなり系魔物に攻められたい、それは魔物だけではなく人間に対しても可能だからだ。男なら誰だって掘られたくない。すなわち同性愛者として要素が色濃い。

では攻めと言えば健常者と言えるのか?

答えはグレーである。

男はいつだって掘る側である。

そんな答えで分かるわけがない。

ここは警戒しつつ、様子見でいるべきか。


「ではズネイ。君の経験を聞こうか」


「分かりました。あれはエルフの国で起こった怪現象を調査しに行った時でした――」


「いや、やっぱりいい」


「何故ですか!? 私のふたなり趣味を怪しんでいるのでしょう!? これにはちゃんとしたエピソードが存在するのです!」


「どうせマルぺスのように不快な話をされると思うとな」


「なんで僕なんですか!? 絶対ズネイさんの方がやばいですよ!」


ズネイは渋々ながら酒をグイっと煽る。

まあ彼については気を抜かないようにすればいいだろう。

ナニをするにしても近づかなければならない。

歴戦を切り抜けた俺なら余裕で抵抗できる。

クラミズも心配ないだろう。

マルぺス? あいつはハーピィの猛攻を耐えたんだ。ズネイに掘られても大丈夫だろう。


さて、ようやく集まった。

思えばかなり良いメンバーだ。

これなら俺の悲願も達成できるだろう。


「よし、自己紹介も済んだ事だし本題に入らせてもらう」


ついでに全員の酒を注文しておく。

当然主催者である俺持ちだ。


「皆も知っての通り、今回の依頼者は俺だ。そしてその内容は『誘惑の穴』に棲みついているサキュバスの生態調査、及びその捕獲だ。間違えても討伐だけはナシだ。ここまでに質問あるやつはいるか?」


ズネイが手をあげる。


「なんだ?」


「『誘惑の穴』にサキュバスが棲みついているのは確かなのでしょうか。サキュバスと言えば『コンコンフォックス』よりも発見件数が少なく、かなり希少な存在と言えますが?」


「その点については問題ない。俺の全財産と人脈を存分に活かしての情報だ。もしこれが間違いだったらそいつらを一人一人殺して回る所存だ」


「なるほど、分かりました。ドラゴンスレイヤー様が間違いないと仰るのならそうなのでしょうな」


言いにくくないかそれ。あとなんか馬鹿にされてるみたいで腹が立つ。


「拙者にも聞きたい事がある。サキュバスの生態調査ということだが、そういう事で構わぬのでござるか?」


「くく、勿論だとも。ここにいるやつらはそれ目当てで集まったんだろう? 安心してくれ、俺もその中の一人だ」


俺がそう言うと、彼らの内からなにか熱い物が溢れ出していくのを感じる。

やはり俺らは男だ。

考える事は皆同じ。


「ほかに質問はあるか? ……よし、ないな。では今後の動き方を説明する。ここから『誘惑の穴』まで馬車で一週間ほど掛かる。道中魔物に出会う事があると思うから、少しだけで良いから実力を見せて欲しい」


彼らを見渡しても反対する雰囲気は感じられない。

つまりは同意と見ていいだろう。

自己紹介で己の職種や性癖を共有しても、それは大まかな事でしか伝えられない。

では本番になる前に練習がてら腕を見せてもらえればいい。

それによって戦術を考え直す事があるかもしれないからだ。

何事にも情報の共有が必要だ。


「では『誘惑の穴』に潜入してからの事を話す。現在、お前達の知っている通り出現モンスター、及び地形やその他の一切が明らかになっていない。分かっているのは『誘惑の穴』の入り口だけだ。なぜなら俺達以外の冒険者がすぐ入ったところで返り討ちにあっているからだ。だが俺達は強い。確信した。このパーティなら行けると。そこで俺達は何とか進み、サキュバスの下へとたどり着くんだ。しかし、そこである問題が生じる」


注文していた酒が届き、一口飲んでその場を溜める。

他の面々も俺と同じ様に口を付ける。





「――どうやってサキュバスに食べられるか、だ。彼女らは他の魔物と違って知性を保有している。従ってある程度のコミュニケーションを取る事が可能だ。しかし、実際に遭遇したとしたらどうだろうか。道中に出現した魔物の返り血によって染み付いた血の匂いにサキュバスはどのように考えるだろうか」


「警戒、するでござろうな」


「その通り。間違いなく警戒される。何も対策しなければ尻尾を丸めて逃げられるだろう」


「じゃあその対策とやらがフォアダンにはあるっていうのですか?」


たまらずマルぺスが口を挟む。


「ああ、ある。それに今持ってきている」


俺は腰に提げていた手の平サイズの麻袋からそれを取り出す。


「これはなんですか?」


「まどろみ草だ」


「ま、まどろみ草!?」


三者三様にして驚く。

それも当たり前だろう。これを手に入れるには苦労したものだ。


「まどろみ草とは、あのウトキ山の山頂にしか植生しない草ですな。その道のりは遠く険しく、年に五回ほどしか摘み取れないので最も希少な植物として有名。いま競売にかけても金貨百枚はくだらないでしょうな」


「ズネイは随分と物知りじゃねえか。その通り、そのまどろみ草だ。ちなみに競売にて金貨二百枚で購入した物だ。貴族共が出しゃばってきやがってな……」


あの時は中々のスリルだった。

何せ相手の貴族は資産家として有名なやつだった。

このままではまどろみ草を奪われると思った俺は、冒険者の必需品である暗殺用の吹き矢で黙らせた。まあ大事になるといけないので、殺傷性のない痺れ薬を矢に塗っていたが。

こうして金貨二百でまどろみ草を競り落としたのである。


「しかし、一体どのようにしてそのまどろみ草がサキュバスに役立つというのでござるか?」


「クラミズ、よくぞ聞いてくれた。大金をはたいて買った甲斐があるってもんだぜ。んでこのまどろみ草の使い道って言うのはだな。まずサキュバスは人の精を喰らうっていうのは常識だな? 俺達と出会ってサキュバスは警戒するだろう。そこでだ。俺達はまどろみ草に火を点けて煙が出る。その煙にあてられた俺達は抵抗する暇もなく眠ってしまう。するとどうだろう、サキュバスの目の前には四人のご馳走が横たわっているわけだ。腹を空かせているサキュバスは警戒を解いて俺達を安全に食べられるっていう事だ。どうだ完璧だろう?」


「すげえ! 完璧ですよ! フォアダンさん、僕はあなたと組めて光栄です!」


「筋は通っていますね。私も賛成です」


「右に同じくでござる」


皆が皆、俺を称え褒める。

とても気分が良い。


「よし、方針も決まった事だしその時まで英気を養うとするか!」


俺が杯を掲げると、それにならって彼らも真似をする。


「冒険者に!」


「「「「幸あれ!!」」」」




///




「魔素が濃くなってきたな」


「そうですな。これほど濃いと高レベルの魔物に遭遇するやもしれませんな」


魔素とはこの世界を成り立たせる上で必要不可欠な要素である。

魔物は空気中の魔素を凝縮し形成したものであり、すなわち空気中に含まれる魔素が濃ければ濃いほど強い魔物が生まれてくるのである。

人間が暮らす街にも微量だが魔素は存在している。人々もこの魔素を利用する関係である。


例えば魔法使い。

魔法使いは先天性による物が大きいが、日々修行する過程で魔素を取り込む。その後自らの魔力に変換し魔法を行使する事が可能になる。この繰り返しで最大魔力量を増やしていくのである。


または魔術が刻印された魔道具。

これらも使用したあとはクールタイムが必要であり、周囲の魔素を取り込んで再使用が可能となる。この利点は魔法が使えない剣士などの冒険者でも魔法が使えるという点だ。それゆえ魔素というのはこの世界で重要な役割を果たす。


