#2 『奴隷の王』
『奴隷の闘技場』――昔は貴族が奴隷を殺し合わせ、日頃の鬱憤を他人の苦痛で晴らしていた場所だった。昔ってのはほんの五年前の秋の月、俺が十三の時までだ。ここは今や俺が運営する『遊技場』となった。
大古の伝承の剣闘士が戦っていた円形闘技場を模しているから形は丸い。客席の動員数は千二百ほど。
闘技場に入るとまず目に入るのは、二人の男の銅像だ。土台に名前の刻印をしてある。
一人は俺だ。なんてったってここのボスだ。そしてここ出身で唯一生きている奴隷剣士ってのもあり、俺がここを支配した際に作られた。
もう一人は、身体に無数の傷を刻み込んだ長髪髭面の男。刻印は「ルーザー」。
この人は、俺の恩人だ。俺に奴隷剣士として生きる術を叩き込んでくれた人だ。支配からの解放の際、俺はこの人の銅像も俺の隣に立てるように頼んだのだ。
銅像に敬礼をして、ここで今やっている『興行』のため、俺は部屋に帰って服を着替える。生地はいいんだろうが、良すぎる生地が寧ろ気持ち悪く感じる。制服を小汚いベッドにぶん投げて正装に着替える。
ブーツに黒布の煤けたズボンと黒鉄の胸当て、あり合わせの金属板の篭手と膝当て、魔獣の頭蓋骨のマスク、二対のドッグタグ――これこそが『奴隷の王』の正装であり、俺の普段着だ。
それと平刃の剣で俺は完全体に……って無い。俺の剣が無い。
「あっ……トイレに忘れてたやん……!」
帰りがけにエンドフィール魔法学園のトイレに置いたままだったことを思い出す。
「しゃーねーか……」
今日の興行は代用の剣で我慢しよう。壁に掛けてある刃を潰した剣を携えて、俺は部屋を出る。
俺の部屋ってのは、地下にある元奴隷収容部屋の一室でしかないが。間仕切りとか水道やらを取っ払えば昔の極貧時代の部屋に元通りだ。
部屋の外に出ると、待ってましたと猫耳褐色の女の子が抱き着いてきた。
「ふぅーぅ! 今日もいい筋肉しとるねぇ、カトレアー!」
「おっぷ……はいはい、分かった分かった。今日の興行はどうなってる?」
「万事オッケー! あとはカトレアの出番だけ!」
「おう、任しとけ。そして思春期男子の暴れん棒をとろんとした顔で撫でるんじゃないぞ」
彼女はシャウル――半獣人という珍しい種族であり、俺の代わりに『興行』を総括している。
〈風〉の魔法属性を持つうちの闘技場の看板戦闘者だ。黒猫ベースの獣人で褐色肌の元気っ子。人懐っこく、ここの看板アイドルでもある。
「えへへぇ……だってぇーカトレアが大好きなんだものー」
「だから俺もまともに相手しないんだよ。もっと一途になって出直しなさい」
ぴしりとデコピンをしてやって離れさす。名残惜しそうに突いた手をさすって、ぶつくさと文句を言いながら上階に駆け上がっていった。
シャウルも元は奴隷だった。魔力は保有していたが、獣人という種族的な問題から奴隷として捕まっていたそうだ。また人の性欲にダイレクトアタックをかけてくるほど好奇心旺盛で、奴隷になっても問題行為をよく働いたそうな。
そこを俺が元の持ち主ことここの領主から奪い取ったらこのザマだ。俺以外の男にも似たようなことをやっているから、可愛いけどどうにも本気になれない。
落とした剣を拾い、俺は戦闘者の入場ゲートに歩みを進める。
時折戦闘者が荒々しく肩を叩いたり、景気のいい声で俺を激励する。
「やっぱりこういう雰囲気は最高だな」
昔は檻にぶち込まれて鎖で繋がれて、剣を持った看守が何人もいて、さながら独房状態だった。
今ではそんなものもいないし、ルールを守ってさえいれば何でもやっていい。公然と猥褻行為をするのは堪忍だが。
さて、『興行』とは何かというと、一言で表すなら『武器・魔法アリのケンカ』だ。
剣の刃は潰さなくてもいいし、木製武器に釘を打ち込んだり有刺鉄線を巻きつけたりしてもいい。攻撃魔法を使うのもアリだ。ただし、過剰な攻撃や殺害は禁止だ……って言っても、大凡の脚本やどっちが勝つかは決まりきっているんだけどね。
流血や物々しい武器でのハードな殴り合い、華麗な武技を客に見せつけるのが俺たちの仕事ってことだ。
最後に俺が出て、客の中から挑戦者を募って軽く捻ったり、挑戦者がいなかったら本来のシナリオ通りに戦う。挑戦者はここしばらく出ていないがな。
そりゃあ、攻撃魔法しか使えない奴らが俺に挑んでも万に一つでも勝ち目が無い事は、ここの常連客ならみんな知ってるからな。
