001 プロローグ[前編]
昼休みの教室。
賑やかな会話と女子生徒達の笑顔。
ここは都内にある某女子高。
今日も女子生徒達の笑顔が、
咲き誇る花のように美しく輝いていた。
そんな教室の片隅で華やかさとは無縁の娘が一人。
他の女子生徒達を不愉快そう眺めている。
その娘は瞳を庇うように掌で庇を作ると、
目を細めて吐き捨てるように毒づいた。
「眩しい。若さがこれほどまでに眩しいとは…資源に乏しいこの国の為に、彼女らの無駄にキラキラしたエネルギーを、誰か有効活用する方法を思い付かないだろうか。更に言えば、奴らをエネルギー源として永遠にそのエネルギー循環の渦中に閉じ込めて置く事はできないのか!」
こうして彼女らを見ていると、強い光源を目にした時と同様に、網膜に黒い影が残る。忌々しい事に、その影は中々消えてくれない。
「うぅ目が痛い。眼球の奥底が焼かれるようだ。…なぜだ!同じ女子高生でありながら、何故に私は理不尽に攻撃されている!納得できん!」
無意識のうちに言葉が漏れる。その声を聞きつけた少女が、横から意見してくる。
「いけません、お嬢様。もっと吐き捨てるように仰らないと。さぁ、私とご一緒に“くたばれ愚民ども〜”。リピート アフター ミー“くたばれ愚民ども〜”。ハイ。」
「違う!納得できんと言ったのだ!何を聞いている!」
「…あぁ♡♡♡♡漆黒お嬢様!今のキレた感じ! and激しい罵倒は最高でしたわ!…あぁ♡♡♡♡もっとギブミーです。」
乱れた呼吸と紅潮した顔でやたらと迫ってくる少女は坂崎伊音という。洒落た名前だ。この伊音という少女は、誰が見ても驚く程の超絶美少女だが、そんな彼女は何故か私に付きまとい離れようとしない。
そんな超絶美少女の横で、目を押さえ呪詛の如き言葉を発していたのが私、漆黒天使だ。ちなみにユーザー名やペンネームでは無く本名なのだ。この名前を付けたのが、今は亡き祖母だと聞いている。ご丁寧に、遺言状に名前が記載されていたらしい。
(全く、余計な事をしてくれた。何を考えて名前を付けたのか見当も付かない。)
「漆黒お嬢様。本日こそ、よろしいでしょうか?」
漆黒がこの女子校に入学した当時は、それはそれは静かなものだった。ほぼ、無風といえる状態。そして、無音。分かりやすく言えば、誰もいない宇宙空間にポツリといる感じだ。私はそれを十六年間続けてきた。継続は力なりというが、地道に成果を積み重ねた私は、十七年目も約束されたボッチを謳歌する予定でいた。しかし、学年が上がった高校二年の春、坂崎伊音が転校して来て周囲の状況が一変した。
「漆黒お嬢様。本当に本日こそはお願い致します。」
「えぇ〜。今日はちょっと用事が。」
「はい〜グダグダ言わない。これは決定事項ですから。変更、修正はございません。本日は私も引く訳には参りません。今日こそは、お願い致します。」
正直、超絶美少女のこれほどまでの懇願に漆黒は困惑していた。何故、よりにもよって自分なのかと。こう言っては何だが、私は筋金入りのボッチだ。子供の頃から、当たり前のようにボッチを謳歌して来た。家族ですら私の存在を空気と同等に見なしている。説明が難しいのだが、ワザと無視しているとか、仲間はずれにしているのではなく、その存在を認識しにくいと言えばいいのだろうか。つまり、誰からも干渉を受ける事無く十六年間を過ごして来た。
だから不思議だった。転校初日に隣に座った坂崎伊音は、私を見るなり『何とお呼びすればよろしいですか。』そう言って来たのだ。私は、このあり得ない現象に驚愕し『何故、私が見える。』と真顔で変な言葉を口走っていた。いま思い出しても、恥ずかしさで赤面してしまう。この邂逅以来、常に私に話しかけ世話を焼こうとする。そんな坂崎伊音は私にとって未知の生物であり、理解不能な存在だった。
「伊音さぁ〜、何で私なの。私以外、いっぱい居るよね。」
「伊音ではなく、婆やとお呼び下さい。」
「いやぁ〜、いつも言われるけど意味が分んねぇ。私が言いたいのは、どうして私なのかと。」
私の問い掛けに、伊音は両眼を見開き驚きの表情になる。そして、目を伏せると哀しげな表情へと変化し、声のトーンを落として語り始めた。
「私の目に狂いは無いのです。漆黒お嬢様は魔女の血統を受け継がれています。さらに魔王候補であらせられる。つまり、パーフェクト!この私が、お使えするに相応しい方なのです。」
まるで自分に言い聞かせるように語られる言葉。その内容に漆黒は衝撃を受ける。以前から伊音の言動に、もしやとは思っていたが、やはりというか残念な気持ちで一杯になる。
(こいつも私と同じ“ボッチこじらせ症候群=切なき生き物”かと。いやいや、私よりも症状は重い。重症だ!もはや手の施しようのない危険な水準だ。自分自身もボッチという状況に置かれ、彼女の心の荒廃……もとい、心の救いに理解を示してやりたいが……)
普段の言動からうすうす感じていた “くたばれ愚民共め”という軽蔑した発言は本気だったのだと。ただ、人には人それぞれの生き方があり、漆黒はそれを否定することはせず、基本的に尊重し受け入れるスタンスで生きている。
「魔女で魔王ねぇ〜。でもさぁ〜、魔王ならアイツじゃねぇ。」
漆黒はそう言うなり、窓辺で外を睨みつけている体格の良い女へ顎をしゃくる。その女は教室の窓際で太い腕を組み、外のようすを仁王立ちで監視していた。漆黒の中では彼女のことをローランと呼んでいる。ローランドゴリラから頂いた由緒正しき名前だ。本名は興味が無いので覚えていない。
当の本人であるローランは、眉間には縦皺を浮かべ険しい表情で一点を睨んでいる。そして、何を思ったのかローランはおもむろに窓を開けると外に向かって怒鳴始めた。
「そこのカップル!手なんか繋いで見せ付けてんじゃねぇよ!