「あ、僕が発動していた探知魔法『アラート』に反応がありました。数は三十。種族はオークですね」


「おっと、敵さんのお出ましかい? 事前に敵の襲来が分かるっていのは楽でいいなァ」


開けたところで馬車を停め、四人は陣形を整える。

前衛の俺とクラミズは前へ、後衛のマルぺスとズネイは後ろへ。

あまり実力を把握していないメンバーならばこの陣形で良いだろう。

さて、皆の実力はどれほどの物なのかねえ。

俺はマルぺスが指さす方――森に向かって睨む。

耳を澄ませばドタドタと重さを伴った音が聞こえる。

地面からは俺の足を伝って断続的な振動が伝わる。


「ブヒィィィイイイイイイイイイイイ!!」


木々の間からダークブラウンの体毛を身に纏った巨体が姿を現した。


「鑑定魔法の結果でましたよ。レベルは三十から三十五。魔法武器の反応はないから余裕ですね」


神官であるマルぺスの片目に、手のひらほどの大きさで魔法陣が起動する。

これは鑑定魔法である『スキャニング』だ。

どんなに優れた神官でも発動までに三十秒は掛かる。

しかし無詠唱で魔法を使えるマルぺスにはそんなものは関係ない。


「よし、では手はず通り俺とクラミズは前衛、ズネイは俺達のサポート、マルぺスは回復に徹してくれ」


「ま、僕の出番はもう終わった気がしますけどね」


実際これぐらいの魔物と数ならば余裕だ。

時間さえかければ俺一人でも片づけられる。

しかし今回の目的はオークの殲滅ではないのだ。


「クラミズ、行くぞ!」


「御意」


俺とクラミズはオークの群れに駆けだす。

記念すべき一太刀を繰り出したのは言いだしっべの俺――のはずだった。

何と誰よりも早く先制攻撃を繰り出したのはクラミズだった。

俺の掛け声で走り出したはずの彼は、すでにオークの群れに向かっていた俺を走り抜き去ったのだ。

その後ろ姿は軽快で、今まで見た剣士の誰よりも素早かった。

いや、こいつは剣士ではなく武士だったか。

クラミズは瞬く間に接敵すると、オークの首がするりと抜け落ちた。

気が付けば彼の手には異国の剣であるカタナが握られていた。


「なんだと……」


クラミズがオークの目の前に立った後、その行われたであろう動作が目で追えなかった。

カタナを鞘から抜き、敵を切りつける。

そんな単純な動作だったのに見えなかった。

くくく、俺も負けちゃいられねえな。


「うおおおおおおお!」


雄叫びをあげ、一体のオークと接敵する。

獲物は珍しく盾を装備していた。

恐らくこいつらによって殺された冒険者の装備品を奪った物だろう。

俺は愛剣の『腰砕きの大剣』を握りしめ、上段から一気に振り下ろす。

オークはそれを防ごうと身を構える。


「そんなんじゃドラゴンの鱗を切り裂いた俺様を止められねえぞ!」


俺の剣は金属が擦れる音を一瞬だけ発したのち、肉を切り裂く感覚を伝える。

オークはピクリと震えて大量の血を吹き、絶命する。

どんなもんだ、とクラミズを見ると一体、また一体と計五体の討伐に成功していた。


「くそ!」


やはり俺の目に狂いは無い。

クラミズは優れた武士だ。

だからって手柄を譲る訳にはいかねえ。


「ブヒンッ!」


「なっ!?」


俺はクラミズに気を取られて、敵の攻撃を許していた。

オークが持つ斧と俺の距離はほぼない。

こりゃマルぺスにお世話になるな、と思った時だった。





「――『サンダーボルト』!!」


光り輝く一本の線が俺の眼前を通過する。

目の前を通り過ぎたそれは、小さな爆発音を出してオークの頭を消滅させた。

鼻腔内には肉を焦がした匂いが充満する。


「フォアダンさん、いくら相手が弱いからって油断するのはいけませんな」


「お、おう。すまねえ」


ズネイがいなければ俺はオークの攻撃をもろに受けていただろう。

かといって、仮にそれを受けたとしても致命傷にはならないだろう。

伊達に俺の体は鍛えられていない。


しかし、先ほどの『サンダーボルト』はかなりの練度があると見た。

俺とオークの距離はそう遠くはない。それを遠距離から一切の狂いもなく打ち抜いた。

普通は近くに味方がいない敵に向かって攻撃するのが基本。誤射の危険性があるからだ。

それをあえて俺の近くに放った。

余程腕に自信が無ければできない芸当だ。

どうやら大魔導士の名は本当らしい。

俺があっけに取られていると、パチパチと辺りに冷気が漂い始める。


「氷の精よ、我の願いを聞き給え。彼の者は我が共に刃を向ける者なり。彼らに凍土の苦痛を与え給え。――『アイシクルバインド』!!」


ズネイの詠唱によって巨大な魔法陣が浮かび上がり、オークの群れに魔の手が忍び寄る。

瞬間、すぐ近くにいたオークの足元に氷塊が纏わり着く。


「ブ、ブヒィッ!?」


なんとか逃れようとするが、彼の足はびくともしない。

それを契機に他のオークへ氷の道が拡散的に伸びる。

捕らわれたオーク達が驚愕の声をあげる。


これが『アイシクルバインド』である。

もっとも、通常の『アイシクルバインド』は十体までの敵を拘束できる。

しかし、ズネイが放った魔法はオーク二十体の動きを止めていた。


「さすがは天才魔導士ズネイだ。後は任せてくれ」


「いえ、まだですよ?」


「なに?」


ズネイが自信たっぷりの笑みを浮かべると、彼の背後から眩しく輝く円が出現した。

オーク達は何かを察したようで、一斉に暴れ出す。

あるものはまとわりつく氷塊を叩いて壊そうとする。

あるものは手に持つ武器で自らの足を傷つけ、脱出を図ろうとする。

俺はその光景を固唾を飲んで見守る。


「恵の雨は万物を生き永らえさせる力なり。彼の者はそれらを否定する者なり。天よ、彼らに裁きの雨を与え給え――『サンダーボルトレイン』!!」


ズネイの後ろにあった円は魔法陣として完成し、その大きさを二倍、三倍と拡大していく。

やがてその魔法陣からは、先ほど見た『サンダーボルト』と同じものが射出された。

しかし相違点はその本数だろうか。

魔法陣から次々と光が降り注ぐ。

行き先は当然オークの群れ。

土煙をあげながら的確にオークを貫いていく。

まさに圧巻。

それしか言葉に出来ない。

やがて光の雨は止み、静寂が支配する。


「見せ場はあのタイミングだと思ったんですが、これはやり過ぎましたかな?」


三角帽子に肩出しローブの中年が「あと百回は打てるんですがね」と涼しい顔で語る。

戦場には敵であるオークの姿は見当たらない。

どうやらズネイが放った『サンダーボルトレイン』によって全滅したようだ。

俺は一体、クラミズはもう二体倒していて七体、魔法使いであるズネイが二十一体。

なんとまさかの俺が最下位である。

俺ならもう少しやれると思ったんだがな――その時だった。





「新手です! さっきよりもかなりヤバイです! カイザーです! カイザーオークです!」


「なんだと!?」


カイザーオークと言えばオーク種の最上位。

人魔戦争で勇者一行を苦しめたとされる魔物である。

強さで言えば、俺が戦ったドラゴンと同格。

パーティに緊張が走る。

俺達は森の先を今か今かと待ち構える。

剣を持つ手が震える。

命を懸けて二本の足で大地に立つ。

くく、こんな感覚久しぶりだぜ。

さあカイザーオーク、来いッ!