「レディースエーンドジェントルメーン! 今日の興行もとうとう最後となりましたー!」
出撃ゲート前で俺は剣を握りしめる。アナウンスをやっているのもシャウルだ。
「トリを飾るのは我らがボスこと『遊技場』の生ける伝説! 奴隷として五年の歳月をここで過ごし、一度たりとも敗れることが無かった無敗の剣士! 千を超える敵の屍を築き解き放たれた『奴隷の王』!」
あーあー、相変わらず仰々しい入場コールだこって。
常連客が飽きないように入場コールを毎度毎度変える所も、俺も聞いてて面白がってはいるが、むず痒くもあり苦くもある。
「刮目せよ! 衆悪を斬り、俗悪を断ち、邪悪を討ちしその剣を! ヴィクター・キングスレイブの入場だぁー!」
酔狂な熱狂が声の波となって、ゲート越しに伝わる。
勢いよく開け放たれたゲートを悠々と潜り、俺は剣を掲げた。
「よく来たな、俺達の『遊技場』へ! 本日最後のバトル、たーっぷり楽しんでいけよな!」
俺の決め台詞……っていうにはちと華がないが、観客は大いに興奮している。
対戦相手役は二メートルを超える縦横共に俺の三倍くらいデカい「クレム」だ。剃髪して顔面に火傷を負っており、子供が見たら泣き出すほどの強面をしている。その上、得物は鉄塊と見まごう鉄の棍棒だ。古代伝承の悪鬼かっての。
興行では、安全を確保しながらも、観客を楽しませる事が重要になっている。当然だがド派手な一撃や華麗な空中殺法が見ている方は楽しめるだろう?
だから見た目も攻撃も見栄えが良いクレムは、よくトリで戦っている。しかし当の本人は実は甘党の人見知りさんだったりする。ペットのウサギを非番の日は一日中愛でているような面白い奴だ。
「か、カトレア! あ、あんまり痛くすんなよ!?」
大観衆の熱狂に当てられて顔が引きつっているのか、凶悪犯も裸足で逃げ出すようなツラをしている。それで弱弱しいセリフを言うんだから憎めねぇ。
「安心しな。全力で打ち込んでこい!」
こうして、本日最後の『興行』が始まった。
客の喝采は俺だけでなく、クレムにも寄せられる。俺たちはしばし、血生臭いバトルフィールドで戦い合った。
「チェアァァァァァッッ!」
最後は全身全霊の胴一閃――ちょいと本気で打ち込み過ぎたのか、演技抜きでクレムがぶっ倒れてしまった。
すまねぇ――聴こえてないだろう詫びを一つ入れ、俺は剣で十字に空を斬り、腰に佩いた鞘に納める。
「勝者――ヴィクター・キングスレイブゥゥゥゥッ!」
勝利のコールに観客は立ち上がって咆哮染みた声援を発する。俺はそれに手を振って答える。
ぶっ倒れたクレムをタンカで運ばれている際も、惜しみない拍手が送られた。客との一体感がこういう所で出るから、皆もこういう不慮の事故を気にしないでくれる……わけじゃあない。後でクレムに土下座しなきゃな。
一通り熱狂が覚め、普段なら観客を帰しているところだが、今日は違う。
マイクを持ったシャウルが実況席から軽ーく飛び降りてきた。空中で美しく回転して着地するさまは、それだけで観客達の感嘆を誘う。
「普段ならここで終わりだけど、今日は最後にヴィクターからご報告がありまーす!」
マイクを俺に放り投げて、とっとと背を向けて去っていく。
俺が出てきたゲートに入っていく際に、振り返ってベーッと舌を出した。客用のスマイルではなく、不満げな表情で。
怒ってんなー……何故かはすぐに分かるだろう。
渡されたマイクに何回か声を通し、観客へと語りだす。
「あーあー、今日の興行は楽しんでもらえたかい? 実は……なんだ、来週からの興行、というか、俺はしばらく興行には出ることができないんだ」
観客から残念そうな声が漏れる。
別段俺は管理をしているワケじゃない。そこら辺は全部シャウルに任せてるし。
主催者ながらも野蛮な事をやってるんだが、愛されているのを再確認できたことを内心喜びながら、俺は本題を切り出した。
「俺は来週から【エンドフィール魔法学園】へと入学する。学園街の学生寮へ入寮するから、俺の興行参加はしばらくナシってことになる」
観客がどよめく。
俺の来歴を知っている奴なら、どれほど馬鹿なことを言っているのかよくわかるだろう。
「魔法が使えねぇ俺が魔法学園に入学して何をするって話だが、もう皆は分かってるだろ?」
だが、俺はこの目的を果たすために入学した。
バカみたいな入学金を有り金叩いて支払い、魔法以外の全ての教科を満点たたき出すほどに勉強して、魔法に身一つで立ち向かう術を身につけた。