他所でやれ他所で!」
怒りの籠った眼と強烈な罵声に、女子校の前を仲良く歩いていたカップルは逃げるように走り去る。後にはウホウホと満足したような笑い声が響く。昼食中の教室は一瞬で静まり返り、喧騒とは無縁の静寂の世界が拡がる。
(さすがローラン。この教室が一瞬で南極大陸のようだ。実に素晴らしい!)
他の女子高生達が一瞬でフリーズするなか漆黒の顔は嬉しそうに綻ぶ、そしてローラン監視員に心の中で賞賛を送る。“今日もお勤め、ご苦労様です!”と。
沈黙の世界はしばらく辺りを支配しているが、少しすると雑然とした雰囲気がソロリソロリと戻ってくる。気が付けば、再び賑やかな教室に戻るのも、いつもの光景であった。
そんな状況を一通り観察し、漆黒は伊音の顔を見る。その顔は“どうだ”と言わんばかりだ。しかし、伊音の意見は些か違っていた。
「いえいえ、あれは魔王などではありません。ただの下っ端ヒャッハーです。」
そう言うなり伊音は間違いないと頷いて見せる。漆黒は、飲んでいた牛乳を吹き出しそうになるが、太ももを思い切りツネリ必死に耐えた。
(いててぇ〜、今のはヤバい。チョ〜危なかった。マジで牛乳噴射するところだったぞ。全く油断も隙もない。)
漆黒は、伊音の言動を思い出しただけで大爆笑してしまいそうだった。思い出すだけでヤバいと感じた漆黒は、意識を別に向ける為に、涙目になりつつも新たなターゲットに向けて顎をしゃくる。
「じゃ、アイツはどうよ。」
教室の後ろに陣取る黒っぽい女。長い黒髪と青白いのっぺりとした顔。さらに目の下に痣のような隈がある。その女はゾンビやグールといった闇に生きる死者の一族を連想させた。当然だが彼女にも闇子と、勝手に名前を付けて呼んでいた。
「あれは、二月病です。」
伊音がキッパリと言い切る。
(二月病って何だ?新しいワードか?聞いたことが無いが。二月に関係があるのか?二月だから……恵方巻き?…いや、違うな。後は……バレンタインか?…いや、これも違うだろう。……節分か!これか!…つまり、鬼だと言うのか!…まさか、そんな…でも、陰陽師は知っているぞ。確か人を呪った女が生成りになって…)
「あっ!間違えました中二病でした。」
「ブッフォォォォォ。」
(コイツ!牛乳、噴いたじゃないか!しかも全然違うじゃないか!なに新しい五月病みたいな言い方をして……中二病って。意味分らんぞ!)
伊音が慌ててハンカチで漆黒の体を拭く。チェック柄のスカートに吹き出した牛乳が飛び散ってしまった。伊音はいつも、こんな調子で話しかけてくる。話の合間にネタを仕込んで来るので油断はできない。海外で生まれ育った帰国子女らしく時々意味不明な事を言う。言葉使いも妙に古くさい言い回しを使ったり、知らない言葉が飛び出したりで油断ができない。
(それにしても今日か。今日は沖縄かカリブのどちらかにするつもりだったのだが。まぁ、いいか。これまで散々断わっているし、一回行けば暫くは断わる理由にもできるか。)
漆黒は伊音から頻りに家に遊びに来るよう誘われていたが、その度、用事があると言って断わっていたのだ。毎日のように誘われるので、適当に返事をしていたら日付を設定されてしまった。
それが今日だったのだ。
しかし、漆黒天使はまだ知らない。
今日が運命の日である事を…。