CASE2:初見夏希 その1
それは静也が難儀な体質になる前のこと。
当時、小学四年生だった静也は近所の公園に隣接する森の中を進んでいた。
「ああ……もう! ほんっと、男子ってさいあく!」
隣を歩く少女がハムスターのごとく頬を膨らませる。年頃は静也と同じくらい。勝気な雰囲気を漂わせていた。
「いくらなんでもそこまでやる!? アイツら……ぜったい、カオルの事が好きなんだよ! いやがらせして気を引こうしてるんだ! そんなんでカオルに振り向いてもらえる訳ないのに……バカなんじゃないの!?」
静也は鬱陶しそうに顔をしかめる。
「おい、ナツキ……そばでピーピーわめくんじゃねー。耳がいたくなるだろーが」
ナツキと呼ばれた勝気な少女が静也に喰ってかかる。
「なによ! シズヤはアイツらに腹立たないの!?」
「とうぜん、ムカついてるにきまってんだろ。アイツらには後でキッチリ落とし前をつけさせる……が、ここでアイツらをひなんする事に意味はない。時間のむだだ」
「むう……お利口ぶっちゃって! ウチ、シズヤのそういう上から目線なトコ、きらい!」
静也は冷めた目をナツキに向けている。両者の温度差はすさまじかった。
「きぐうだな。オレもナツキのそういう感情的なトコにうんざりしてるぞ」
辛辣な物言いだが、なにも本気で言ってる訳ではない。生来、歯に衣着せぬ物言いをする静也にとって、この程度の発言はじゃれ合いの範疇だ。
「――まってよ……二人とも!」
睨み合う静也とナツキに駆け寄る人影があった。おとなしそうな印象の少女である。
「ひどい! あたしを置いてドンドン先に進んじゃうなんて……!」
少女が膝に手をついて息を整えていた。
静也とナツキは目を見合わせる。一拍置いて、申し訳なさそうに顔をしかめながら少女へと振り向いた。
「カオル、ごめん……! ウチら、ついはくねつしちゃってさあ……」
ナツキが少女、カオルへと手を合わせた。
「熱くなってたのはナツキ一人だけどな。オレまでまきこむなよ」
「アンタ、自分だけセキニンのがれする気!?」
またもや言い争いを始めそうな気配を察し、慌ててカオルが二人の仲裁に入る。
「や、やめて……けんかはだめだよ!」
今にも泣き出しそうな様子のカオルを目にして、二人は気まずげに押し黙る。共にカオルの涙には弱いのだ。
この頃の静也はまだ周囲との繋がりを持っていた。とくに、男勝りなナツキと泣き虫のカオル――幼馴染の二人と行動を共にする事が多かった。
その後、三人は足並みを揃えて目的地に向かう。やがて辿り着いたのは岩壁に空いた洞窟だった。巨大な魔物が大口を開けた姿を連想させる。中には深い闇がわだかまっていた。静也は懐中電灯をつけ魔物の口腔へ飛び込む。立ち入り禁止の立て札の横を通り過ぎた。
「ね、ねえ……ほんとうに行くの? やっぱり、やめない?」
背後のカオルが怯えきった声を発した。
静也はカオルへ振り返る。
「キツイなら、そこで待ってろ」
ナツキがカオルに微笑みかけた。
「うん、無理しなくていいよ。ウチとシズヤがちゃんと『例のモノ』を持って帰るから!」
しばし逡巡していたカオルだったが、
「――あたしも、行く。これは、あたしの問題だから……シズ君とナッちゃんに任せてきりにしちゃダメ、でしょ?」
やがて意を決したように洞窟内へと足を踏み入れた。
洞窟内に三人分の足音が反響する。
静也達がこんな場所を訪れたのには理由がある。カオルの私物をクラスの男子達に奪われてしまったのだ。気の弱いカオルはしばしばイジメの標的にされていた。
お守役の静也とナツキに締め上げられ、男子達はこの洞窟内にカオルの私物を隠したと白状した。
周囲は無機質な岩肌がどこまでも続いている。足元を照らし出す光量が頼りない。一行は慎重な足取りを余儀なくされる。
この洞窟は近所で有名だった。悪童達がたびたび度胸試しに足を運ぶので、もっと厳重に管理すべきだという声がよく挙がっている。
得体の知れない周囲の様子に流されたか、臆病なカオルはもちろんのこと、普段威勢のいいナツキまでも絶句していた。揃って先頭を進む静也にしがみつく。