「この魔法至上主義世界に真っ向から立ち向かってねじ伏せてやるのさ! 『奴隷の王』がこの剣一本で魔法学園の頂点に立つ――面白いとは思わねぇか?」
何のためにと問われれば、誰に対してもこう答える。
魔力の有り無しで生存権すらも奪われる世界なんざ、俺が根底からひっくり返してやるんだ。
と、問いかけていたらいつの間にやら観客は押し黙ってしまっていた。
当然信じてはいないだろうな。と、思っていたら驚くほどの歓声が返ってきた。
いいぞいいぞ、お前みたいなヤツを見たかった、頭でっかちをねじ伏せちまえ、と気持ちいいまでの声援をくれた。
「ま、今のところはただの夢物語だがな。私事ながら、しばらく俺はいなくなっちまう。が、興行はこれからも、今よりもド派手に楽しくやっていく! つーわけで、今後ともご贔屓に頼むぜ!」
剣を掲げると、大歓声が返ってきた――さあ、これで一通りの整理は済んだ。
進退窮まったとは思っちゃいないさ。
『虚の子』だった時も、奴隷時代も、俺の人生は進むだけだからな。
入ったゲートへと手を振りながら戻ると、そこにはシャウルがしゃがみこんでいた。
暗ーいオーラを発しながら、ふくれっ面で俺をジトっと見る。
「どしたよ」
「納得いかない。別に行かなくていいのに」
「ハハ、最近ようやく機嫌直したかと思ったら」
「フンっ! そりゃあカトレアには大義があるだろうし? 恩人への恩返しもあるだろうし? 私を差し置いても大事な問題でしょうしー!」
シャウルのいじけモードが発動している。
「そんなこと言うと、学園で可愛い彼女を何人もこさえちゃうぞー?」
「カトレアがそんな器用な甲斐性持ってないことなんて知ってますー!」
「痛いとこ突くなお前……」
冗談めかして宥める気だったが、想定外の反撃を喰らう。
「……好きな人が後ろ指さされるのに、笑顔で送り出す気持ち分かんないかなぁ?」
「ったく……心配し過ぎだっつの。俺がそんなもんでしょげるようなタマじゃないのは知ってんだろ!」
頭をチョップして耳をわしわしと撫でまわす。
不満をあらわにしながらも、気持ちよさそうに眼を細める。
「俺が生きてんのは、ルーザーが戦い方を教えてくれたから。そして、あのオッサンが死んだのは、魔力無しへの偏見だ。俺の恩返しは、偏見を変えるために世界に一石を投じることだと思うんだよ」
「それ、何回も聞いた」
「ああ。何回言っても意味が無いから言い続けるんだよ。言って変わるんなら、昔の俺みたいな子供がここに居なくても済むしな」
撫でるのを止めて手を取り、シャウルをおんぶする。
「もー! そういう所で子ども扱いするのがバカ!」
「おーバカさ。大バカさ」
「結局言い返せなかったら実力行使! 少しくらい言葉で言い負かしてみせろってのー!」
と言いつつも、俺の首に手を回して居心地よさそうに収まっている。全く、普段もこうだったら可愛らしいのに。
「半年に一回は帰省出来そうだから、そん時にはスペシャルファイトをしてやるよ」
「月一でもいいんだよ?」
「できればなー」
生返事を返して、シャウルを部屋前で下ろす。俺は一人で銅像前まで戻って来た。
銅像は話す事はない。ただの精巧な彫り物に過ぎないから。
それでも、俺の脳裏には蘇るものがある。過去のルーザーの教えが。
「『その剣は殺す為に在るのではない、守る為に在るのだ』――」
首に下げたドッグタグを、銅像に掲げる。
「決して忘れねぇぜ。俺を創り上げた『勇者』よ」
四枚のドッグタグの内、「ルーザー」と名前が刻まれたドッグタグを残して取り外し、銅像の首にかけ敬礼する。
「『奴隷の王』が証明してやるよ――アンタが叶えたかった未来の正しさを」
ドッグタグのもう一枚にはこう刻んである――「アルベール・エンドフィール」と。
今際の際に俺にだけ教えてくれた本当の名。
魔法学園の始祖たる『勇者』と同じ名。
魔法世界の基礎を創り上げた『魔力無し』と同じ名。
自分が創り上げた世界に取り殺された『悲劇の英雄』の名。
「さあ! 反逆の狼煙を上げようか!」
――と、オッサンの与太話を今でも信じる、馬鹿な俺は、周りの目も気にせず声高らかに言った。
『ヴィクター・キングスレイブ』と彫りこまれたドッグタグは、胸元で輝きを放っていた。
ご拝読ありがとうございました。
黒猫の獣人・シャウルの登場と『奴隷の王』ことカトレア君のお仕事です。