015 雀百まで踊り忘れず。
花園栞は、混乱していた。
人形達から将軍暗殺に失敗したことを教えられ、何らかの対策講じなければ自分が危ういと考えていたからだ。しかし、よくよく考えてみれば自分自身の置かれた状況も全く理解できていない。まずは自分自身の事から確認し、徐々に周囲の状況を把握していく事にした。
そこで人形達から詳しい話を聞くのだが、残念なことに話が全く噛み合わなかった。その原因は、主の中身がすり替わっていることに人形達が気づいていない点と、その事実を栞があえて説明しなかった事が原因だ。
人形達の報告も常識となる部分の説明は無く、結果について触れるだけで、栞は人形達の言っていることの半分も理解出来なかった。しかし、この状態にあっても栞は自分自身の置かれた状況を説明しようとはしなかった。何故なら迂闊な説明で、自分自身が更に危険な状態に置かれる事を避けたかったのと、何となく正直に話すと最悪の結果に繋がるように思えたからだった。
「つまりだ、ここは魔界でいいのだな。」
「……はい?…いま何と?……」
部屋中がざわめきに包まれる。人形達は口々に何かを話し始め、ある者は腫れものにでも触るかのようにオドオドしており、またある者は“余りの悔しさで遂に”などと口走る人形もいた。栞は蜂の巣をつついた感じとは、こんな感じではないかと冷静に眺めていたのだが。
(しかし、ちょっとマズかったか?説明を受けないと現状が理解出来ないし、記憶喪失の設定で情報を引き出すには若干無理があるように思える。しかし“棺桶の角に頭をぶつけた”と言えばコブでも出来ていないかと心配されそうだ。いっその事、忘れっぽくなったと言うか?……そうだな、『なんだか記憶が曖昧で、忘れっぽくなった。』これでいいか!…面倒くさいからそうしよう!)
ぶっちゃけ面倒になった栞は、お嬢様育ちにしては少々ガサツな……いや、豪快な性格であった。栞が『なんだか記憶が曖昧で、忘れっぽくなった。』と口にするや、更に人形達がざわめき口々に好き勝手な事を言い始めた。
「やはり、若く見えていても歳には適わない。」
「中身はお婆ちゃんだから〜。」
「ボケ老人か?」
「見た目は子供、中身はババア。」
「どうやら細胞レベルでの劣化が……。」
人形達の言葉が心に突き刺さる。精神を削るなどと生易しいものではなく、精神の崩壊を招こうとする口撃が続く。栞自身がと言うより、心の奥底にある怒りのマグマのようなものが、溜め込んだエネルギーを放出するように、自然に口から吐き出されていた。
「お〜い、お前達!その頭の毛糸玉を解いて一本の毛糸に戻すぞ!しかも、着てはもらえないセーターに編み上げてもらうぞ!……いや、そうではないな。セーターは完成させない。中途半端のまま終わりにする。青春のほろ苦い思い出とともに封印する事にしてしまうぞ!」
主のこの宣言に人形達が震え上がる。いつもと様子の違う主に、調子に乗っていた人形達は、いつもと全く変わらない主に、多大な絶望と小さな喜びを感じた。
「誰だ!別人だなんてぬかした奴は、いつもより酷いではないか。」
一体の人形が嘆きながら頭を抱える。それに続いて命乞いをする人形が現れ、他の人形達も同じように悪気がなかったと言い始めた。
(何が悪気は無かっただ!悪意しか感じられんぞ!全く、この人形達はどうなっている?主を思いやる気持ちは無いのか。とにかく、こうしてはいられない。将軍とやらの様子を見に行かねば。)
「誰か将軍のところへ案内を頼む。」
この言葉に今まで騒いでいた人形達が一斉に静まり返る。不審に思った栞が周囲を見回すと、人形達は目を合わせようとはしない。
(何で嫌がる?何か問題でもあるのか?)
「あの〜、主様。まだ、昼の最中ですので外出は危険です。以前も同じように無理に外出されて、大火傷をしたではないですか。悪い事は言いません。日が暮れるまで、今暫く、お待ち下さい。」
(……?……。日中、大火傷、棺桶、ゴスロリ……!!!……。まさか!私はヴァンパイアなのか?…あれ、でも吸血鬼は鏡に映らないのでは?)
栞は疑問に思いながらも、自分の口の中に立派な牙があることを確認した。ついでに先程の鏡騒ぎで用意された手鏡で、自分の牙を確認したが、美しく変身した自分の顔に見入ってしまいニヤニヤが止まらない。
(これはヴァンパイアで間違いないな。それにしても美しいぞ自分!)
