ある勇者の大往生
お酒を飲んでいい気分なので投稿しました
今生は割りと良い人生だった。
世界の危機も大したことが無く、添い遂げたいと思えるほどの良い女と巡り会えた。
子宝にも恵まれ、子供達も健やかに育ち、孫にも恵まれた。
ただ一つ心残りなのは、十日後にでも産まれる予定だった曾孫の顔を拝めなかったことか。
「あなた!」「父上!」「お父様!」「親父!」「おじいちゃん!」「大旦那様!」「先生!」「お師匠様!」「隊長!」「アニキ!」「御主人様!」「兄者!」「小僧!」「ボス!」「博士!」「教授!」「プロフェッサー!」「ドクター!」「ドクトル!」「老子!」
俺は今、ベッドに横たわり多くの人達に囲まれている。
この世界での八十年近い人生の中で縁を結んだ、かけがえのない家族・友人達だ。
「逝かないで、私の勇者様……」
妻が俺の手を握り、涙を流しながら語りかけてくる。
陽の光を束ねたような金髪は月光のような輝きを放つ銀髪へと変わり果て。瑞々しく皺一つ、シミ一つ無かった肌は沢山笑ったお陰で今はもう皺くちゃだ。
それでも妻は美しかった。
そりゃあそうだ。かつてはノースガルド帝国が誇る大陸一と謳われた傾国の美姫なんだからな。
……懐かしい。異世界からやってきた邪神を撃退するためにこの世界に呼び出され、邪神やらなんやらとドンパチやってる間に友情やら愛情やらが芽生え、気が付いたら男女の仲になっていた。そういえば、告白したのはどっちからだったか? なんか酒の勢いでヤってしまった気もするが、その辺りがイマイチ思い出せない。
「あなた、お願い、私を置いていかないで!」
妻が枯木のような俺の手を両手で握り締め、涙で濡れた瞳で俺を見詰めている。深い空色の瞳だけはあの頃のお転婆姫のままだ。
……ああ、フィリア。お前はやっぱり最高の女だ。
「フィリア……愛しているぞ……」
どうにかそれだけ口に出来た。意識が急速に遠退いていくなか、皆の呼ぶ声が聞こえるが、残念ながらもう返事を返してやれない。
「ああっ……! 私も……私も愛しています! ずっと……貴方の事を……」
愛する妻の声が随分と遠く聞こえる。ああ、今生はこれで終わりだな。
天寿を全うするのは随分と久し振りな気がするが、今回ので何回目だっただろうか? 確か、エデンで二回、ヴェルザードで一回、ウェールスは今回ので二回目……いや、三回目だったか? ……ダメだ、思い出せん。そんな下らない事に思いを馳せている間にも意識は遠退き視界は暗く狭まっていく。
光も音も感じなくなり、あらゆる感覚が失われた頃、俺は無意味と知りながらも祈った。
願わくば、全ての記憶と能力を失い、平和な世界へと転生出来る事を……