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CASE1:磯優美 その4

 それからというもの、静也は意地になって美名子をストーキングした。


 しかし美名子は一向にボロを出さない。


 そしてあの屈辱から丁度、一週間。静也は生徒指導室の壁にもたれかかっていた。付近は放課後になると、途端に人気がなくなるので静也の行動を見咎める者はいない。


 室内では美名子がとある女子生徒の相談に乗っている。


 静也は施錠されていない廊下側の窓を少し開け、聞き耳を立てていた。


「それで、磯優美いそまさみさん……君の相談とはどのようなものかな?」


 美名子が力強い口調で問うた。


 対面に磯優美という名前らしき小柄な少女が座っている。緊張気味に俯いていた。


「はい。実は……優美、イジメられてるんですぅ」


 優美が身の上をとつとつと明かしていった。一年生である彼女は入学早々、タチの悪い連中に絡まれたのだという。最初は軽くからかわれる程度だった。だが、イジメっ子達は優美が抵抗しないのをいい事にエスカレートしていく。髪を乱暴に引っ張り、パシリに使い、あまつさえ金銭を要求してきた。


「なにも悪い事してないのに……なんで優美がこんな目に遭わなきゃいけないのぉ……」


 優美が肩を震わせて泣き出す。


 美名子が優美のそばに近寄り、その背を優しく撫でていた。


 静也は改めて優美の姿を視界に収める。猫背で、周囲の機嫌をうかがうような上目遣い。まるで小動物のようだった。なるほど、ある種の連中の嗜虐心をそそるタイプである。


 美名子が優美を安心させるように笑いかける。


「話はわかった。解決法は単純明快だ!」

「ほ、ホント……!? 宮本先輩……優美を助けてくれるんですか?」

「もちろんだとも」


 どうやら美名子にはなんらかの策があるようだ。伊達に一年も相談役を請け負っていないという事か。


 静也はお手並み拝見とばかり、美名子の動向を見守る。


「磯……私と一緒に身体を鍛えるぞ!」


 そして、早くもずっこけた。


「は、はい?」


 優美が困惑している。


「宮本先輩がなんとかしてくれるんじゃないんですかぁ……!?」

「いいか! イジメの根本的な対処法はイジメられっ子本人が強くなる事だ!」

「それは、そうかも……しれませんけど、優美が強くなるなんて無理ですぅ……!」


 優美の泣き言を無視し、美名子がガッツポーズで力説を続ける。


「私がイジメっ子達を叱りつければ、一時的には収まるかもしれん。しかし喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。イジメっ子達はしばし鳴りを潜めた後、満を持して再び動き出す。私に密告した君の事をより陰険に、嵩にかかって、責めたてるだろう。逆効果だ」


 優美の肩を掴んで揺らした。


「だから君自身が強く逞しく成長する必要がある! 健全な精神は健全な肉体に宿ると、よく言うだろう? 君が肉体を鋼のごとく鍛え上げた暁には、イジメっ子達に立ち向かう勇気もまた得ているという訳だ!」


 美名子が優美を強引に引きずっていく。見るからに非力な優美では抵抗のしようがない。


 優美の悲痛な悲鳴が廊下にまで届く。


「え、ええ……ええぇえええぇぇぇっ!?」

「『千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす』――日本を代表する剣豪が自著に記した言葉だ。要は、人は一朝一夕で強くなれんということ。善は急げだ! まずは校庭を走り込むぞ!」