「アッハッハッハッハ!勝ち組だ!私は勝ち組なのだぁーーー!」
豪快に叫び出した主に、人形達が慌てふためく。真昼の外出は困難であるとの指摘に、ガチ切れしたと思い込んだ人形達は自分に怒りの矛先が向かわないように願うだけであった。しかし、ひとしきり豪快に笑い続けていた栞だが、ある事を思い出し突然静かになってしまう。
(ちょっと待てよ。ヴァンパイアと言えば、つまり、血を吸う訳だよね、男の吸血鬼の場合は処女の生き血を吸うのだが。じゃ〜ぁ、女の吸血鬼の場合は、どうなるのだ?……やはり、逆なのか。つまり……。)
「どどどどどど童貞の生き血なのか?いやいやいやいや待て待て待て待て待て、そんな話聞いたことがないぞ。大体、可愛らしい男の子や見目麗しい男の子ならいいかもしれないが、三十過ぎまで童貞を貫き魔法使いを目指している者などの血は……ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!そんな意味不明に熟成された血液など絶対に飲まんぞ!!!誰だ!!!私をこんな状態に追い込んだ奴は!!!今直ぐ出てこい!!!」
意味不明な呪詛をまき散らし絶叫する主。その光景に人形達は今度こそ正真正銘の最後なのだと覚悟する。多くの人形達が、この部屋から避難することを考えていたとき、一体の勇気ある人形が主の前に歩み出た。
「主様!爺や様にご相談しては如何ですか。」
(……爺や様?……もしかして、同族なのか?……。)
それは晴天の霹靂とでも表現すればよいのか、まさに雷に打たれたような衝撃を感じた。
(そうか、同族が居るのだな!つまり仲間から聞き出せば良いのだな。しかも、爺やと言う事は年配のお爺さんだ。孫に甘いお爺さんなら、この容姿だ。イチコロだろう!)
「フッフッフッフッ!ワァ〜ハッハッハ!何だぁ〜いろいろと考え過ぎて損をしてしまった。仲間に聞けばいいだけではないか。案ずるより何とかだ。」
(え〜っと、取り敢えずどうすればいいのだ?爺やを呼びに行かせればいいのか?しかし、以前会っていれば中身が別人であると気づかれる可能性もある?いや、同じ一族の場合だと確実にバレる可能性の方が高いな。迂闊に会うのは危険かもしれない?どうする、情報は欲しいが…
『お問合せの方は、現在、魔力OFFモードか活動停止状態のため繋がりません。お問合せの方は、現在、魔力OFFモードか活動停止状態のため……。』
……えぇ、何だ?……。)
「繋がらない?」
栞の口から漏れ出した言葉。それを聞いた人形が答える。
「あっ!……爺や様は会議中かもしれません。」
「会議?」
「えっ!あ〜その〜、爺や様は積極的に活動をされておりまして、役員として責任ある地位にいらっしゃいます。そのため現在は連絡がつかない可能性があります。私が呼んで参りますので暫しお待ち下さい。」
「そっ、そうなの?ではお願いしようかしら。」
なんだか非常に焦っている人形が、こちらの話が終わる前に大急ぎで部屋から駆け出して行く。そんな光景を見て溜息を漏らす栞。
(何だか凄く不安だ。もし、中身が違うとバレた場合はどうなるのだろうか?問答無用で殺されたりするのか?やっぱり太陽光線で丸焦げに……。)
「うわ〜考えただけでゾッする『何がゾッとする?』……!!!……。」
栞は驚いて飛び上がりそうになるが、余りにも驚き過ぎて体が硬直していた。恐る恐る振り返ると鋭い目をした執事風の老人が立っている。
(この人が爺や様か?確かに隙がなく、何の前触れも無く現れたが、そこまで強そうではないな。)
じっと観察する栞に対し、爺やは優しく温かい眼差しで栞の顔を見詰めていた。そして、その視線がゆっくりと下へ移動したとき、不意に瞳の輝きは失われ、まるで生きる気力を失った操り人形のような眼差しに変化していた。
爺やの視線を追って、栞の視線もまた自分の胸に移動した。その瞬間、栞は強く握りしめ拳で爺やのテンプルに重い一撃を加えていた。錐揉み状に回転し壁に突き刺さる爺や。その軌道に沿ってまき散らされた血で、部屋が赤く染まる。
「踊っていろ!!!このエロ爺が!!!」
しかし、何事も無かったように爺やが壁から這い出し、洋服についた埃を払っている。しかも、よく見れば傷一つなく、次の瞬間には空間を滑るように移動して来た。
「何だ、相変わらずの性格と胸じゃのぅ〜。」
そう言う爺やは、まるで可哀想な生き物を見る目で栞を見ていた。もはや言葉を発する事の無い栞は、右拳を下からすくい上げる形で振り上げた。勿論、爺やの顎を目がけてである。当然だが拳が当たった瞬間に手首を回転させ、コークスクリューで破壊力を上乗せする事も忘れていない。
豪快に回転しながら天井に突き刺さる爺や。ツーフロアー吹き抜けの天井は、高さにして六メートル近くあるが、その天井に体半分がねじ込まれていた。
この一件以来、姫ヴァンパイアの前で胸の話をすることは禁忌とされ、知らず知らずの内に口を滑らせた愚か者は、想像を絶する恐怖と、魔界一と噂された最強右フックの洗礼を受けるのだった。
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