「ブホォォォォオオオオオオオオ!」


大木のような手足に口端から覗かせる二対の牙。

両腕には金と黒の装飾が施された両刃の斧が握られている。

その瞳は真紅に燃え、ギョロギョロと標的を見定める。

一息つくだけで彼の口からは蒸気が放出する。

その匂いは何かが腐ったようで、死臭に近い物だった。


「キサマラ、オレノナカマ、コロシタ。ラクニハ、コロサナイ」


「ほほう、オークでも最上位にでもなれば言葉を喋れるには知能があるんだなァ」


「オレヲ、バカニシタ。オマエカラ、コロスッ!!」


激昂したカイザーオークは一直線に俺へ視線を向け、その黒々とした巨体で迫りくる。


「マルぺス! 『プロテクト』と『ヘイスト』をかけろ! 神官なら補助魔法ぐらい使えるだろ!」


「分かってますよ! もうかけてます!」


すると、俺の身体に心地よい魔力が纏わりつく。

皮膚は鋼鉄のように硬くなり、身体は子供のように軽い。


「さすがだマルぺ――グッ!」


「ヨソミ、スルヒマ、ナイ」


カイザーオークによって繰り出される初撃を『腰砕きの大剣』で受け止める。

腕にかかる衝撃は思いのほか重く、一瞬たりとも油断出来ない。

補助魔法かかったうえでこの威力。

オークという劣等種族でも最上位にでもなってしまえばここまで強くなるのか。

だが、それなら好都合だ。

近頃満足の行く戦いが出来なかったからな。

血が騒ぐぜ。


「うおおおおおおおおおおおおお!」


体中の血管を浮かび上がらせ、がむしゃらに押し返す。


「――斬ッ!」


押し返されてバランスを崩したヤツは再度攻勢に出ようとしたが、寸前のところで身をひるがえして距離を取る。

今度は見えた。カイザーオークが避けた時、鈍色に光るカタナが追従するのが見えた。

これをやすやすと逃すズネイではなく、小規模な『サンダーボルトレイン』をお見舞いする。しかしこれをジグザグに動いて回避される。


「む。腕一本ぐらいは貰ったと思ったのでござるが。……見かけによらず機敏に動くでござるか」


「この私が読み合いで負けるとは……お恥ずかしい限りですな」


さらに距離を取ったヤツは不意打ちを喰らったのにも関わらず、怒りなどといった感情を見せない。

むしろ俺達一人一人に目を向けて感心しているようだ。


「オレサマ、カイザー。オマエタチ、ツヨイ。ナマエ、オシエロ」


どうやら知性を持っているが、ネーミングセンスまでは持ち切れなかったようだ。

カイザーオークだからカイザーって……。

オークはやっぱりオークだな。

まあ、せっかくなので名乗っておく。


「俺はこのパーティのリーダーであるフォアダンだ」


「拙者は武士のクラミズでござる」


「僕は神官のマルぺス」


「私は魔法使いのズネイです」


「フォアダン二クラミズ、マルぺストズネイ。アイテニトッテ、フソクナシ。……デハ、イクゾッ!!」


カイザーの掛け声と共に、漆黒に染まった大きな影は急激な速度変化によって姿を歪ませ、爆音と共に襲い掛かる。


「くそッ! パワーもスピードもさっきとは大違いだ!」


大剣を盾にして攻撃を防ぐ。

反作用で周囲の地面がはじけ飛ぶ。

すかさずクラミズが刃を滑りこませる。


「ソノウゴキ、モウミキッタ」


身体を奇妙にくねらせ、華麗に避ける。

お返しとばかりにカイザーは片方の斧でクラミズに切りかかる。

それを受けまいと、彼も必要最低限の動きで避ける。


「むう。避けられたでござるか。しかし、これは避けられるでござろうか? ――『草刈』!!」


クラミズのカタナがムチのようにしなり、刀身が二又に分かれて挟み込むようにしてカイザーの首を狙う。

ヤツの腕では防ぎようがない。片方は俺に。もう片方はクラミズを捕えずに空を切っている。

武士の攻撃には無駄が無い。


基本的な戦い方は一撃必殺。

一撃で仕留められない場合は間接や肉質の柔らかい箇所を狙い、動けなくなったところにトドメをさす、という物らしい。

今回クラミズが狙ったのは首。

恐らく彼にとってこの瞬間に絶命させようと考えているのだ。


これは勝ったな。

しかし、カイザーはまだ諦めていなかった。

ヤツは首を曲げ、頭を下に向けるように動かす。

クラミズが繰り出す二本の刃はカイザーの首をはねる――かのように思えた。


「馬鹿なっ!?」


キィン、と甲高い音が鳴る。

彼の刃は首に達する事無く、カイザーの持つ牙によって防がれた。

クラミズの健闘虚しく失敗に終わり、二又になっていたカタナは元の姿に戻る。


「皆さん離れてください!」


兼ねてから詠唱していたマルぺスの『サンダーボルトレイン』がカイザーに降り注ぐ。

ヤツは回避する素振りは一切見せず、その身で直に受け続ける。

『サンダーボルトレイン』は多数の敵に使用するのが通例である。それがたった一体に注がれるとあれば、どんなものでもダメージを与えられるだろう。

しかしカイザーに倒れる気配はない。


「ワレ、シゼンヲイキルモノナリ。カノモノはハハナルダイチヲケガス。カレラニカナシミノヤイバヲフラセタマエ――『アイシクルダガーレイン』!!」


「なッ!?」


カイザーの足元に青白く発光する魔法陣が出現する。

さらにそこから先の尖った氷のツブテが射出する。

魔法陣内であった俺とクラミズは当たらないように身を引く。

通過した氷のツブテは一定高度に達した後、放物線を描いて俺達へと降り注ぐ。


「くそがっ!」


剣でそれを防ぐが、何発か身体に直撃する。『プロテクト』によって貫通はしないが、ダメージとして累積していく。

対してクラミズは身軽さゆえに避けていくが、無傷とまではいかないようだ。

『アイシクルダガーレイン』が終わると、即座に受けた傷が治っていく。

これは無詠唱で回復魔法を唱えられるマルぺスのお陰だろう。


「まさか魔法を使えるとはな」


「マホウツカエルノ、キサマラ、ニンゲンダケジャナイ」


見ればカイザーの身体はボロボロだ。

攻撃魔法は使えても回復魔法は使えないのだろう。

この状況、神官がいる俺達に分がある。

その証拠にカイザーの目にはマルぺスを捉えている。

決着を決めるなら次の瞬間か。


「フォアダン殿、拙者に考えがある」


「なんだ?」


「拙者があやつの周りをうろつき、かく乱する。お主がその隙を突き、トドメを刺すでござる」


「くく、俺もそれを考えていたところだ」


「御意」


「私もお手伝いさせて頂きますよ」


俺とクラミズは剣を構える。

剣先はカイザーオーク。


「ブホォォォォオオオオオオオオ」


ヤツの咆哮を合図に走り出す。

先行するのはクラミズ。

接近していく俺達を見たカイザーは、再度『アイシクルダガーレイン』を発動させる。

クラミズは刃の雨をカタナで切り落とし、避けながらもヤツに肉薄する。


「――『フィールドフォール』!!」


「ブホッ!?」


ズネイが唱える魔法の完成と共に、カイザーの足元が沈んでいく。

『アイシクルバインド』は氷漬けにして身動きを奪う魔法なので、相当高レベルな魔物であれば力任せに解く事ができる。

対して『フィールドフォール』とは対象の地形を不安定なものに変える魔法だ。

力任せに脱出できないのとカイザー自身の自重によって抜群の効率を誇る。

とは言ってそれは時間稼ぎにしかならない。

数十秒もすれば我が物顔で歩き回るだろう。

しかし、これを見逃す俺達じゃない。

クラミズは鞘からカタナを抜き、居合切りをカイザーに仕掛ける。

狙いは首ではなく、斧を持つ片腕。


「覚悟でござる――『草刈』!!」


例のごとく彼の剣は二つに分かれ、カイザーの腕を挟みこむ。


「ブホォォォォオオオオオオオオ!?」


ヤツの腕は大量に血液をドプドプとまき洩らしながら転がった。

俺はこの好機をみすみす逃すほどやわじゃねえ。

足先に力を込め、カイザーに向かって一気に跳躍する。

俺の手には『腰砕きの大剣』がある。

それを渾身の一撃を放つためにしっかりと握る。


「これでおしまいだああああああああああ!!」


最高のタイミング。最高のシチュエーション。俺は最高の一撃をおみまいする。

ヤツは咄嗟に残った片腕を出し、斧でガードする。

こんなので俺の剣は止まらない。

一度火花を上げたあと、盾の役をしていた斧は音を立てて壊れた。

そのまま大剣はカイザーの頭に達し、地面にめり込んだ。


「ミゴトダ……」


一刀両断。

ヤツの身体は真っ二つになり、左右に胴体を倒す。

この瞬間、カイザーという魔物は俺達によって討伐された。


「なかなかの強敵でしたな」


「ああ、そうだな」


「とりあえず、こんな時間ですし野営の準備をしませんか?」


「む。もうそんな時間でござったか」


俺もクラミズ同様周りの光景を把握していなかった。

カイザーオークとの一戦に集中していたせいで、日が暮れているのに気づかなかった。


「そうと決まったら準備をするぞ」


オーク共の死体をズネイの火炎魔法で焼き払い、野営に適した場所へと向かう。

歩いて数分。

うん。ここなら土地も開けてるし視野も確保できる。

万一の敵襲でもマルぺスがいるので対応ができる。


「すまねえ。そっち抑えてもらえるか?」


「わかりました」


野営地を確保し、各々は準備に取り掛かる。

大まかに分かれて二組。

俺とマルぺスはテントを張ったり必要な材料を集める係。

クラミズは周囲の探索及び食糧の調達。彼ほどの足と腕ならすぐに集めてくるだろう。

そしてズネイは食糧係。

魔法使いの名に相応しく、沸騰した鍋をかき混ぜている。

鎖骨を見せたローブを着用し、鼻歌交じりに調理している中年の姿は吐き気を催す。しかし料理は得意だという。まあ、期待するしかない。


「よし、こっちはこれで終了だな」


「私の方もちょうど終わりました」


皆の作業が完了したところで、夕飯の時間となる。

出された料理にスプーンを入れる。

うん。なかなか悪くない。

疲れた身体に染み渡るようだ。

他の面々も「うまい」と口々にする。


美味い飯を作れる男冒険者は重宝される。

前回説明した通りパーティは同性で組まれる。

それゆえ細かい作業が苦手な男性冒険者は、料理が作れないのが多数を占める。

過去に一番酷かったのは誰も保存食を持ってきておらず、なおかつ料理できる者がいなかった日だ。しぶしぶそこら辺にある野草や小動物で腹を満たした。野性的で口の中に広がる苦みと臭みは今でも忘れられない。


「しかし、お前達がこれほど頼りになるとは思わなかった」


「同意見でござる。拙者には切れぬ物が無いと慢心していたが、まさか薄皮一枚断てぬ魔物がいるとは」


「いやいや、剣を持っているのにかかわらずあんな早く動けるやつ見たことがないぜ。あれが本当の武士ってやつなんだろうな」


「フォアダン殿もあの一撃は見事でござった。どの剣豪でもあれほどの業を繰り出せる者はそういないでござろう」


「くく、やめてくれ。そう言われるとケツが痒くなっちまう。それにマルぺスの無詠唱魔法。攻撃を受けてから間もないのにすぐ治った。さらに『アラート』や『スキャニング』も大いに役立った。さすがは自称神官だ」


