009 いろいろと…大人の事情と言うやつさ。
壁から解放された木偶人形は、もともと饒舌だったのか盛大に不平不満を口にした。その内容を要約するとイケメン勇者の登場により、自分のあるべきポジションを奪われたと訴えていた。残念な事に具体的な内容については、ペッコリーノの感情が昂り過ぎて、聞いてもよく解らないものだった。ただ、お互い勇者の事を快く思っていない、同志的な存在であるということは理解できた。
“同志として認めたくない同志、同志ペッコリーノ”
奇妙なフレーズが頭に浮かんだが全く面白くもない。加えてペッコリーノが友であるという考えに、自分自身の心がモーレツに拒絶反応を示すので、そのフレーズは心の底にソッと沈めておいた。
(…さらば迷言、もう会うこともないだろう…。)
「しかし…ペッコリーノ…ペッコリーノ…何度となく呼んでみると、意外に長くて呼び難い。ペッコリーノ…ペッコリー…ペッコ…いっそのこと簡略してペコにするか?短くて呼びやすいし。」
「ハッ!仰せのままに。」
漆黒の提案は簡単に受け入れられ、廊下を案内する木偶人形が仰々しく頭を下げる。素直であればあるほど気持ち悪い木偶人形なのだが、本人はその事に気づいていない。人は “出来の悪い子ほど可愛い”と言うがそんなことは無い。出来の悪い子は目の前にいるし可愛くもない。むしろ気持ち悪いカテゴリーに分類されていると思う。
漆黒は残念な生き物『ペコ』について考察を深め、すべての罪が彼に起因する訳ではないと慈愛の心で彼のことを眺めていた。他愛のない事を考えながら移動しているが、相変わらずペコ以外の誰にも会うことがない。本当に静かなものだった。
「木偶人形よ。お前以外の誰にも会わないが、他の召使いやメイドは何処にいるのだ。」
漆黒の問いかけに木偶人形が勢い良く反応する。妙に生き生きとした木偶人形の姿に、自分は不用意なパスをしたことに気付いた。彼女は猛烈に後悔をしたが後の祭りだ。苦虫を噛み潰すという言葉を体現し、げんなりとした気分で木偶人形に目を向けてみる。
(何故だろうか木偶人形が張り切ると、碌な事がない気がする。)
「姫様、それは勇者の奴が調子づいているからです。ここは一つ、奴を懲らしめて頂きたい。いま奴は少々天狗になっています。出来る事なら二度とこの地へ足を踏み入れぬように、ギッタンギッタンのケチョンケチョンに痛めつけて欲しいのです!(最悪の場合、死んでも可です。)」
何だか物騒な事を口走るペコ。勇者との確執は相当根深いものと思われる。正直に言えば、勇者への対応は他の誰かに押し付けたい。出来る事なら、このまま一生関わり合いになりたくないと考える漆黒であった。
暫く進むと一行は建物の中央にあるエントランスに到着した。そこはこれまで以上に贅沢な造りとなっており、天井から吊るされた巨大なシャンデリアは、目が眩む程の光りを放ち、空間を彩る装飾や絵画などは、圧倒的な威厳と風格を備えていた。
(これは…本当に王族のようだな。この巨大な空間が玄関ホールか。ちょっとしたコンサートホールではないか。)
エントランスは吹き抜けになっており、階下へ続く階段が設置されていた。その広大な空間の先に目を向ければ、重厚で荘厳な扉が設えてある。一行はペコの案内で一階へ降りると、使用人達が使う通路へと移動した。
(この通路は質素だな。実用性重視か。学校の廊下みたいだし。)
移動した先の廊下から喧騒が伝わってくる。中には聞き慣れた音もあり、その先に調理場があることが想像できた。既に、この位置からもいい匂いが漂っている。
(…そうか匂いだ…。)
ここへ来るまで仮想空間ではという疑念があったのだが、バーチャル空間で匂いの再現はされていない。つまり、ここはやはり現実世界なのだと改めて認識する。そして、先へと進むと予想通り目の前に巨大な調理場が現れた。大勢のコック達が大量の料理を作り、出来たものは温かい内に隣接する食堂に運ばれて行く。
(そう言えば、私はこの地に来て真面な食事を一度も取っていない。大丈夫なのだろうか?赤ん坊と言えば、一日に何度も小刻みに食事を与えるイメージがあるのだが。誰かに聞いてみたいがピリピリとした雰囲気で、とても話など聞ける状態ではない。まぁ、他にも人がいる事が確認出来たから、そのうち話もできるだろう。今はお腹も減っていないし。)
戦場のような調理場を眺めた後、そのまま奥へと進む。すると沢山の扉が並んだ区画に足を踏み入れた。中には扉が開いたまま作業途中で人が消えたような部屋もあり、それが異様な雰囲気を醸し出していた。
(ここもか…どうなっている?)