「嫌ですぅ! キツいのは嫌ですぅ!」


 静也は呆れ顔で美名子を見る。なんというか、いかにも脳筋らしい発想である。この女はいかなる問題に対しても「身体を鍛えろ」の一言で済ませそうだ。


「オイ、待てよ」


 見かねた静也は窓から顔を出す。


 美名子が立ち止まって静也へと振り返った。


「うん? ……なんだ、名和か。すまないが、用事なら後にしてくれないか? 今、少し立て込んでいるのだ」


 優美が静也へとすがるような目を向け――直後、顔を引きつらせた。どうやら静也の悪評は一年の間にも広がっているらしい。


 静也は優美を手で指す。


「テメー、そこの一年をイジメから救うつもりなんだよな?」

「盗み聞きとは感心しないな。わかっているなら邪魔をしないでくれ」

「いったい何ヵ月単位の計画だよ……」


 美名子の作戦は正攻法だが、あまりに時間がかかりすぎる。


「オマエ、早くイジメから解放されたいよな?」


 静也は優美へと声をかけた。


 優美がおそるおそる静也に頷きを返した。


「はい……できればラクで、すぐに結果が出る方法がいいですぅ」

「ホラ、当人もこう言ってるぞ」

「君になにか策があるというのか?」

「まあ、一応な……いかにもテメーが嫌いそうなヤツだが」


 静也はこの手のトラブルシューティングに手慣れている。なにせ、自分自身が似たような火の粉を払ってきたのだから。


 美名子が優美を置いて、静也へと窓越しに接近する。


「ならば聞かせてくれるか? これは私の問題ではない。より優れた方法があるというなら、磯の為にもそちらを採用すべきだ」


 静也は即興で立てた計画を美名子に耳打ちしていく。


 置いてけぼりにされた優美が不安げに二人を眺めていた。


 美名子が静也の話を聞き終え、顔をしかめた。


「いかにも君が好みそうな策だな」

「『イジメの根本的な対処法はイジメられっ子本人が強くなる事』――そこだけはテメーに同意してやる。どうする? やるなら手伝うぞ」


 静也がこんな提案をしたのには理由がある。自分の手際を見せつける事で、美名子に己の無力さを思い知らせ、くだらない思想を否定してやろうという仄暗い喜びの為。


 そして――


 静也は優美に向き直る。


「嫌われ者には嫌われ者なりの処世術があるんだよ。それを教えてやる」


 ■ ■ ■


「あ、あのぅ……なんで、こんな場所に……?」


 優美が今にも泣き出しそうな面持ちで静也と美名子を交互に見返している。訳のわからぬ内にここまで連れてこられて動揺しているのだろう。


 一行は道場へと足を運んでいた。本日、剣道部はオフなので、周囲に人影はない。


 静也は美名子に目配せする。


 心得たとばかり、美名子が優美の手を引いて歩き出した。


「ちょ……な、なにするんですかぁ!?」


 道場に隣接する部室へと連れ込む。


 戻ってきた時、二人は竹刀を手にして防具を身に纏っていた。


「さあ……磯、始めるぞ!」


 美名子の威勢のいい声が道場内に反響する。3メートルほど離れて優美と対峙し竹刀を構えた。

優美が慌てふためく。


「ふ、ふええぇぇっ! 待ってください! どうしてこんな真似――」

「メエエエエエエェェェェェン――ッ!」


 言い終えるより速く、美名子が優美に打ちかかった。


「ひ、ひいいいぃっ!」


 優美がとっさに竹刀を前にかざし防御する。竹刀がぶつかり合う乾いた音が鳴った。


「ハアアアアアアアアアアッ!」


 美名子が裂帛の気合を声に込め、矢継ぎ早に攻めかかる。すり足による滑らかな足運びで距離を詰め、優美をあと一歩で攻撃が届く間合いに捉えるや否や、鋭く踏み込んで打突を放っていた。素人目にも流麗とわかる動き。しかも、まばたきの間に姿を見失いかねないほど迅かった。


 優美が必死で後退しながら竹刀をやたらめったら振り回し美名子の打突を防がんとする。


 しかし防御はほとんど意味を為さない。脇が空いた瞬間、胴に打ち込まれた。手元がお留守になれば即座に小手を狙われる。防具越しでも痛いらしく、ビクッと身を竦めていた。


 それでも美名子は容赦しない。鬼気迫る闘志が面越しに伝わってくるかのようだった。つかず離れずの間合いを維持し続け、優美が距離を取ろうとするのを許さない。


「いやぁ……もういやあああっ!」


 滅多打ちにされた優美が遂に根を上げた。美名子に背を向け、一心不乱に駆け出す。


 静也はその先へと回り込んで立ち塞がった。


「ひうっ!」

「どうした? 打ってこいよ。オレは丸腰だぞ。テメーが握っている物は飾りか?」


 静也は大きく両手を広げ、挑発的な言葉を投げかけた。


 優美が竹刀を静也へと突きつける。


「ど、どどど……どいて、くださいっ! 打ちますよ! 優美はマジですよっ!」


 必死で脅かしているつもりなのかもしれないが、剣先がブルブル震えており、まったく怖くなかった。


「だーかーらー、打ってこいと言ってんじゃねーか。それに、わざわざ宣言してんじゃねーよ。『ブチのめす』と心の中で思ったなら、その時既に行動を終えているべきだろ?」

「あ……あうぅ」

「だいたい、テメー……なんで自分の事、名前で呼んでんだ? 自分の事をカワイイと思ってるのが透けて見えるぞ。どんだけ自己愛、強いんだよ」


 静也は委縮した優美を言葉で嬲っていく。


「しかも、相談する態度もいただけねーな。傍から観察してたが……テメー、自分の問題だってのに、そこのサムライ女に丸投げしようとしてただろ? なんでも他人頼みか――だからイジメられんだよ」