「ちょっと! 自称は余計ですよ!」


マルぺスは不満とでも言うようにメイスを掲げて訴える。

この行為は味方を攻撃、裏切りなど表すあまりよろしくないものなのだが、彼の若さと功績に免じて不問とする。

でなければせっかくの飯が不味くなってしまうだろう。


「ズネイの魔法も流石だ。一瞬であの数を殲滅させる魔法使いなんて見たことが無い。カイザーオークの足止めも申し分ない」


「ふふ、あれぐらいなら造作もないですな。ご所望とあらばあれよりもド派手な魔法をお見せいたしましょう」


「あれより凄いやつか? 見てみたい気もするが、それは後の楽しみにとっておこう」


「皆さんの驚く顔が目に浮かびますな」


四人は互いに笑い合う。

東洋の武士――クラミズ。

無詠唱魔法を操る神官――マルぺス。

千の魔物を相手に勝利を収めた魔法使い――ズネイ。

そしてドラゴンを討伐せしめた剣士――この俺。


「このパーティならいけるな。サキュバスの下へと」


「なにを言ってるんですか? 僕の魔法がある限り負けはしませんよ」


「どの魔物が相手でも、私の魔法の前では赤子同然ですな」


「拙者の動きについてこれる者は存在しますまい」


俺達は互いに武勲を称え合い、心ゆくまで語り合った。

数日待てば、いよいよ『誘惑の穴』に到着する予定である。

サキュバス。それは男のロマン。男が一度は願う願望である。

四人は心を一つに、満点に照らす星空の下で眠った。


///


「『ソナー』完了しました。魔物の強さや数は分かりませんが、ダンジョン内の大まかな地形は把握しました。他と比べて分かれ道が少なく、階層もあまり無いので、何も問題なければ踏破するのに半日かからないと思います」


「よくやったマルぺス」


一週間に渡り、俺達はたどり着いた。

最難関ダンジョンの一つであり、未踏の地でもある『誘惑の穴』。

露出した岩々で施された入り口は物々しい雰囲気を放つ。

すぐ隣には人の頭骨が転がっている。

恐らく過去に訪れた冒険者の成れの果てだろう。


「いよいよですな」


「そうでござるな」


「ええ」


「おう」


士気は十分。

後は雑魚を蹴散らしてサキュバスと対面するだけ。


「よし! 行くぞ!」


記念すべき一歩。

これは多くの冒険者に広まり、酒のツマミとして語られるだろう。

俺達は『誘惑の穴』へと直に、生に足を踏み入れた。





『誘惑の穴』は洞窟型ダンジョンである。

それゆえ光源が無いのでランプや『ファイアーボール』などを利用して照らすのだが、今回は必要なかった。

なぜなら地面や天井と、至る所に虹色に輝く鉱石――魔光石が点在しているためだ。

これはダンジョン内にある魔素の密度が高いからだろう。

視界を確保することは冒険者にとって必須である。

なぜなら侵入者を暗闇から襲う魔物がいたり、知らず知らずのうちにパーティを分断されていた、というので命を落とすことが多いからである。


幸いに魔光石があるのでその心配はないが、良い事ばかりではない。

先日に一戦あったように、魔素が多いところにはカイザーオークといった高レベルの魔物が出現しやすい。

この先にヤツぐらい強い魔物がいるのは確実だろう。

俺達はより一層の警戒をしながら進むと、街一つ分あろうかというほどの空間に出た。

そこはやけに湿度が高く、遠くの方では水がじゅるじゅるっと流れる音がしていた。


「敵襲です! 種族はスライム種! 数は五です!」


マルぺスの『アラート』に反応があったようだ。

俺達は即座に武器を構える。

ここまで魔素が濃いんだ。出るのは最上位である『デッドリースライム』か『ヘルバウンドスライム』ぐらいか。まあいい、どちらにせよ気は抜かない。

しかし、やがて現れたのはスライム系の魔物ではなく、五体満足に二足歩行する人間だった。しかも彼女達は顔が整っており、どの娘も可愛い。


「……人間? 冒険者か?」


リーダーらしき少女が一歩前にでる。


「あの、ここへ何しに来たんですか?」


「何しにきたって……。俺達はこのダンジョンに棲みついているサキュバスの調査に来ている。見た感じ冒険者という感じがしないが、逆にお前達はここで何をしているんだ?」


「そ、それは、その……」


言い淀む少女。やはり武器らしき物を身に着けていない。彼女達は一体なんだろうか。


「皆さん警戒を解いてはいけません! スライムは彼女達です! 恐らく人間の少女に化ける『レディスライム』です!」


「なにッ!?」


俺とクラミズは切っ先を彼女らに向ける。

しかしそれをスライム達は構えようとしない。

攻撃する意思がない?

いや、そんな事はない。そもそもスライムに構えなど必要無いのだ。

彼女らは対象を自らの体内に取り込み、窒息させた後にじわりと溶かして捕食する。

ならば取り込まれないように距離を保ちながら戦えばいい。

攻撃しようと駆け出し、スライムを切りつけようとした――その時だった。


「お、お待ちください!」


レディスライムをかばうように出てきたのはズネイだった。

突然の出来事に俺は驚き、一歩身を引く。クラミズも同様に足を止める。


「ズネイ! なんのつもりだ!」


「彼女達を傷つけるのはやめて頂きたい。もし傷つけるならば私がお相手致しましょう」


「はぁ? 何を言っている! ……まさか! お前の性癖であるふたなり趣味が関係しているのか!?」


無言でうなずくズネイ。


「いえ、待ってください。僕たちの前にいる『レディスライム』は皆オスです! ですがナニは付いていません! なのでふたなりの範囲外です! さっさと倒しましょう!」


「なんだと!? 『レディスライム』はオスなのに付いてるもんが付いてないだと!?」


「拙者も初耳でござる」


まさか『レディスライム』にそんな生態があったとは。今まで魔物を倒す事しか興味無かった。


「じゃあどうやってやつらは繁殖しているんだ?」


「半分は空気中の魔素が集まる事で自然発生しますが、栄養を蓄えた『レディスライム』は体積を半分にして分裂します」


「なるほどな……。って感心している場合じゃない! ズネイ、そいつらにはナニが付いてないぞ! いいか? そいつらはお前の望む魔物じゃない。分かったらそこをどけ」


「い、いいえ! 私はどきません!」


変わらず彼は俺達の前で仁王立ちする。

まったく、何が彼を突き動かすのか。

そいつはふたなり系魔物じゃないのに。

と、ここでズネイの格好を見渡す。

三角帽子に肩を露出させたローブ。丈の長さが足りないせいですね毛が見えてる。

あれ? 杖を持つ手で小指がちょっと立ってないか?

なにか違和感を覚える。

なにか重要な、大変な事を忘れている気がする……。

その答えはマルぺスの口よりが明らかになった。


「もしかしてズネイさん。ふたなり趣味はフェイクで、女装趣味が本命なんじゃないんですか?」


彼の発言でズネイはビクリと身体をはねさせた。

女装……趣味?


「わ、私は女装趣味なんて!」


「いや、そんな嘘ついてもバレバレですよ。だってほら、股間付近でテント立ててますもん」


「なっ!?」


ズネイ本人含め、全員の視線が集中する。そこにはマルぺスの指摘通り、ローブの中で己のアイデンティティを主張するナニかが盛り上がっていた。

ズネイは流れる動作で前かがみになり、そのまま土下座の体制に移行した。その身軽さは不人気職であるシーフにも匹敵する程のものだった。


「私は嘘をついていましたっ! 私はふたなり趣味などではなく、女装趣味を持っています!」


彼が観念するのと同時にゴツンと鈍い音が届く。額と地面を衝突させたのだろう。後衛職であるズネイは身体が丈夫に出来ていないはず。死にはしないが、結構痛いだろう。


「なので! この娘たち! いえ、このレディスライム達は見逃して頂きたい!」


「おいおいおいおいズネイ。お前は何を言ってやがるんだ? 今回の目的はサキュバスだ。スライムなんざ腐るほどいるじゃねえか。それとも何か? お前の性癖の為に仲間を危険にさらしたいってか?」


「うぐっ」


百歩譲って女装趣味は良しとしよう。しかし、危険性のある魔物を放っておく事は許容できない。人の命っていうのは何物にも代えがたい。それを自らの性癖と比べるなど愚かにもほどがある。

あまりの茶番に対峙しているはずのレディスライム達が戸惑っている。ヤツらに知性があって良かった。もし知性が無い魔物だったらきっとズネイは彼らのエサとなっていた事だろう。果たしてこの状況、いつまでもつのやら。


「私は今まで、自らの容姿に不満を持っていました……」


ズネイは被っていた三角帽子に手を向かわせる。何故かその動きは鈍い。どことなく腕が震えてるように見え、彼の顔色も悪い。まるで自らの意思で断頭台の上に立つように。


「なッ!?」


「嘘だろおい……」


「なんてむごいんだ。これが神のする事かよ……」


思わず声が上がる。

それもそのはず。彼が帽子に手を置いた後、サッとそれを持ちあげた。

それは一点の曇りも無い太陽。常人にはその太陽を持つ保有者(いや、非保有者と言った方が正しいか)は少ない。なぜなら普通であれば太陽は出現せず、黒い森に覆われているからだ。


「ご理解いただけましたでしょうか!? そうです! 私はハゲているのです!」


ハゲ。それは石化状態にも勝るバッドステータス。石化状態とは読んで字のごとく、身体が石になる状態。これは術者や、かけた魔物を倒せば解除される。

しかし、死んでもハゲは治らない。


魔法技術が発達したこの時代でも、死者を復活させる魔法とハゲを治す魔法は見つからない。なんでも、魔法に生涯を費やしたとされる十人の賢者がハゲを治そうと研究したらしいが、できたのは治癒魔法の出来そこないらしい。当然髪は生えてこない。それほど毛根の復活は絶望視されている。ちなみに、十人の賢者は皆ハゲだったと言い伝えられている。