「くっつくんじゃねーよ。暑苦しい……」
静也は憎まれ口を叩いた。表情こそ余裕があるように見えるが、その実、背筋に強い寒気を感じている。委縮した姿を見せる訳にはいかず、虚勢を張っているのだ。女の子達が自分以上にビクビクしていたから。
ナツキが唇を尖らせる。
「アンタ、男じゃん! 少しはたよりになるトコ見せてよ!」
文句を言いながらも静也から離れようとしない。なんとも憎たらしかった。
「ごめんねえ、シズ君……あたし、こわくて……」
カオルが控えめな声を発した。こちらは可愛げがある。
十分近く歩を進めると、行き止まりに突き当たった。どうやらここが一番奥のようで、カオルの私物がダンジョン最下層の宝のごとく地面に鎮座していた。
「あ……あった! あったよ!」
それを確認し、カオルがはしゃぎ始めた。スキップしそうな勢いで走り出す。
「足元暗いんだから気をつけろよ」
静也の忠告もそこそこに、私物の下へと急いだ。私物を拾い上げ、ためつすがめつ眺める。
「よかった……汚されてない、みたい」
私物を大事そうに胸に抱えた。
「こんな場所まで一緒に来てくれて……二人共、ありがとう!」
私物を奪われてから元気のなかったカオルがようやく笑顔を取り戻す。
ナツキがカオルにサムズアップする。
「カオルのためならお安いご用だよ!」
「……用が済んだなら、さっさと帰るぞ」
静也はバツが悪そうに目をそらし、ポツリと呟いた。ひねくれ者なりの照れ隠しである。
「コラ! まーた、アンタはそうやってよけいなコト言う! このあまのじゃく! ヘンクツ! へそ曲がり! カオルのお礼をすなおにうけとりなさいよ!」
「ナッちゃん、いいの。シズ君がほんとうはやさしい人だってコト……あたし、ちゃんとわかってるから――それより、あたしにいくじがないせいで、二人にはめいわくばかりかけてるね……ごめんなさい」
「かってに決めつけんな。オレはめいわくなんて思ってねーぞ」
「そうだよ! ウチもめいわくなんて思ってないから! ……シズヤのそんざいの方がめいわくだし!」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
静也がブツブツと文句を垂れると、ナツキがそんな静也に突っかかる。そして、カオルがアワアワしながら二人の口喧嘩を止めようとする。
そんないつもの光景を繰り広げながら一行は帰路についた。
一時はどうなる事かと思ったが、蓋を開けてみれば何事もなく終わりつつある。これまで通り、いつまでも三人一緒にいられると無邪気に信じていた。
しかし静也はまったくわかっていなかった。
日本には大小合わせて数千もの洞窟が存在するが、その中の多くが入洞を禁止されている。そして、そういう場所には禁じられるに足る理由――相応の危険が待ち受けているものだ。
今からそれを思い知らされることになる。
「――っん、な!?」
女子二人の頭上の岩盤が振動している事に気付いたのはまったくの偶然だった。
「ナツキ! カオル!」
静也はとっさに二人を突き飛ばした。背中から倒れ込む二人の姿がやけにスローモーションで目に映る。
ほどなくして、岩盤の一部が剥がれ落ちる。その真下には静也がいた。もはや回避は間に合わない。複数の岩が雪崩を打つように静也を押し潰した。
静也の視界が土煙に閉ざされる。どうやら頭部を痛打されたらしく、意識が急速に混濁していく。全身がどんな状態なのか把握する余裕などない。
「シズヤッ!」
「シズ君ッ!」
どこかで悲痛な叫びが聞こえた気がした。
■ ■ ■
「その古着屋のオヤジがケッサクでよォ……」
「えっ、マジ!? あそこに新しいスイーツ屋ができたの!? 行くしかないっしょ!」
「あのコンビニ、マジ使えねえわ。ライターも置いてないんだぜ?」
「それでさあ……あの子、二日前に彼氏と別れたばかりなのに……もう次の見つけたんだって! とっかえひっかえかっつーの!」
「ギャハハ! インキーにインキーか!? 死ぬ気か!?」