「ひどいっ……! 名和先輩は優美が悪いっていうんですかっ!?」

「違う。イジメられる原因がテメーにあると言ってんだよ。テメーはイジメられている可哀そうな自分に酔って、自分から動こうとしてねー」

「…………」


 優美が俯いた。面の下で泣いているのかもしれない。


「不幸だな、可哀そうだな――とでも言ってほしいのか? お安いご用だ。いくらでも一緒に嘆いてやるよ……テメーの現状は変わらねーけど」

「そん、なの……わかってますぅ……!」


 絞り出すようにそれだけ口にすると、優美が反転し、静也から逃げる。


「――磯、かかってこい!」


 しかし、その先には当然、美名子が待ち構えていた。前門の美名子、後門の静也である。


 もうどうしていいかわからないのだろう。優美がその場にくずおれた。


「どうした、磯! 立ち上がれ!」


 美名子が優美に竹刀を向けて激励する。


 しかし優美に反応する気力はないようだった。


「なんで……なんで優美をイジメるのぉ? 助けてくれるんじゃ、なかったのぉ?」


 聞く者の同情を誘うような悲痛な声を出す。


 だが静也は取り合わない。


「いつまでもヘタレてねーで、少しは根性見せろや。サムライ女に飛びかかれ、オレに咆えてみせろよ」

「できないよぅ……無理ぃ……」

「自分に甘いヤツは他人から舐められる。一生そのままでいてーのか?」

「でもぉ……でもおおおっ!」


 優美の甘ったれ具合は筋金入りだった。いっそ強情とさえいえる。それをイジメっ子達の前でも発揮してもらいたいものだ。


 なんとか焚き付ける事はできないものか。静也は思いついた言葉を口にする。


「こんなヤツを生んじまって……テメーの親も不幸だな」


 優美がピクリと動いた。座り込んだまま静也を見上げる。


「いや、違うか。親が情けねーヤツだから、こんなのに育つんだろーな」

「……親は関係ないじゃん」

「関係あるに決まってんだろ? 自分の娘がこんなザマなのに放置してるなんて……きっと負け犬の家系なんだろーよ。ご愁傷さま」

「訂正してよ」

「あア? オレの発言のどこに間違った部分があった? テメーが無様なのも、親がカスなのも、純然たる事実じゃ――」

「うるさい!」


 静也の言葉に被せるように、優美が初めて強い調子で叫んだ。勢いをつけて立ち上がり、静也に喰ってかかる。


「さっきからペラペラと……いい加減にしてよ! この陰険野郎! 私の事、なにも知らないくせに! あまつさえ、パパとママの事まで!」


 一息に言い切ると、ぜいぜいと肩を上下させた。


 わずかの間を置いて、我に返った優美が怯えた顔になる。


「あ……ごめ、ごめんなさいっ! 許して、ください……」


 静也は無表情で優美に近づいていく。


「ひっ……!」


 殴られると思ったのか、優美が硬直した。


 静也は優美へと手を振り上げ、


「――え」


頭を撫でていた。


「やればできんじゃねーか」


 静也はヒューと口笛を吹く。優美の物問いたげな視線が面越しに注がれた。


「『イジメられる方にも原因がある』と、さっきは言ったけどな……オマエは断じて悪くないぞ」


 静也は優美に笑いかける。嘲弄以外で他人にこんな表情を見せるのは久しぶりだった。


「どんな場合であれ、イジメられる側に罪はないだろ。たとえソイツが嫌われるようなヤツだとしても、悪いのはあくまでイジメた側に決まっている。もし、イジメっ子が正しいって言うなら、ムカついたら人を殺してもいいって事になるぞ。どんな蛮族だって話だろ。石器時代じゃねーんだ……人間ってのは自分の行為が正しいものだと、常に主張したがる。『イジメられる方にも原因がある』という言葉は後ろ暗い事情のあるヤツが言い出した暴論だよ。自分を正当化しようとするクズだ。そして、世の中にはそういうのが存外と多い」


 だから、かように愚かな言葉と風潮がまかり通るのだ。


「イジメられてるヤツの為を思って注意するならともかく、非難に使うのはお門違いだ――なあ、磯……そんなヤツらに負けたくねーよな?」

「……もしかして、名和先輩はわざと?」

「これは特訓だ。サムライ女とオレに散々脅しをかけられた後なら、そんじょそこらの連中にはビビらなくなるだろ? やられっぱなしでいるな。オマエをイジメた連中に啖呵を切ってやれ、さっきみたいにな……それと、親の事までバカにしちまって悪かった」


 静也は深々と頭を下げた。顔を上げて、優美の肩を叩く。


「さあ、続けるぞ。まだ、やれんだろ?」


 至近距離で目と目が合った。静也は渾身の想いを込めて優美の目を射抜く。


 こちらの気持ちが伝わったか、優美が力強く頷いた。


「はい! よろしくお願いします!」


 それから三人は下校時刻ギリギリまで特訓を続けた。

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