「これは最近できた物ではありません。あれは十年前の朝、目を覚ました時でした。私はいつも通りあくびや背伸びをしていると、何か違和感を覚えました。いつもより身体が軽い。いや、主に頭部が。そこで私は振り向くわけです。皆さん、そこには何があったと思いますか? いえ、分からないはずです。だって皆さんはハゲてませんものねえ!」


何かが吹っ切れたようにズネイは狂い笑う。もみあげと後頭部を残り少ない髪で隠した頭部が、気のせいだろうか、悲しく輝いた気がした。


「振り向き、枕に散らかっていたのは黒い塊。そう、髪の毛なんですよ! 一本や二本じゃありません! 塊なんですよ! ゴッソリ抜け落ちた髪の毛なんですよ!」


一言でいうならば狂気。彼は数少ない髪を引っ張り主張する。


「それからですよ。私の人生が一変したのは。何か私が異を唱えるとハゲェ! 私が何か手柄を上げるとハゲェ! なんでもかんでもハゲハゲハゲッ! こうして私は頭を隠せる魔道の道を進んだわけです……」


今から十年前と言えば彼が二十代の時か。そんな時にハゲてしまうとは。どれほどの苦痛が襲ったのか、俺には分からない。


「幸い、師匠には恵まれ、名を轟かせるほどの魔法使いには慣れました。しかし、師匠から呪いとも言うべき物を与えられました。そう、それがこのローブなのです。実はこれ、脱げないんですよ」


うっ。なんか吐き気してきた。


「このせいで私は男なのに女性物のローブを着ているのです。当然気持ち悪いだのホモだのハゲだの言われ、笑われるのです。しかし、私が一人で依頼を受けて森を探索していた所、ついに現れたのです! 私を侮辱せず、肯定してくれる存在が! そう、レディスライム達、彼女達なのです! 彼女たちはオスでありながらメスであろうとする。私は、私は――って、あああああああああああああ!!」


それは一瞬だった。

俺はクラミズにアイコンタクトを送り、ズネイが熱心に語っている間に行動した。数体いたレディスライムも、連携したクラミズと俺は難なく討伐する事に成功した。擬態能力に特化させた魔物なんて俺の敵じゃない。


「あああああああああ! 酷いぃ! 彼女達がぁ! 彼女たちは数少ない私の理解者だったのにぃ!」


「ズネイ、厳しい事を言うがレディスライムは全員ハゲてなかったぞ」


彼は同胞の死に悲しみ、天に向かって鳴いた。鼻からはヌルヌルした鼻水が流れ、目尻からは涙がこぼれ落ちる。ここまでぐしゃぐしゃの顔をした中年の顔は見たくなかった。




///




ズネイをなんとかなだめた後、俺達は奥へと進んだ。道中スライムスライムうるさかったが、彼にとってそれほど大事な存在だったらしい。仕方なく俺はその件に関して口だしはしなかった。


「漂う魔素の濃さに対して出て来る魔物は弱いですね」


「そうだな……」


あれから何度か戦闘があった。ゴブリンメイジ、リザードマン、ウィンガル。どれも群れを成して襲ってきたが、俺一人で事足りる内容だった。ハッキリ言って拍子抜けだ。


「能ある鷹は爪を隠す、これは我が故郷に伝わる言葉でござる。真に強い物は力を隠す。いかなる時でも油断は禁物でござる」


とは言っても緊張感を保ち続けても疲れるものは疲れる。やっぱり楽できるときは楽した方が良いと思う。これが戦士と武士の違いなのだろうか。



――と、その時だった。


「あぶねぇ!」


突如現れた巨大な火の玉が熱気と共に襲う。

俺はそれを大剣を盾にして防ぐ。

魔法使いが多用する攻撃魔法『ファイアーボール』は、通常であれば拳大の大きさ。当たれば対象を焦がした後消滅する。しかし、現在受けているこの火の玉は巨大で、剣に触れているのに消滅しない。むしろ火力が増している気がする。


「ぐっ! ズネイ! お前の魔法でなんとかしてくれ!」


一人でいけると油断していた俺が馬鹿だった。こうしている間にも剣は熱を持ち、支えている両手はじりじりと焦がされる。長年鍛えて来た俺の身体もこの熱量には耐えられそうもない。


「スライムスライムスライムスライム……」


だめだ、ズネイは使い物にならない。


「フォアダンさん! 安心してください! 治癒魔法はかけ続けているので死ぬ事はありません! だからそのまま耐えてください!」


「何が安心してくださいだぁ!? 傷は治っても痛みは消えてねえぞ!」


どういう訳かしらないが、火の玉は威力を増し続けている。このままでは俺の力じゃぎょせなくなる。


「ウルゥゥゥウウアアアアアア!」


剣を傾けさせ、火の玉の軌道を逸らす。だが、後ろにはマルぺス達が控えている。俺は足腰に踏ん張りを利かせ、壁側に向かうように火の玉に相対した。

不可能にも思えたそれは案外上手くいき、壁と衝突したそれは爆炎を上げて消滅した。

ふう、危なかった。気づけば額に大量の汗。前髪の先を触れば少し焦げたらしくチリチリしている。それをみたズネイは「全部いけばよかったのに」と言っていたが、聞いてなかった事にする。


「フォアダン殿すまない。拙者はさっきの攻撃に何も出来なかったでござる」


「いや、いいんだ。俺達剣士はこういう事も仕事の内だ。クラミズの良い所はその身軽さにある。次に期待してるぜ?」


「かたじけない」


クラミズは謝罪の意を含めて頭を深く下げた。

誰だって得手不得手ぐらいある。それを補い合うのがパーティだ。この件に関して俺は別段不満を持ってはいない。


「しっかし、一体さっきのなんだったんだ?」


「僕のアラームに反応はありませんでした。恐らくアラームの範囲外からの攻撃だと思われます」


「アラームの範囲外? アラームは結構遠くまで反応すると聞いているが、それよりも遠くからあの火玉を打ったってのか? おいおい、だとしたらこの先にはどんだけ強い魔物がいるっていうんだ」


あの火玉を放てる魔物はそうはいない。どれだけ強力だったかはこの身を持って痛感した。

俺の脳裏にある魔物が浮かび上がる。

カイザーオーク。

ヤツとの戦闘はまだ記憶に新しい。

そんな奴らが俺達が来るのを手招きしながら待っている。


「くく、売られた喧嘩は買わねえとなぁ?」


細心の注意を払い、歩みを再開した。

しかし、いくら待っても二回目の火玉は無かった。

歩いて十数分。火玉を放った張本人が姿を現した。


「おんや? 久しく人間を見ていないのでちょっかいを出してみたら、あれを耐えた人間がいたのじゃな」


「……グッ!」


「クラミズ!」


クラミズは無策に駆け出した。

彼が跳躍したのと同時にカタナを抜く。たちまち微光を伴って『草刈』を発動させる。

狙うは必中にして必殺の部位。

刃は肉に到達すると思われた――が、九つの尾によってそれは失敗した。


「まぁまぁ、血気盛んじゃな。そんなんじゃ私の首は落とせぬよ」


瞬間、クラミズの身体が消え、反対側の壁に叩きつけられた。


「まったく、今回は骨のある人間かと思いきや期待外れも良いとこじゃ」


人の身体に獣の耳と尾を生やした容姿。随分昔に見たことがあるキモノと呼ばれる服装。極め付けは背後から隠しきれていないほど大きい九つの尾。

半人半獣の魔物。こいつの正体は――




「『スキャニング』の結果でました! コンコンフォックスです! 尻尾が九本なのでキュウビです! レベルは分かりません! 恐らく特性か何かのせいだと思われます! そうか! だからアラームにも反応しなかったんだ!」


喧嘩売ってきたのはこいつか。

目の前にいるのは生きる伝説とも言われる『キュウビ』。

相手にとって不足はないぜ。

下手すりゃここで死人が出るかもな。

俺は足の筋肉を収縮させ、キュウビの方へ前に出ようとした。


「――ッ!?」


俺の肩に誰かの手が置かれる。


「く、クラミズ!?」


振り向いて目に入ったのは、先の衝撃でボロボロになったクラミズだった。


「フォアダン殿。ここは拙者に場を譲って欲しいでござる」


「いや、しか」


「譲って欲しいでござる」


肩に加わる力が増していく。

くくっ。なるほどな。

クラミズも俺と男だっていう事か。


「わかった。お前を信じる」


俺が背中を押してやると、クラミズはサッと走り出した。彼の足は俺が見た中で一番早かった。カタナは鋭さを増し、光を残して振るわれる。


「ふぉ、フォアダンさん! クラミズさんを一人で行かせて良いんですか!?」


「マルぺス、覚えておくといい。これが剣士、いや武士の姿だ」


「えぇ……」


俺にはクラミズの気持ちが分かる。

あれは強者に出会えた喜び。未だ見たことが無い魔物に自分の剣が通用するかの好奇心。興奮して思うように身体が動かせない憤り。その様々がクラミズの頭を駆け巡っているだろう。わかる、本当にわかる。こう、生きてるってこういう事なんだなって。


