CASE2:初見夏希 その2
ちょっとしたハプニングこそあったものの、その後は何事もなく時間が過ぎていき、やがて放課後を迎える。
静也は例によって例のごとく美名子をストーキングしていた。
今、美名子は生徒指導室にいる。悩みを抱えた生徒を待ち受けているのだ。
静也は物陰に隠れて生徒指導室前の様子を窺う。しばらくすると、とある女子生徒が姿を現した。生徒指導室に入っていく。
(なるほど、アイツか……)
相談者は静也のよく知った人物だった。相談の内容にも察しがつく。
静也は一週間前と同じく壁に張りつき、指導室の窓を少し開けて中の様子を探る。
美名子が相談者と机を挟んで向かい合っていた。
「驚いたな。まさかクラスメイトが相談にやってくるとは……別に水曜日でなくとも、ここまで足を運ばずとも、私はいつでも相談に乗ったぞ?」
「アハハ、クラスの皆には聞かれたくない話だからさ。それにウチ、宮本さんとあんま絡んだ事ないし……腰を据えて話せる機会を待ってたワケ」
「そうか。では初見、話を聞かせてもらおう」
相談者、夏希が口を開く、
「――と、その前に……曲者が、いるなッ!」
寸前、美名子が立ち上がりざま駆け出した。廊下側の窓にまっすぐ近づき、勢いよく開け放つ。
室内をコソコソと窺う静也の姿が衆目に晒された。
「――っ!?」
予想外の事態に、静也は彫像のように身を強張らせる。
夏希が大きく目を剥いた。
「シズヤ!?」
美名子が静也を険しい顔で見据える。
「盗み聞きは感心しないと、先週も言ったはずだ……私を付け回してなにを企んでいる?」
「さっきといい、今といい……アンタ、マジでストーカー!? しかも宮本さんにも!?」
「なに……聞き捨てならんぞ! 君は初見にも付き纏っているのか!?」
静也はまたたく間に生徒指導室へと連れ込まれ、女子二人から厳しい追及を受ける。鋭い視線の集中砲火を浴び、まるで針のむしろに座らされたような気分だった。
なんとか話をそらそうと、苦し紛れに問いを投げる。
「テメー、どうしてオレがいるとわかった!?」
「君は最近よく私を尾行していただろう? おかげで私にも君の気配がわかるようになってきたのだ」
静也は肝を冷やした。
「け、気配だァ……? マンガみたいなコト言ってんじゃねーよ!」
「事実だから仕方あるまい。武を嗜んでいると、自然と人の気配を感じ取れるようになるのだ。こればかりは体感してみねば納得できないだろうが……君が望むなら手解きしよう」
「テメーに物を教わるなんざ、ゴメンだね。それと、念の為に明言しておくが……オレは初見のストーカーになった覚えは断じてねーぞ」
夏希が据わった目を静也に向ける。
「ふーん……宮本さんへのストーカー容疑は否認しないんだ?」
「い、いや……それ、は……」
「仮に、アンタがストーカーかどうかという問題を脇に置くとして……宮本さんとずいぶん仲いいみたいじゃん。好きなの? ……もしかして付き合ってる?」
夏希が静也へ上目遣いに尋ねた。その目が不安に揺れているように見えるのは錯覚か。
美名子と仲がいいと思われるなど、誠に遺憾である。静也は夏希を睨み据える。
「どこをどう見たら、そういう結論に達するんだよ! テメーの目は節穴か?」
夏希が上まぶたを安堵したように弛ませる。
「へ、へえ……そう、なんだ。付き合って、ないんだ……考えてみれば、アンタみたいなヤツに彼女ができる訳ないか♪」
やけに声を弾ませていた。
「ほっとけや」
「ふふ……そういうトコは昔と変わってないね」
気になる単語を耳にしたらしく、美名子が夏希に問いかける。
「昔? どういう事だ?」
「実はウチら、幼馴染なのよ」
「ほう……それにしては、君達が親しげにしているところを見た事がないぞ」
「それがさ、聞いてよ! このウザ也君はある時からウチの事を避けるようになったんだよね。理由を聞いても答えないし……根暗ボッチのくせに」
「うるせーな。オレの事はどうでもいいだろ――それより、だ。初見、オマエの相談は安富について、でいいな?」