漆黒は疑問に思いながらも先導する木偶人形と共に、建物から洗濯場へ繋がる渡り廊下へ出た。そこから眺める先に大勢の人がいる。
(何だ?何をやっている?)
疑問に思いながらも近付いて様子を見れば、屋敷中の女性が大挙して押し寄せたように見える。洗い場を中心に女性達が何層にも取り巻き、巨大な人垣が形成されている。その場に居る女性達は、熱に浮かされた乙女のように、中心部分に熱い視線を送っている。
(何だ、これは。アイドルグループのコンサートか?)
しかし、女性達の視線の先にいる人物を見た漆黒は、その人物に心当たりがあり、尚かつ洗っているシーツの原因が自分自身である事を知っていた。そんな勇者はシーツを一心不乱に洗っている。周囲を取り囲む女性達は、勇者の一挙手一投足をLIVEで楽しんでいた。勿論、近くにいるご夫人に話しかけるなど論外だ。誰一人として話す者もなく静まり返った洗濯場は、女達の熱い眼差しと咽せ返る香水の匂いに包まれていた。
「……あの…ポジションは……私の……私のものだった……。」
悔しさを滲ませた木偶人形の台詞に、呆然としていた漆黒は我に帰った。いつの間にか漆黒の目の前に移動し、勇者を睨みつけていた木偶人形が振り返ったとき、漆黒は絶叫しそうになった。振り返った木偶人形が血の涙を流していたからだ。
(うゎ〜〜〜〜〜、引くゎ〜〜〜。凄い変な汗が出た。誰だ、こんな生き物を作った奴は!キモさがハンパ無いぞ。本当に勘弁して欲しい。お願いだからこっちを見るな〜〜〜〜〜。誰か、誰か助けて〜〜〜〜〜。)
期待を込めた視線でこちらを見る木偶人形に、正直ドン引きする漆黒だったが、この状況から何とか逃れたい一心で周囲に視線を向けた。すると、何故か既視感を覚える光景が目に飛び込んで来た。
(あれ?あれはローラン?……いや、違うか。)
漆黒の見詰める先には、腕組みをしたまま勇者の洗濯風景を睨みつける人物の姿があった。正確にはプレートアーマーと呼ばれる全身鎧を着ているのだが、その人物が醸し出すオーラに懐かしさに似たものを感じた。
その鎧の主は、全身から勇者に対して苦々しい思いをしていることが見て取れる。更に今にも叫び出しそうな雰囲気。その光景に懐かしさが込み上げる漆黒。こちらの視線に気付いたのか、漆黒を見たプレートアーマーが少し驚いた様子で静かに頭を下げた。
何だか良く解らないが“全身鎧に悪い奴はいない”という不思議なフレーズが頭に浮かんだが、今はどうでもいい。
(格好は変だが、アイツなら真面な話が出来るかもしれない。)
やっと話の聞けそうな人物に巡り会えた漆黒は、その鎧姿の人物に近付いて行く。しかし、ここで一つだけ大きな問題があった。それは漆黒の後に付き従う木偶人形の存在だった。
全身鎧の天寿は苦々しい思いで勇者の洗濯風景を眺めていた。気持ちの悪い木偶人形の姿を見掛けなくなったと思ったら、今度は勇者である。正直に言えば天寿は男性が苦手だった。話せば長くなるが、簡単に言えば彼女にも複雑な事情があったのだ。
近寄って来る漆黒に目を向けた天寿は、その後ろに付き従う木偶人形に目を見張る。
(何故、木偶人形が居る!!!)
余りの恐怖に体が硬直する天寿あった。