「人間、なかなかやるではないか」


人の可能性とは計り知れない物だと思う。

初撃をもろに喰らったクラミズは、先ほどとは打って変わってキュウビと接戦を繰り広げていた。

確実にあった両者の力量差は驚くべき事に無くなっている。


否、これが本来あったはずのクラミズの力である。

彼は流れるように繰り出される尾の波をかわし、剛速球で放たれる火球を難なく避ける。

キュウビの隙を見つけたと思えば迷わずカタナを振るう。

永遠に続くとも思われたそれは、キュウビの奇術によって終わりを迎える。


「人間だからと見くびっていた私がバカじゃった。こやつなら全力を出しても問題はあるまいな」


キュウビは数ある一本の尾に、何かを探すようにわさわさと手を突っ込んだ。

クラミズは警戒しているのだろう。良く見るとカタナを持つ手が小刻みに揺れている。


「あったあった。これじゃ」


取り出されたのは一枚の大葉。それを頭にのせると、モクモクとキュウビを中心に白い煙が立ち昇る。

何が起こったのか把握できないでいると、突然豪風が吹き荒れ、視界を邪魔していた煙が飛散する。


「このすがたをさらすのはいつぶりじゃったか……」


煙が晴れ、キュウビがいた場所には初見の者達がいた。

俺の腰ぐらいの背丈を持つ幼女。獣毛で覆われた耳をピクリと動かし、可愛らしいキモノからはハリの良い生足を覗かせている。それが九人。そのどれもにフサフサとした尾を持つ。


「こ、こいつは!?」


「風のうわさでしか聞いた事がないでござるが、これはキュウビが持つ変化の術。してこの九人の幼女たちは変化した姿。『幼狐』と呼ばれるキュウビの姿でござる。こやつらは変化前の状態よりは劣るものの、意識が統一された状態で絶え間なく連携攻撃を繰り出すのでござる」


「なんてこった……」


パーティの利点は連携にある。同数で同じ力量を持つパーティ同士で戦い、連携して戦うのと連携しないのでは大きな差がある。過去に行われた最強パーティを決める舞踏会では連携を重視しているパーティが優勝した。それほど連携は重要なのだ。

しかし、人は独立した存在であり。人と人が全て理解し、それを察して行動する事など不可能だ。

だが、今目の前にいる幼狐たちはそれを可能にするらしい。


こちらは俺とマルぺスとクラミズとズネイの四人。対して幼狐は九人。戦闘力はクラミズに劣るぐらい。当然後衛職のマルぺスとズネイじゃ太刀打ちできない。

数と質。この両方に遅れをとり、なおかつ統一化された意識で連携する。

もし戦ったとしてもマルぺスとズネイの死は確実。俺とクラミズが生き残っても深手を負う事は避けられないだろう。

断言できる。これは勝てない。

俺はこの場を逃げ出す事に思考を巡らすが、彼は違うらしい。


「フォアダン殿。どうやらこれが最後になるでござるな」


「お前、まさか……」


クラミズは俺達に背を見せ、剣先を幼狐たちに向ける。

俺は彼の考えをくみ取り、呆けているズネイの首根っこを掴む。


「え? どうしたんですか?」


「マルぺス。俺達は進むぞ」


「え!? クラミズさんを見捨てるんですか!?」


「馬鹿野郎! やつは自ら選んだんだ!」


クラミズの雄姿を目に焼き付けた後、俺は踵を返して先へ進む。

背後からは幼狐の「ゆくのじゃー」っていう声や戦闘音が響く。


「なあマルぺス。俺達の目的ってなんだ?」


「サキュバスじゃないんですか?」


「その通りだ」


あの場から離れれば離れるほど戦闘音は小さくなっていく。


「クラミズ。あいつはな、俺達がサキュバスのもとへ到達するために自分を犠牲にしたんだ。見捨てるんじゃない。あいつはサキュバスへの架け橋になったんだ」


「いや、僕思うんですけど、自分から望んでいったように見えたんですけど。だってほら、クラミズさんってケモナーですし。キュウビが尻尾触ってた時なんか興奮してたし。それに幼狐たちがあらわれた時はなんか前かがみになってましたもん」


「おめぇ! クラミズを馬鹿にするのか!? あんな危機的状況で欲情するやつなんていねえだろ! そういえば顔合わせの時もクラミズを笑ってたよなぁ!? 今まで我慢してきたが仲間を笑うってどういう考えしてやがる! 冒険者として! 人としてお前はどうかしてやがる!」


「いやちょ、そんな怒らないでくださいよ! それにスキャニングが魔物だけじゃなく人間にも使えるって知ってましたか?」


「それが今となんの関係があるっていうんだ!」


「ちょっとクラミズさんが心配なので体力面やダメージを観察していたんですが、スキャニングって精神状態も分かるんですよ」


マルぺスはクラミズを心配していた?

もしかしてマルぺスは良いやつなんじゃ……。


「今の彼、強い性的興奮覚えてます。きっとクラミズさんは性的欲求を爆発させたくて一人になったんだと思います。それにしてもケモナーで幼女趣味とか見かけによらないですね」



……。



「嘘を……付くなッ!」


俺はそれだけしか言えなかった。

冷静になってみて思い当たるふしが浮かんでくる。

いや、邪推はよそう。

彼は仲間の為に立ちはだかった。

そして彼は仲間の為に死ぬ。

うん。そっちのほうが勇ましい。

俺は頭の中を空っぽにして走り続けた。





クラミズ達の地点から十分に距離を開け、魔物の気配もしないという事で俺達は足を止めた。


「おいズネイ! いい加減にしやがれ!」


ズネイを掴んでいた手を離す。

それでも彼は放心状態のままだったのでげんこつをお見舞いする。この時なぜか頭頂部ではなく、殴りにくい後頭部に拳が行ったのは謎だ。


「いッ!? 痛いですなぁ!? あれ、私は今までなにを?」


ズネイは我に返ったように顔を上げ、帽子ごと患部へ手を当てる。


「ズネイ。いいか、よく聞け。クラミズはお前のせいで死んだ」


「何ですって!?」


俺はズネイが放心状態になってから今までの事をはなした。


「なるほど、そんなことが。ってクラミズさんは私のせいじゃないですよね? 完全に彼の性癖が関係してませんかね?」


「うるせぇ! 性癖でもなんでもいい! あいつは俺達のために犠牲になったんだ!」


洞窟内に俺の怒声が反響する。

やつは死んだ。それで十分だ。


「はぁ。状況は把握しました。確かに私がお荷物になってしまったことで皆さんの足を引っ張ってしまった事は認めます。これからは大魔道士の名に恥じない活躍をお見せしましょう。ただし!」


「ただし、なんだ?」


「彼女たちを殺めた事は忘れません」


やっべ、クラミズの件が印象強くて完全に忘れてた。

確かズネイはふたなり趣味じゃなくて女装趣味だと判明した。そのせいでレディスライムをかばうという暴挙にでた。それを彼の隙を見て討伐した。

正直、ズネイがこんなのでは信頼しがたい。女装趣味が判明したところで同性愛者疑惑は深まる一方でいらぬ恨みを買っている。いつ背後からブスリとやられてもおかしくはない。

こんなんでサキュバスに辿りつけるのだろうか。

少し休憩をはさんだ俺達は足を再び動かし始めた。


しばらく進むと、俺はある変化に気づいた。


「湿度が高くなってきたな」


「そうですな。壁や地面に目を向けるとコケと植物が生えてるのがわかりますな」


「うわ……」


マルぺスは息まじりに驚愕の声をあげる。


「どうした?」





「――クラミズさんが本日五回目の絶頂を迎えたみたいです」


「わかった。もう喋るな」


まだスキャニングしてたのかよ……。

しかも五回って。

流石の俺でも最大で二回目で打ち止めだぞ? あんな細い体から?

ああ、俺の中にあるクラミズ像が壊れていく。

と、視界の隅に何かが動くのを捉えた。


「あぶねえ!」


緑色の触手が俺を襲う。

一発目は大剣で防げたが、触手は何本、何十本もあるので全てを捌ききれない。

何回かくらってしまうもマルぺスご自慢の無詠唱魔法で癒される。


「オーホホホホホ! 我が庭園にわざわざエサが迷いこんだみたいねえ!」


声が聞こえたほうに視線を向けると、地中から何かがせり上がってくる。

地を裂き姿を現したのは巨大なつぼみ。つぼみは身をゆっくりと開き、極彩色の花弁を見せつける。その中心には頭を色とりどりの花で飾った美女が笑みを浮かべる。


「あれは確か……ティターニア!」


ティターニアとは植物系モンスターの頂点に君臨する存在。キュウビと同様に発見件数が少ないので確かな情報がない。

俺があっけにとられていると、後衛職であるはずのマルぺスが前に踊りでる。


「おいマルぺ――」


瞬間、マルぺスめがけてティターニアの触手が目にもとまらぬ速さで通過した。

彼が立つ地面には結構な量の血溜まりができる。


「マルぺス!?」


後衛職は肉体的に貧弱だ。そんな彼が直接攻撃を受けたとなればただでは済まないだろう。

マルぺスは俺の呼びかけに応え、ゆっくりと振り返る。


「どうしたんですかフォアダンさん。まるで誰かが死んでしまったみたいな顔をして?」


「マ、マルぺス……お、お前!」


打ちどころが悪かったのだろう。

彼のベルトは破損し、哀れにもズボンと下着がずり落ちた。


「お、お前! お前の股間がァ!?」


今にも血が流れている箇所は男にとっての弱点。そこにあるべきはずのモノが綺麗さっぱり、つるりと無くなっていた。


「ああ、これですか? これぐらいならすぐ治りますよ」


言葉通り彼の損失箇所は尊厳を取り戻し、グロテスクな邪神を復活させる。

うわあ。あそこが治っていく光景なんて見たくなかった。すごい気持ち悪い。しかも復活した邪神様は心なしかいきり立っている気がする。副作用か何かか?