「……そう。あんなトコ見られたら、誤魔化せないか。さっきは言いそびれたけど、一応礼を言っとく……ありがと。アンタのおかげでお茶を濁せた――って、やっぱ撤回! そもそも、アンタ最初は黙って立ち去ろうとしてたよね!?」
「当たり前だろーが。しょせんは他人事だ」
「アンタねえ――! それがピンチの幼馴染に対する態度!?」
静也は突っかかってくる夏希を冷たくあしらう。ひどく懐かしい感じがした。
美名子がおそるおそる会話に割って入る。
「すまないが、話が見えん。私を置いてけぼりにして、先に進めないでほしい」
「あ、ゴメン! 一から説明する」
夏希が相談内容を打ち明けていく。要は、周囲の外堀を埋められた上で安富に交際を迫られているというだけのつまらない話。
「正直、参ってるんだよね。今後の人間関係にも響くし、できれば角が立たないようにお断りしたいワケよ」
頬に手を当て、ため息を漏らした。苦り切った表情をしている。
「リア充ってのは面倒なしがらみが多いモンだ。大変だろーとは思うぜ」
静也は呑気な声音で呟いた。
夏希が意外そうな顔で静也を見た。
「意外……アンタの事だから、てっきり『八方美人してやがるから、そんな目に遭うんだ。ザマーミロ! 自業自得だ!』とか言い出すかもと思ってたのに」
「テメー、人をどんな目で見てやがんだ……オレはリア充を僻んだり妬んだりしねーよ。対人関係を磨き上げたからこそ、リア充はリア充と呼ばれる。つまり自分自身を鍛えた結果、一種の強さを手に入れたヤツらって事だ。蔑む理由はない――もっとも、オレは真似しようと思わんが」
美名子が静也に目を向けて深く頷いている。
「その潔さは名和の美徳だな――っと、イカン。今は初見の問題について話すべきだ。こうなると名和にも同席してもらって正解だったかもしれん。なにせ私は色恋に疎いのでね」
「えー、意外! 宮本さん、モテそう――ってか、実際にモテてんじゃん。男女を問わず大勢の人間に告られてるみたいだし」
「確かに、過分な評価をいただく事があるのは事実だ。彼らの気持ちは嬉しい。だが私は修行中の身ゆえ、色恋に時間を割く余裕がないのだ」
美名子がとにかく、と前置きして話を本題に戻す。
「名和、君の意見を聞かせてほしい」
静也は美名子と視線を交わす。こちらを射抜くような澄んだ瞳に心が波立った。
磯の時と異なり、今回は美名子の方から策の提示を求めてきた。
これはいい傾向ではないだろうか。相反する思想の持ち主たる静也の意見を受け入れようとしている――それは美名子の思想が揺らいでいる証拠のはず。
しかし、なぜか美名子が心を乱した様子はない。真逆の変化も歓迎しているというのか。
いい加減、認めざるを得ないのかもしれない。美名子の化けの皮を剥ぐ――そんな名目で付き纏ってきたが、美名子に裏表などないと。
そして、その先をも期待してしまっている。静也と向き合った末にどんな結論を出すのか、今後も美名子から目を離せそうにない。
「オレに一つ考えがある」
美名子が静也に期待に満ちた視線を注ぐ。
「さすがだな」
夏希が胡乱げな目で静也を見やる。
「アンタみたいなボッチにこのデリケートな問題を解決できるとは思えないんだけど? ……まあ、話だけは聞いたげる」
「相談してる側のくせに偉そうにすんじゃねーよ。俺の策の成否はテメー自身にかかってんだぞ?」
「ウチになにさせるつもり?」
「要は、自分の方から断ると角が立つなら、相手の方から断らせればいい」
「でも、どうやって?」
静也は回答を促してくる夏希に対し意地の悪い笑みを浮かべた。
「なあ、初見……男にドン引きされる覚悟はあるか?」
■ ■ ■
日曜のお昼時。ごった返す駅前の広場に安富公徳が立っていた。今日の為に気合を入れてめかし込んできたらしく、攻撃的な服装をしている。ガイアにもっと輝けと言われてそうなカンジだ。
大分待たされているせいか、苛立たしげに顔を歪めていた。
初見夏希は安富の姿を窺って冷や汗をかいた。広場隅の物陰に身を隠している。
「ホラ、さっさと行け」
そばにいる静也が夏希に顎をしゃくった。
夏希は静也を横目で睨む。