「お、ソレ……新発売の口紅っしょ? 使い心地はどうなん?」
誰はばかる事のない大声での下品な会話が時折、漏れ聞こえてくる。
磯騒動から約一週間後、五月第一週の水曜日の昼休み。不良&ギャルグループがクラスに集まり談笑していた。
輪の中心にいるのはギャル風の美少女、初見夏希とガラの悪い大男、安富公徳である。
夏希が髪を掻き上げる仕草を見せた。前髪を真ん中で分けて横に流しており、キュートなおでこが露出している。
彼らが騒がしく笑う傍らで、静也は昼食を摂っていた。購買部で購入した菓子パンに齧りつく。咀嚼には十分気をつけねばならない。油断すると知らぬ間に自分の舌を噛み切ってしまう事があるからだ。同じ理由で、日頃から熱い食べ物を避けるようにしている。
食事を済ませた後、席を立ってトイレに赴く。こんな身体になった今でも『催す』という感覚は残されていた。用を足した静也は自分のクラスへと足を向ける。
「――なあ、夏希! いい加減、返事をくれよ!」
そこに怒声が届いた。発信源はトイレ近くの廊下の陰。手前に階段が張り出しているせいで目立たない場所だった。
静也は急遽進路を変更する。忍び寄って奥を窺うと、そこに夏希と安富が立っていた。どうやら二人でグループから抜け出してきたらしい。
状況を一言で表せば、安富が夏希に詰め寄っていた。
「俺、マジだから! 絶対お前の事を幸せにする!」
安富のプロポーズじみた言葉を聞いて、夏希が困ったように笑う。
「お……落ち着きなよ、公徳」
「けどよ! お前、いつもそうやって……のらりくらりと先延ばしにするじゃねえか! 俺はいつまで待てばいいんだよ?」
安富の勢いはすさまじく、夏希を壁際にまで追い込んでいる。
(今にも壁ドンしそうだな、オイ)
もし静也が夏希の立場であったなら、あんな大猿に迫られるなど悪夢以外の何物でもない。夏希にわずかばかり同情を抱きながら覗き見を続ける。
「周囲の連中には俺達が既に付き合ってると吹聴しちまった! 俺に恥をかかせないでくれよ。それに……あいつらだって俺達の事、お似合いだって祝福してくれてるじゃねえか。俺のなにが不満なんだよ?」
全てだ、と静也は心の中で答えた。夏希がどう思っているかは知らないが。
夏希が躊躇いがちに言葉を紡ぐ。
「気持ちは嬉しいんだよ? 公徳の事が嫌な訳でもない……たださ、誰が相手であろうと今はそういう気持ちになれない、というか……」
「な、なら……試しに付き合ってみるとかでもいいからさ!」
「うーんと、ね……ハンパな態度は取りたくないかな。公徳自身に失礼だし」
夏希が安富の猛烈アタックをやんわりとかわし続ける。
だが、安富は空気を読まず執拗に食い下がっていた。
明らかなピンチだが、静也は助けに入ろうとしない。かつての幼馴染とはいえ、もはや赤の他人レベルに関係が冷え切っていたし、そもそも夏希ならばこの手のトラブルに如才なく対処できるだろう。こっそり立ち去ろうとする。
「し、シズっ――ウザ也!」
だが、直前で夏希と目が合ってしまった。
安富がバネ仕掛けのごとく静也へと振り向く。
こうなっては観念するしかない。静也は夏希達に向き直った。
安富が忌々しげに静也を睨みつける。
「てめえ、俺達のこ――」
「ああああぁぁっ! アンタ……ウチらの様子、覗いてたんだ! サイテー! マジ有り得ないんですけど!?」
夏希が安富の発言を遮る形で奇声を上げた。ズカズカと乱暴な足取りで静也に近寄る。
「完璧ストーカーじゃん! キモキモキモ……キッモ――ッ!」
傍観者たる安富が怯むくらいの剣幕でまくしたてた。続いて、安富へと振り返る。
「公徳! こんなヤツ、放っといて……もう行こう!」
夏希が一人でスタスタと歩き去ってしまう。
「な、夏希……待ってくれよ!」
慌てて安富がその背に追い縋った。もはや静也に目もくれない。
この間、静也は一言も発さず立ち尽くしていた。
――気になる事が一つ。
静也の横を通り過ぎる時、夏希の唇が「ごめん」と動いて見えたのは錯覚だろうか?