「フォアダンさん。ここは僕に任せてください」


「は、はぁ!? 何言ってやがる!? クラミズの真似なんかお前には無理だ!」


俺の制止も虚しくマルぺスは向き直り、ティターニアに近づく。

無防備に近づく彼を許すほどティターニアは甘くない。

既に半裸となっているマルぺスは次々と攻撃を受け、衣服をボロボロにされて全裸に様変わりする。


「オーホホホホホ! 身体だけは丈夫みたいねぇ。さあ、いつまでもつかしらぁ?」


ティターニアはマルぺスに触手を向かわせて胴体を縛り、持ち上げる。

地と足が離れた彼に自由は無い。ましてや武器も服もない。

彼に許されたのはただティターニアの猛攻を一身に受けるだけだ。


「ふふふ、ティターニア。僕は何の考えも無しに立ち向かったと思っているのかい?」


「あら、そうではないのかしら?」


なんとマルぺスはこの危機的状況でも前向きの姿勢を取っている。

彼の息子は上向きだが。


「ふっ。僕は一目で見抜いたよ。君が極度のドSだってね!」


「なぜそれを!?」


あからさまに驚くティターニア。得意顔のマルぺス。


「フォアダン殿。もう彼を見捨ててもよくはないですかな?」


「いや、でも……」


ズネイの言いたい事は痛いほどわかる。

今のマルぺスは下心丸出しだ。

だけど何かのきっかけで心変わりするかもしれない。真剣にティターニアを討伐しようと動きを見せるかもしれない。ほぼ諦めかけているが、もう少しだけ信じていたい。


「ま、まあそれを看破したところで状況は変わりませんわ……喰らいなさいッ!」


「うががががががががが!」


ティターニアの操る触手は器用に動き、ノーガードの肛門を荒らした。

ドSのティターニアにドMのマルぺス。二人の相性はきっと最高だろう。


「まだまだよぉ? 綺麗な花にはトゲがあるという言葉知っているかしらん?」


それを聞いたマルぺスの双眸はギラリと輝く。





「あ、あ、あ、あ、あ、あああああああああああああああああっ!」


やっぱり、という感じでマルぺスのケツからはおびただしい量の血が放出される。

こうみるとマルぺスは凄いやつだったんだなと思う。あんだけ血を流しているのに顔色一つ変えない。むしろ喜んでる。魔法が使える限り、彼に死という概念は存在しないのではと思う俺がいる。

情事を堪能している彼の目が俺達を捉える。


「てめえら何見とんじゃボケェ! さっさと失せろ! この女王様と謁見しようなんざ百年はえんだよ!」


なんだあいつ。急にキャラ変えてきたぞ。やっぱり若い神官を仲間にするのは失敗だったな。

マルぺスがティターニアを単騎で相手してくれるようなので、俺とズネイは無心で先に進んだ。

悲しみの言葉とか仲間を心配する会話なんてない。無言。


まったく、どうしてこうなった。




///




『誘惑の穴』に潜ってから早数時間。

パーティの半分がいない状態でも、遭遇した魔物を蹴散らすのは容易かった。

ズネイが牽制攻撃を繰り出す。そんで俺がたたっ切る。それだけ。まるでポーション作成のバイトみたいな単純作業。モチベーションのモの字もない。

ともあれ、俺達はついに辿り着いた。

俺達の前にはこれですよ、と主張しているような石門。

恐らくこの先にサキュバスが待ち構えている。


「ズネイ、ここまで色々あったけどお前が残ってくれて嬉しい」


「ええ、私もフォアダンさんが残って嬉しく思います。まあ、他がアレだっただけですが」


「そうだな。俺の予想だが、この先にサキュバスがいる。だからこれを渡しておく」


俺は腰にさげていた麻袋からそれを半分取り出す。


「これは?」


「まどろみ草。もし俺がまどろみ草に火を点けられなかったらお前がやるんだ」


人間には色々な人種がいる。好戦的な者、戦いを好まない者。それは魔物にも当てはまる。

サキュバスが好戦的な個体だったら俺が防ぐ。その間にズネイがまどろみ草を使えば目的は達成する。


「わかりました」


ズネイがそれをふところにしまうと、俺は石門に手をかける。


「では、いくぞ」


腕に力を込め、ギギギと音を立てる。

待つのは桃源郷。このために俺は生きてきた。飛び出してしまいそうな心を抑え、俺達は一歩足を踏み入れる。





目に入ったのはピンク色に染まった世界。

精巧に石材を彫刻したオブジェ。それは獣人系の魔物をモチーフにデフォルメされており、なぜだか愛らしさを感じる。

噴水のような設備も見受けられるが、粘度が高いのかトロトロと音を響かせている。

空間内の真ん中では意味深な棒が立っている。

パッと見て、ドラゴン十体ぐらいがすっぽり収まるほどの空間。

ズネイが攻撃されると困るので、俺が先行して躍り出る。

剣を構えて備えるが、攻撃される気配がない。

安全を確認してズネイに合図を送ると、彼はこちらへ近寄る。


「何もいませんね……」


「そうだな」


ここにマルぺスがいたら『アラーム』などで何かがわかったのかもしれない。しかし彼はいない。俺の勘と経験で判断するしかない。

どうやら奥に繋がる道もないようだ。

サキュバスはいない。俺は嘘の情報を高値で掴まされたらしい。

そう怒りをふつふつとつのらせる――その時だった。


「なんだ!」


噴水にある水たまりから勢いよく何が浮上する。

液体をまとい、てらてらと光沢を放つ人型の生物が姿を現した。

そいつは二、三歩進むと、前に垂れていた髪をかき上げた。


「う、うわぁぁぁあああああああああああ」


俺とズネイは腹の底から絶叫した。


「あら、いらっしゃい」


灰色の皮膚に黒々とした翼を持つ。背が小さく、胸がある所をみると女型の魔物だろう。

彼女はサキュバス。俺達が夢見た正真正銘、本物のサキュバスだ。

しかし、俺はそれをやすやすと認める事ができない。


「お、お前は一体何者だ!?」


「あたし? そんなの見ればわかるでしょ? サキュバスよ」


「ふざけんな! どこにお前みたいなサキュバスがいる! ガリガリに痩せて四肢は枝のようだ! 顔なんて長年つかった木盾のようじゃないか! サキュバスの代名詞ともよばれる豊満であるはずの胸はどうだ!? 鼻水のようにデロンデロンじゃないか!?」


「ああ、これは加齢による肉体の劣化ね。あなた達人間にもこれはあるでしょ?」


「あるでしょ? じゃねぇ! ズネイもなんか言ってやれ!」


「ちょっと……無理です」


彼の顔は死んだように青い。

俺はこんな風に虚勢を張っているが、内心ズネイと同じ感じだ。

待ちに待ったサキュバスがこんなシワシワの老婆とは……。こんなので欲情できるはずがない。捕獲して奴隷商に売っぱらっても銅貨一枚にも満たないだろう。


「サキュバスであるあたしに会いに来た、という事はそういう事なんだろう?」


彼女がしゃがれた声で言うと、人差し指と親指で輪を作り、もう片方の人差し指でにっこり抜き差しした。噴水からでる粘液をまとっているせいかネチョネチョと音がする。


「おえっ……」


吐き気がする。生理的嫌悪もする。もう帰りたくなった。


「おや、あたしの姿を目に入れるだけで魅了されるのにこれでもだめかい」


確かにサキュバスの特性は姿を見るだけで魅了されるのが普通だが、人間の老婆と大して変わらない容姿なので魅了されるはずがない。魔力的要素が作用しても人間がもつ生存本能がこれを妨害しているのだろう。


「な、なにをしている!?」


「ふふっ」


サキュバスは己のおぞましい身体を奇妙にくねらせ始めた。

不思議と俺の身体は熱を持ち始めた。

ああ、俺はたどり着いたんだ……男のロマンってやつに。



っていかんいかん!