「こんなカッコで人前に出るの、恥ずいんだけど!?」
「ガタガタ言うんじゃねー。オマエも納得済みの話だろーが」
静也がにべもなく切り捨てた。
「健闘を祈る! 安心してくれ……なにかあれば、いつでも私達が駆けつける!」
同じくそばにいる美名子が夏希の肩を叩いて激励する。
腹を括るしかない。夏希はため息を一つ、広場に躍り出た。安富に近寄っていく。被害妄想かもしれないが、道行く人々が自分の格好を見て、クスクスと笑っている気がした。
安富が夏希に気付いて手を上げる。
「お、夏希! 待ってた――」
夏希の姿を捉えた瞬間、言葉に詰まっていた。
夏希はひどい身なりだった。ダサダサのジャージ上下を身につけ、オバちゃん御用達の外用サンダルを履いている。ロクに整えていない髪はボサボサで、スッピンを晒していた。
安富が戸惑いながら夏希に問いを投げる。
「ど、どうした……なにか、あったのか?」
夏希はそこに二つの疑問が込められている事を察した。一つは「その千年の恋も冷めるような格好はどういうつもりだ?」という意図。もう一つは「待ち合わせの時間に盛大に遅れてきたのはなぜだ?」という意図。
わざと気付いてないフリをしながら不思議そうに安富を見上げる。
「別に。そっちこそ、どうかした?」
「いや……なんでもない」
安富がアッサリと引き下がる。せっかくのチャンスを台無しにしたくないのだろう。
「来てくれて嬉しいぜ! 俺の想いがようやく通じたんだな……」
感慨深げに呟いた。
本日、夏希は安富とのデートに臨んでいる。これまで再三、誘われていたのだが、遂に応じたのだ。試しにデートしてみて、付き合うかどうかを決めると事前に告げて。もちろん、静也の作戦の一環である。
「見てろよ……今日で俺に惚れさせてみせるぜ!」
安富が勢い込んで言った。
夏希は愛想笑いを浮かべる。
「とりあえずメシでも行くか!」
安富の言葉をキッカケに二人は動き出した。近場のカフェテラスに入店する。席に着いて雑談に興じ始めた。
「この前、友達とカラオケに行ったんだけどさあ……通された部屋の壁が薄くて隣の歌がガンガン聞こえてきたワケ。おかげでこっちは歌うどころじゃなくなって……すぐに部屋を変えてもらったよ!」
安富が夏希の話を聞いて、しきりに頷いている。
「災難だったな! たまにあるんだよなあ、ひどい店が。そういえば、俺も――」
今度は自分から話題を振ってきた。
夏希はそれを軽くスルーする。
「あ、そうなんだ……それより聞いてよ。一昨日の体育の授業で――」
代わりに、自分の事ばかり話した。とりとめもない話題と愚痴を一方的にまくしたてる。
当然、安富がつまらなそうに笑っていた。それでも健気に夏希とコミュニケーションを取ろうとする。
「――ちょっと待って。ゴメン、友達からメール来た」
夏希はそれを手で制した。安富を放置してスマホを弄り始める。
メールは静也からだった。
『その調子でドンドン自己中に振る舞え。そこの大猿はオマエに幻想を抱いてる。それを粉々に打ち砕け。夢から醒めれば、ヤツの方からオマエを振ってくるだろーぜ』
打った本人の憎たらしい顔が目に浮かぶような文面である。夏希はしかめ面でメールを返信した。
『その言い方だと、ウチに女としての魅力がないみたいじゃん!』
すぐに静也からメールが届く。
『みたい、は要らん』
「――ッ!」
相変わらず失礼な奴だ。夏希は砕かんばかりに歯噛みする。
対面の安富がすっかり手持無沙汰になっていた。
今頃、静也と美名子は店内のどこかで夏希達を監視しているに違いない。デート中の指示をメールで送ってくる手筈になっていた。
食事を済ませ、夏希と安富は立ち上がる。
「ここは俺に出させてくれ!」
安富が夏希に先んじてレジに近づいた。
こういう時、当然のように奢られる女になってはいけない。せめて、お金を出そうとする態度くらい示すべきだ。相手の好意を安く見る女は最低だと、夏希は常々思っている。
「よろしくー」
だからこそ、そういう女を演じた。安富を待たず、スタスタと外に出る。
残された安富が呆気にとられていた。