過去
お昼の時のように、前を歩く彼の後を付いて行った。
会社の駐車場に来るのは初めてだった。
だだっ広い駐車場にはもう
冬木さんの車しか駐車されていなかった。
彼は鍵を開けると当たり前のように、
助手席のドアを開け、私を車に乗せてくれた。
“いつもしてるんだろうな”
そう思うほど、ドアを閉めるまでの手際が良かった。
ふと、胸が高鳴っている自分に気づき驚いた。
どこに行くのかもわからぬまま、私は過ぎ去る景色を見て座っていた。
この街は、本当に眠らない。
立ち並ぶオフィスビルでは、もうすぐ日付が変わると言うのに、
まだ明るい部屋が無数にある。
さっきまで、その一つに私もいたのかと思うと、胸焼けがした。
「明日、仕事休んじゃおうか・・。」
車を運転する彼は
そんなことをぼそりと言った。
「え?」
そんなこと冬木さんも言うんだ・・と驚きながら
「冬木さんがいなかったら、女子社員悲しみますよ。」
そう言うと、彼はクスクスと笑いながら
「そんなことないよ。きっと喜ぶさ。
上司なんていない方が楽しいだろう?」
「いいえ。冬木さんは自分の魅力をわかってませんねえ。」
少し冗談っぽくそう言うと、
「ふーん。それじゃ、僕も言わさせてもらうけど
麗。君は自分の魅力に全く気づいてないな。」
いきなりの呼び捨てに、ドキッとしながらも
その言葉に落胆した。
冬木さんは、私のことを本当に何も知らない。
私の何を知ってそんなことを口走っているの?
あなたは、私のことを知ったら失望する。
違うの・・違う違う!!
とても悲しかった。
私は、冬木さんが思っているような人間じゃないんだ。
『本当に何をやらせてもダメだね、お前は。』
母はいつもそう言って、私の頰をつねった。
私はいつだって母に
褒めて欲しかった。
認めて欲しかった。
だから、なんだって言うことを聞いた。
わがままは言わないようにした。
だけど、そんな私を母は愛してはくれなかった。
なんでも器用にこなす2つ上の姉は、母のお気に入り。
母の口癖は『あなた一人だけにしておけばよかったわ。』だった。
そう。いつだって私は、一人ぼっちだった。
お母さん・・その姿をいつも探していた。
私は一体、誰の子なんだろう。
生まれてこなきゃよかったんだ。
何度そう思っただろう。
自分を責めて、自分が憎くて、
誰よりも劣っているから・・
だから、母は私を愛してくれないんだ・・。そう常に感じていた。
好きなものを買ってもらえる姉とは裏腹に
私は、姉のおさがりを着て
姉の使い古したおもちゃで遊んでいた。
私には好き嫌いを言う権利などなかった。
新しいものなど買い与えてはくれなかった。
両親は、私が小学校1年生の時に離婚した。
大好きだった父と、会えなくなった。
唯一、味方でいてくれた父。
仕事で忙しく中々一緒にいられなかったけれど、とても優しい父だった。
母に怒られ、外で立たされていると仕事から帰って来た父が
いつも抱きしめてくれた。
『パパはいつだって麗の味方だよ?』
抱きしめられて香る甘い父の匂いが、大好きだった。
優しく頭を撫でてくれるのは、父だけだった。
だけど母は、父に懐く私を一層毛嫌いした。
父を憎み、私のことも憎んだ。
家を出る数ヶ月前から、母は酒に溺れ
私に暴力を振るうようになっていた。
でも、抵抗しなかった。
私は出来の悪い子だから。
生まれてこなきゃ良かった子だから。
私がいけないから。
そう思って、耐えた・・。
父が帰って来るまでの時間、毎日耐えたんだ。
でもあの頃、幼かったから何も知らなかっただけだった。
知ってしまった。
父には母とは別に女がいたことを。
父は・・
仕事が忙しくて帰りが遅かったわけではなかった。
その女のところにいたからだった。
そう全てを知った時
落胆し、失望した。
父は、私のスーパーマンではなかった。
私が、どんなに母から除け者にされていても
真冬の外に、裸足で立たされていても
そして、暴力を振るわれていても
早く家に帰って来ようとはしなかった。
全て知っていたのに。
私でも、母でもなく、
知らない女を優先していた。
大好きだった父は、幼い頃の幻想でしかなかった。
大好きだった甘い香りは、その女の匂いだった。
その香りを、父は落としもせず家に帰って来ていた。
そして、私を抱きしめていた。
私の味方だと・・そう嘘をついた。
汚らわしい。
率直にそう思った。
そして・・私には何もなくなった。
私の心の拠り所だったスーパーマンの父は
いとも簡単に砕け散った。
私は一人。
人はどうせ裏切る
どうせ愛してなどくれない
だったら、誰も信用しない。
誰にも頼らない。
この先も一人で生きていく。
家族なんて、そんなものはない。
そんなものは作らない。
あの日、そう心に決めた。
気づいたら、涙が止まらなくなっていた。
様子がおかしい私に気づいた冬木さんは、
「少し話そうか。」
そう言って、パーキングに車を止めた。