これは長年何度も経験した魅了の症状だ。何をしたのかは知らないが、彼女は俺を魅了させようとしたらしい。こんなので篭絡できるとおもうんじゃねえ。

しかし、ズネイは違うらしい。


「あへあへあへぇ。もー私は我慢できませーん」


「ズネイ! 気をしっかり持て!」


見れば彼の顔は紅潮し、息も荒い。

完全に魅了されている。

すると、何を思ったのかまどろみ草を取り出した。


「ま、まて!?」


ブツブツと何かを唱えると、ズネイの片手に火玉が現れた。

恐らく『ファイアーボール』などの火炎魔法だろう。おもむろに彼は持っているまどろみ草に近づける。


「まてまてまてまて! 何をする気だ!?」


「何ってぇ。サキュバスに食われるために寝るんですよぉ」


俺はすぐさまズネイの腕を抑え、なんとかしてそれを止める。


「そんな事をすれば俺も眠っちまうだろ! 半分とはいえまどろみ草から出る煙は効果範囲が広いんだ! 俺はあんな干からびたサキュ婆スで満足したくない! お前は魅了されているんだ! 早く目を覚ませ! ここから抜け出してレディスライムと戯れたいんだだろ!? それなら馬鹿なことはよせ!」


「魅了ぅ? そんなのかかってませんよぉ。私は後悔したくないんですよぉ。レディスライムを目の前で倒され、仲間は己の欲求に従ってしまったぁ。もう疲れたんですよぉ。ここまで来てもあのレディスライム達には会えない。ならいっそのことサキュバスに食べられちゃおうかなってぇ」


驚くことに、ズネイの瞳に理性の輝きがあった。どうやら魅了されていないのは本当らしい。


「馬鹿やろう! こんなババアで妥協しようとしているんじゃねえ! あいつに食われるなら金持って風俗街にくり出したほうがましだ!」


「風俗街にいる女なんて私が最も嫌う人間です! 彼女らは私の頭に冗談半分にスライムエキスをかけるやつらです!」


しまった。これはズネイの辛い記憶を呼び出してしまったらしい。

いったいどう説得すればいいんだ!?

ちらりとサキュバスに目をやると、まだ謎の動きをしていた。

くねくねくねくね。

パターン化されているので踊りや舞いの一種なのだろう。

ああ、あのいびつな形をしたヒップラインがやけに生女なまめしい。

あの形なら俺の両手にすぐなじむだろう。

早く華奢な彼女の身体を堪能してみたい。




くそっ! また魅了された!


「いいかズネイ! お前がやろうとしている事を今すぐやめろ! そしてこの『誘惑の穴』から脱出するんだ。そしたらお前と一緒にレディスライムを探してやる。な? だからこんなことはやめようぜ?」


「いいえ、決めました。私の死に場所はここです」


「だから! そういうことをやめろっていってるんだ! ――ちょ、動くなっ! やめろって!」


急にズネイがまどろみ草に火を点けようと暴れ出す。

筋力だけでは不利だと感じたのか魔法で俺の身体を引き放そうとする。

させない。絶対させない。あの魔物で俺の願いが成就するなんて事は許されない。


「放してくださいよぉぉぉぉおおおおおおお!」


「放すかボケェェェェェェえええええええええええ!」


俺とズネイが攻防を繰り広げて数分。それは思わぬ形で決着がついた。


「あ」


チュッという音と、心が落ち着くようでさわやかな香り。

両者動きをとめ、音と匂いの正体を確かめる。





「つけちゃった♥」


ズネイが持つまどろみ草のすぐ近く、やつは指先に灯火を浮かべていた。


「ふざけんなババアァァァァァァアアアアアアアアアアアア!」


まどろみ草から出る煙は即行性が高く、どんな人間でも一分はもたない。

ズネイは力なく笑うと、バタリと倒れた。

彼は淫夢の扉を開いたのだ。俺の足を引っ張りながら。

俺は最後の抵抗と言うばかりに二本の足で必死に踏ん張る。


「往生際の悪い人間だねぇ。これならどうだい? あたしが生み出した奥義。これを受けて無事でいたやつはいないよ?」


彼女が身体をゆらすと、胸部から垂れ下がる乳房が振り子のようにゆれる。

意識が遠のいていく。まるで瞼が鉛のように重くなったようだ。


「お前さんは段々眠くなぁ~る。眠くなぁ~る」


このままでは駄目だ。確実に寝る(死ぬ)

頬をつねったり腕を噛んでみるが、濃くなる眠気は消えない。

膝に力がはいらなくなり、地に手をついてしまう。

くそ、俺はここまでなのか……。

にやけながら乳房を大回転させるサキュバスを尻目に、俺は人生という名の瞼を下ろした。




///




ここはどこだろうか?

ふかふかのベッドに薄暗い室内。

耳を澄ませば水の流れる音が聞こえる。

世の中にはシャワーと呼ばれる魔道具を利用した温水が流れる物がある。恐らく近くにそれが設置された浴室があるのだろう。


となればここは娼館か?

普通の宿ならシャワーなどの豪華な設備はない。高級な宿屋でもそれは置かない。なぜなら冒険の魔法で似たような事ができるからだ。

以上から冒険者以外の人間も通う娼館であると推測する。


多分、俺は娼館にいる。

しかし、ここまでのいきさつがわからない。

思い出そうと記憶を片っ端から漁っていくが、今に至るまでの記憶がまったくない。

酒を飲み過ぎたか?

おおかた、酒に気分を良くした俺は、日ごろのストレスを発散させるために風俗街に繰り出したのだろう。

酒が残っていない事と、俺の息子がスンとも言わない事とに疑問をもつが、大体の娼館は前払い制だ。払った分は満足させてもらおう。


すると、聞こえていたシャワーの音がやむ。

どうやら娼婦の準備が整ったらしい。

相変わらず性欲が湧いてこないが、酒に酔った俺がどんな娘を選んだのか気になる。

足音が近づくと、心臓が高鳴る。

さて、今日はどんな娘が相手なのかね。

俺がベッドで今か今かと待っていると、ついにそれは姿を見せた。


「お・ま・た・せ!」


バスタオルを体に巻き、彼女は俺の前に立つ。

灰色の皮膚に黒々とした翼。

彼女の肌には輝きがあった。人間とは思えないほどの張り。ほどよくついた脂肪にはなんともいえないエロスを感じる。布越しでもわかるスタイルの良さ。胸は下品に感じないように程よく膨らみ、胸から腰にかけては綺麗なボディラインが描かれている。一番大事なのは尻。その尻は小ぶりでプリっとプリティーなプリケツだ。

最高だ。文句のつけようがない。


しかし、身体が良くても顔の方はどうだ?

凄く気になるが、彼女の顔は前髪が垂れているせいで良く見えない。

すると、俺の思いが通じたのか、彼女は自らの前髪に手をかけた。





「うわぁぁぁあああああああああああ!」


中からこんにちは!


踏まれてぐちゃぐちゃになった熟した果実。

岩石系魔物であるロックエレファントの足の裏。

足を伸ばしたらしわくちゃになる膝小僧。

そのどれもに似て非なる物。

俺は全てを思い出した。


「てめぇあのサキュバスじゃねぇか!」


「あら、もう暗示が解けたのね」


「なにが暗示だ! ピッチピチの身体に騙されたがてめぇの顔面で綺麗さっぱり溶けたわ! せめて騙そうとするなら顔も変えやがれ!」


「うーん。魔力が足りなかったから顔まで余裕が無かったのよね」


「クソがァ!」


俺はベッドから飛び出して逃走を図る。

しかし、扉はおろか窓まで見つからない。


「うふふ。ここは夢の世界。サキュバスであるあたしの管理下にある。……ニゲラレナイワヨ?」


サキュバスは下衆な笑みを浮かべて俺との距離を縮める。

気付けば背中と壁がくっついている。俺は彼女から逃げようとするが、部屋の角に追い詰められてしまう。


「や、やめろ! くるな! こっちにくるなぁ!」


「うふ。人間の精を搾り取るのは何年ぶりかしら?」


サキュバスの影が大きくなる。それに反して俺は隅に身体を押し込めるように小さくなる。

お願いだぁ……やめてくれぇ。


「やめろ! さわるな! ちょ、うわ……ぎゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」


非戦闘態勢であった俺の息子はなぜかいきり立ち、サキュバスに骨の髄まで絞り取られた。





後日、『誘惑の穴』の入り口前で四人の男性冒険者が発見された。

その四人は半裸または全裸で倒れており、どれも尋常じゃない状態で見つかった。

一人は半裸で、全身に獣の抜け毛で毛だらけ。

一人は全裸で、肛門から血を流している。

あとの二人は目立った外傷などは無いが、強烈な青臭さを発していた。

発見された冒険者たちの命に別状はないが、それぞれ一様にして出来事を語らない。


この一報が届けられた冒険者界隈では、腕利きの冒険者パーティーが返り討ちにあったという事で一躍騒然となった。

瞬く間に『誘惑の穴』の知名度は高まり、高難易度ダンジョンとして広まった。

何度も腕に自信がある冒険者たちが挑むも、例によって皆返り討ちになる。

どんな魔物、どんな地形、どんな出来事。これらは何人も『誘惑の穴』に潜入したが、口を割りたがらない者が全員なので判明していない。





そんな『誘惑の穴』に一人の青年が足を踏み入れる。

長剣を背負い、片手には奇妙な文字が刻まれた小楯。

彼は勇者の再来と呼ばれている男だ。

過去には単身でハイオーク三十体とやりあった実績を持つ。

彼は長い道のりを経て、ついに石門に手をかける。





「あら、いらっしゃい……うふふ」


今日もまた一人、尊い犠者が増えるのである。


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